長篇【僕らの唄が何処かで】④ 西野七瀬
【夏の日、祭と僕と七瀬と】
そういえばこの夏は心境だけでなく、生活の環境も少し変わった。
遊んでばかりいる僕のだらけを解消したくてアルバイトを始めた。ただアルバイトとは名ばかりに、本当のことを言えば島の人のお手伝いで不確定な金額を貰うだけ。
この前七瀬と行った定食屋に不定期ながら働かせて貰うことになった。
毎月親から貰える金額を明細で確認すると罪悪感が増えていくのが、子供ながらに嫌になっていた。有難い事を無駄に浪費するのではなく、誰かの為に貯蓄したいという好奇心が煽られて、僕は大人になるように働いた。
一人で暮らしているからこそ、成長の材料となる糧を見つけたくて、アルバイトという選択をしたのは、親に今度言ってみようと思う。
ただ七瀬はやっぱり難色を示したが、少しの真剣な眼差しで最後は渋々僕のお願いを聞いてくれた。
七瀬の成長の材料となる可能性も増えたという事実も良い収穫とも言える。
その代わり、少しだけ七瀬が我儘になったという点は大きさ誤算だったかもしれないが。
そして仕事を始めた事によって、人脈が増えた。
この島の人口的に元からあって無いような真新しい人との関わりだったが、仕事をして本物の大人たちと交流出来る。
他の立派な大人に見ると萎縮を重ねて、僕は縮こまる。親の世話をしていることによる過信が意外とここでは効いている。やはり大人とは自らなるようなものではない。
ゆっくりと大人になれるように仕事を覚えて夏を待つ。
七瀬はまだ夏の課題が溜まっているらしい、
『……ねぇ、今年の夏祭りは何作る?』
初耳だったが、新鮮な予感はしていた。
「作るって……僕が的屋をやるの?」
『そういう事じゃなくて、夏祭りの手料理だよ』
この島では的屋は来ない。その代わり地域ごとにある大広間に皆んな集まって、そこで一人一品、其々の手料理を振る舞うという形らしい。
なんとも見窄らしくて、健気な姿なのか。
「……七瀬は去年何作ったの?」
『確かオムレツ。難しくて見栄えは最悪だったけど、味の評判は良かったから今年もやろっかなって』
「へー、七瀬も意外としっかり考えるんだね」
二人で気怠く、扇風機を使う。
カラカラと出来の悪い音を鳴らして、僕らに風を送る。気持ち良く、気分の悪い。
「………あれ、今日も一実来るんでしょ?」
『うん、確か4時頃って言ってた』
「それまで何しよっか………」
僕らは並んで扇風機の前にだらける。怠け者として夏の亡者より酷く、学生の有意義を昇華出来ない心残りなど、微塵も思わない。
だから今日もいつもの消費される時間を無駄とも感じずに、暑さを凌ぐだけ。
七瀬は僕より間抜けに、口を開けてダラっと。
『………暑い、これじゃあ課題も進まない』
「七瀬に関しては暑さだけの問題じゃないだろ」
『何が分かるの、まだ知り合って3ヶ月ぐらいなのに』
「理解は時間じゃない」
『……なんか〇〇、かずみんみたいな事言う』
視線が夏の熱気に負けて、僕はまだ誰も見ない。
「そうかな?ただのいつもの戯言だよ」
『ちょっと似て来てる』
「………ただの勘違いだって」
最近いつ会ったのか、毎日に近い感覚で会う一実との時間を逐一指を折って数えている方が記憶が狂うだろう。
『てか〇〇は祭りの日もいつものその格好で行くつもりなの?ちょっと弱くない?』
「………だって、らしい格好がねぇからな」
『勿体無いな。年に一度の祭典だよ』
「僕にとっては今のところ島の時間全てが祭典みたいなもんだよ」
『………じゃあさ』
無闇に七瀬は立ち上がり、自分の部屋に続く廊下へ消える。七瀬がいなくなった事で風がより多く、僕の顔目掛けて飛ぶ。
_______数分後、
いなくなってた事さえ、忘れていた僕は
『〇〇、これ着付けしてみてよ………』
その声は後ろの廊下にまだ近いところで、照れと欲張りのちょうど気持ち良い部分を狙って響かせる。
「……う、なんで下着姿なんだよ、てか窓開いてるから!」
七瀬は浴衣の着付けをするために、わざわざ僕の見えるところまで下着だけで来た。洗濯などで見た事のある色だったが、誰かが着れば当然反応してしまう。
