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長篇【僕らの唄が何処かで】② 西野七瀬

【春の時間、木霊する愛情】

4月10日の今日、土曜日ということに気が付いたのは目覚めた時に身体に現れる微妙な疲れが睡眠を邪魔したからだった。

いつもならとりあえず起きて麦茶を飲む習慣をつけている七瀬がリビングには見当たらず、僕は少しだけ不安になり、携帯を見て時間を無闇に確認する。

「僕はいつもこの時間に起きるのか、もうアラームは必要ないな」

昨日まで着ていた新しい制服はこの前デザインが一新されたらしく、華やかに平日の模様をしていた。七瀬曰く一昨年迄は不評だったらしい。


この島の高校の全校生徒は7名ほど。更には校舎は中学と高校の共同の学び舎という事もあって、必然的に島の若者と知り合う事になる。

転校自体初体験だったお陰もあって出陣する直前は随分と緊張したが、巷でよく聞く閉鎖的な田舎の村八分の噂など盲信に過ぎず、結局仲良くなって、特に関係のない下級生や上級生と共に過ごす時間も野面にある。

そして今日の朝も制服をハンガーにかけて、皺を伸ばす。意気揚々と並んでいる服たちと一緒に部屋は、殺風景という言葉から抜け出す事は困難と思うほど、鷹揚とした景色だ。


 

この島には確かに必要最低限の娯楽と情報はあるが、都会に慣れ親しんだ物や施設は当然無い。ただその事実に対して特に思うことも、感じる事も薄い起伏で、今日も平日と同じ気のままで生活をする。


 

もう住んで数週間、有難く既に慣れた。

七瀬の生活習慣に合わせるのが少し大変で、ほぼ一人暮らしで身に付けた家事スキルを遺憾なく発揮出来る。

もう既に当たり前な高校授業を行なっている。オリエンテーションから垣間見える楽な時間などとうに過ぎて、早速学びの本望を尽くす。

人数が少ない分、ゆとりと焦りが混沌とした教室の中、勉学は程よく楽しめる。僕は慣れたいつもの動きで、挨拶だけはしようとする。しかし結ばれると離れない人の縁は僕を愉悦の一端を味わせて貰う。

既に縁は繋がっていた。

七瀬の部屋僕の部屋を分けている廊下に、立つと休日の夜更かしの匂いがする。

ドア越しで声を出すが、
「七瀬、一応朝ご飯作ったけど食べる?」

耳を澄ませると、聞こえない声とテレビゲームの音に彼女の昨日の待遇を感じる。


「とりあえず冷蔵庫に入れておくから」

それだけ言葉を置くと、僕は習慣になっている散歩に行こうと身体を反転させる。


すると重々しく扉が開いて、

薄く瞼の閉じた七瀬が出迎える。
『ん、〇〇……どこ行くの…』

「散歩だけど、一緒に行く?」

『行く』

「じゃあとりあえず顔洗っておいで」

島で生まれて島に住んでいる七瀬は思春期から来る影響なのか、少し都会的な生活リズムを兼ね備えている。僕からしたらこの島に似合わない姿だと思ってしまうが、七瀬らしい姿と思えば、何となく咀嚼出来る気がする。