『今更そんな反応しなくてもいいじゃん、とりあえず着れるかどうか確認したいだけだから』
純粋は時に、刃物のようだ。
徐に近寄ってくる七瀬の顔は恥ずかしさの色もなく、本心から言ってると分かってしまった。だからこそ、それに耐性のない僕は、流石童貞の対応で、
「分かったから、とりあえず前だけは閉めてくれ」
浴衣をだらんと羽織るだけで、前が開いたままの姿を瞬時に直させて、僕は明後日の方を見ながら帯を持つ。
「……これどうやってやるんだよ」
やった事ない着付けに携帯で調べながら、順番を学ぶ。
「こうやって………ここはこんな感じかな」
『ふふっ……』
綴られたような台詞。
最早合っているのかも分からないと確信出来るが、七瀬は満足気に僕を待つ。さっきまでの立ち姿が脳裏に記憶された僕は、多分目が泳いでる。
「えっーと……これでいいかな?」
最後に帯をキツく締め一息つけて、後ろにいる僕は正座のまま彼女を見上げる。
ひらりと一回転して、余った布を舞わせて。
『どう?』
完成すると七瀬の頬は赤く変わり、
「………わかんねぇ、いつもは誰に着付けしてもらってた?」
『おばあちゃん』
「じゃあ七瀬のおばあちゃんが見たら、笑われそうだな」
僕は痺れた足を忘れて話す。
『そうかな……、十分だと思うよ』
「お前は過大評価し過ぎたよ、完全に素人の跡地だぜ」
『寧ろそれが味だよ。うんサイズもまだ大丈夫、本番も宜しくね』
「大事な祭典ならもっと上手い人に頼んだ方がいいと思うぞ」
『………ううん、〇〇で十分だよ』
吉報がなる口から、僕の心臓に届く迄浅い紫のような景色だったかもしれない。
そんな事言われても、分からない。
「心臓に悪いぜ、さっきの七瀬」
まだ嬉しそうに腕を少し上げて、着飾った自分の姿を楽しむ七瀬を見て、僕も少しだけ嬉しくなった。
そして嬉しくて、もう一度舞う。
『どう、やっぱり可愛い?』
「可愛いけど、やっぱり幼いが似合うかな」
唇を尖らせて怒る七瀬も、
嬉しそうに話す七瀬も、
『もぅ………折角なら素直に褒めてよ』
満更ではない様子だった。いや、多分嬉しいだろう。
誰よりも楽しそうだから。
「二回目の質問なんだから、いいだろ。もう着替えたらどう?本番の楽しみが薄れるよ」
僕も観念して、胡座になる。
『そうだね、まだ2週間あるし』
まだ7月の中盤、
夏の入り口に足を入れた程度の時間で
それを踏まえて僕らは泡ぶく。
これから夏が本格的に始まる。この島の八月は結局暑い。何かに縋れたような熱視線に打たれるような厚着になりそうで、
今日もアルバイトを淡々と熟していく。
七瀬曰く、今年の夏休みの課題は例年に比べて少ない量らしくて、敢えて僕は最初の2週間血眼になって終わらせてみた。
今回は正直ペンだこが綺麗に出来てしまったことは、現代の恥と言うべきか難しい。凝り固まった肩の厚みに解しても、止まらない。
その流れで仕事をすると身体にガタが来そうだったが、若さ由縁の回復に結局疲れを知らないまま生きている。
そういえば、僕はアルバイトを仕事というタイプという少し格好付かない人間だった。
そんな人間は今日も定食を運んで洗うを繰り返して家に帰る。
この店で七瀬と食べた日には初日の初動のまま、店内を楽しんでいたから虚ろのまま覚えてはいなかったが、僕の二倍ぐらいの年齢の夫婦がやっている渋い店だった。
都会から来た僕の怪訝さを疑いもせず、とりあえず仕事をしたい旨を言うだけで理解してくれた。有難い限りで、助かった。
この店は明らかに繁盛している。顔馴染みが当たり前のように訪れる様子は信頼の素直さなのか。
海鳴りすらも横隣で感じる店に、何人も屈強な島の住人たちがズラズラと入り、たちまち店は賑わいを見せていく。
僕は若いという利点を少し億劫に思いながら、この島の人たちの当たり前に縋って、生活を続けた。
結局今日も、そういう温かみが溢れる。
___________ある日、
「そういえば〇〇は祭りは行くだろ?」
結局店主に苗字で呼ばれたことは、最初だけだった。今は下の名前を親の立場のようにすらすらと口に出す。僕も正直それぐらいの距離感でちょうど良かった。
「はい、七瀬と一実と行きます」
「それは両手に花だな、あんな美女と一緒に祭りなって」
「そうなんですかね、僕には近過ぎて分からないんですけど」
そう思えば、確かに七瀬と一実は一段飛び抜けている。それは可愛さという簡単な言葉だけでは済まされないほど、可憐な存在という事実が浮かぶ。
他の子供たちも可愛らしいが、高校生という中途半端な大人の格好にそう思う人たちも多いだろう。
「今年の飯は決めたのか?」
「一応何となく、自信ないですけど」
「そんなに身構えるなって、別に喧嘩するわけじゃねぇんだからさ」
「……そうですね、僕も少し緊張してました」
「あ、そうだ。〇〇ちょっと待ってろ」
この店の大黒柱が思い出した様子で、奥に行く。この店は狭いが縦に長い。
言ったら怒られそうだが、本音は仕方ない。
暫くすると戻ってきた。七瀬の時と同様に、何かを持って、駆け下りてきた。
「これこれ、どうせ着るもんねぇだろ」
少し清潔に保たれた浴衣が僕の目の前に差し出された。紺色の落ち着いた色と涼しそうな生地で整っている。
「俺のお古だけど、結構状態がいいからお前にやるよ」
「……いいんですか?」
紺碧の浴衣に高揚しそうで、僕は悶えた。
「七瀬ちゃんと一実ちゃんと行くなら、お前もそれらしく格好付けねえとな。それにこの島にはお前は十分染まっている。これはその証として十分だろ」
まだ信頼出来るほど時間は経過していない。寧ろ浅い理解と慣れだけで進んでいたと過小していた。だからこそ手に持つのが少しだけ臆病に思いながら、
「受け取れよ、だらだらすんな」
「………はい、有難いございます」
何かを兆していた僕は、未来に向けて少しだけ考えた。儚く、尊い想像を浮かべながら、その日を楽しみに考える。
「人生楽しんでこいよ、選択なんて一瞬だ」
多分、僕にはまだ理解出来なかった。
その帰り道、僕は浴衣を紙袋に詰めてもらい、大事に持って歩く。半袖が少しだけ肌寒いと思わせてくれる夜も幸せの起伏が充満して、嬉しく思う月夜を照らす。
ここから数分しかない道程を、店主に言われた反対の速度で、だらだらと歩いていると半透明の格好をした一実と出会った。
畦道をぼーっと立つ彼女は、
[あれ、〇〇じゃん。なんか楽しそうだね]
「お、一実じゃん。ちょっと嬉しいことがあってね」
何ともない顔をしていた。
[何それ、聞かせてよ]
「いずれわかるよ、それまでのお楽しみだね」
ただ、瞬時に切り替わった様子だけは
[いつになったら分かるの?]
「それを言ったら確実に分かる」
僕からも少しだけ見えた。
[それもそうだね、楽しみにしてるよ。浮かれた〇〇を見るのも新鮮だから変に期待出来ちゃうけど]
「……あれ、一実は何していたの?」
[散歩よ、この歳になると意味もない散歩をしたくなるの]
「ババアかよ、嘘くさいな」
[本当よ、男には分からないと思う]
駄作と言える捨て台詞を、僕は感じた。
[ねぇ、一緒に少し歩かない?]
何処からか祭囃子の練習する音が聞こえる。用意周到だが、狭いこの島での音量わ配慮していない鈍感さは滑稽で笑けてくる。
「……もうすぐ夏祭りか、七瀬から聞いた?」
[うん、学校に6時集合でしょ。意外と早いよね]
「あいつ張り切ってんの、この前なんて浴衣着付けしてくれって頼んできてさ」
[着付けしたの?]
「したよ。やった事ないけど、見様見真似で調べながらさ」
[なんだよ、青春してんじゃん]
群青の空から夜の色へと。幻想のような星たちも今日だけは少しだけ休み気味に見えた。
「………なんか楽しみだな」
[私も………]
ゆっくりと星の北から南に、流星が弧を描く。紡がれていく空の景色に一筋の光が、パーっと化粧されていく。
一瞬の煌めきだったが、永遠の絶頂にも感じる。僕らは何か願う隙もないぐらい、見惚れていた。
「じゃあまた」
[うん、多分明後日家に行くよ]
「分かった、それも楽しみにしてるよ」
[なーちゃんに宜しくね]
結構なお手前の手振り。地響きのようなサンダルの叩く音が僕らは二人の足から聞こえる。
告げられた夏の顔は、美しく、綺麗だった。
今日も海鳴りが聞こえて、人波が流れていく。
そして祭りの日、特別がやって来た。