今日は比較的気温が高くても、日中はまだ肌寒い。一枚パーカーを羽織っているが、サンダルから抜ける風と草木に残る朝露の跡が染みてくる。

「とりあえず適当に歩くから」

『はーい』

当然人口も少ない静観な島の住人は数百人しかいない。朝散歩で歩き回っても出会う人達はいつも決まった顔だらけで、真新しい運命も生まれないのはしょうがない事だろう。

僕らはだらだらと島を徘徊するが、毎回歩けば歩くほど知らない道を目にした気がする。

ある程度歩いた先、今見えるのは一筋の小さい尾道。目を凝らしても先には緑しか映らない。

「この道はまだ行った事ないな」

『……確か先行くと神社だけど、散歩なら丁度いいと思うよ』

「いいね、なら行くか」


サンダルで行くようなところではないが、恐らく島の住人なら願掛けに行く機会を多いのか、道は舗装されたように自然に頑丈に出来ている。


「その神社って何の神様を祀ってるの?」

『そんなの知らんよ』

「何だそれ、今の七瀬の島知識なら僕とほぼ同等じゃないのか」

『だってななには今まで関係なかったんだもん。でも漁師の人とか年始とかに拝んだりするって聞くからそういう神だと思うよ』

「なんだよ、普通にしっかりしてるじゃねえかよ」

『まあ私も初めてみるけどね』

緑に囲まれた祠に小さく扉がある。

「これは普通のパワースポットなんだろうな」

『ここだけ妙に涼しいもんね』

しんしんと聞こえる森の騒めきと鳥の囀りが空洞の中のような響きで僕らの耳に返す。誰かに作られた訳ではなさそうな自然体に、苦し紛れの不自然さも感じる。

ここに長居しても、祟りが起きる。そんな迷信が曲がり通りそうな雰囲気だけに僕の気持ちは少しだけ臆してきた。

「よし、帰ろうか」

『なんか怖くなってきたね……てか寒い』

「パーカー着る?」

『着る』


来た尾道を戻りながら、僕だけ少しだけ肌蹴る。素早く涼しい空気に足された色合いに同じ日本の統一感覚を忘れる。

「……田舎に憧れはなかったけど、結構好きだな」

『でも来年までしか味わえないかもしれないだけどね』

「そんな事言うなよ、一挙手一投足楽しめって」

『親みたいなこと言わないでよ』


「今じゃ僕が親のようなもんさ」

『そうだね、〇〇は家事出来るからね』

「七瀬が出来な過ぎるんだよ、出来ないというかズボラというか」

『だってこの年齢であの家に一人で住んでたって、荒い教育だと思わない?』

「七瀬のような子供には程良いと思うに一票」

『…もぅ』

僕らが生産性もない会話を続けると、七瀬の祖母が僕らの前に現れる。

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「あら、七瀬と〇〇君、仲良く揃ってどうしたの?」

『散歩しただけよ』

「いつもの日課なんです」

「〇〇君がこっちにきて七瀬も外に出るようになって私は嬉しいよ。ありがとね、〇〇君」

「いえいえ、結局一緒に住んでるので、七瀬も分も家事をする事にはなってしまいますけどね。自由に暮らすにはそれぐらいは屁でも無いですから。やっぱりこの島は良いですね」

「でしょ、都会にはない良さがここには詰まっているからね、これさっき取れたじゃが芋。良かったら持っていきな」


網目の袋に詰められた沢山の野菜が元気な自然の心地を見せているような、感心してしまうほど美味しそうだった。

七瀬の祖母は畑帰りのような出立に、自給の具合を感じる。夏のようなワクワク感も僕には薄くて思う。
  

『家帰ったら朝ご飯食べなきゃ』

「絶対に残すなよ」


この島本来の正しさなど僕には完全に理解することは難しいかもしれないが、楽しむことは出来るのかもしれないと、また強く思った。


七瀬の祖母と別れて、家に帰る。数分の帰り道は都会で得た重たい鉛へと変わるような下校時とは違って、軽やかな足取りだった。


僕は家に着くと掃除を始める。七瀬の朝ご飯の最中に申し訳ないが、一人で掃除をするにはかなり広いと感じる家の広大さに、散歩帰りの疲労も忘れてしまう。

二つ前の世代の掃除機と雑巾で埃がないように、細かく目をやる。自立した生活の影響で、赤の他人が近くにいてもその習慣は変わらない。


誰に習った訳でもない手つきで、自分の部屋とリビングを整えていく。その間に七瀬の朝食も住んでおり、僕は洗い物が増えないか心配する。

『御馳走様、ななも手伝う』

「手伝うって、もうすぐ終わるよ。あとは七瀬の部屋ぐらい」

『なら自分でやるから、掃除機貸して』
どうしても追い出そうとする姿勢に、

僕はその小さい抵抗を見つけて
「……他人に見せられないほど汚いの?」
と笑いながらはぐらかす。


『そんな事ないよ、女子の部屋は簡単に男を入れないだけ』
上手いこと逃げた言葉だ。デリカシーを壁にして、僕は立ち竦む。

「じゃあ、一人で頑張ってね。一応12時に昼飯作る予定だけど、どうする?」

『流石にインターバル欲しい、後で食べるかもしれないから、また冷蔵庫入れておいて』


七瀬はよく食う。その見た目と反して僕の倍は食う時もある。食費は七瀬の家と僕の母からの折半だが、殆ど持っていかれそうだ。

とりあえず粗方清掃が終わり、心も落ち着く部屋へと変わる。先週まで段ボールやビニールのゴミが錯乱していたが、暇を見つけては掃除出来た事に誇らしく思う。


僕は一息つく為に、二人で見るには大き過ぎる薄型のテレビを付ける。今日は興味を唆るような番組はやっていないようだ。

雑多に乱打した後、七瀬の部屋から聞こえる掃除機の音が五月蝿くて、テレビを嫌々消す。

「てかこの家便利過ぎだよな」


『そりゃそうでしょ、田舎だからって不便とは限らないよ』

「何もないは撤回したほうがいいかもな」
 
『何もない事には変わらないと思うけど、生活においての便利さは東京とそこまで離れてないかもね』


そういえば、この家にはネットゲームが快適に出来るようなWiFiが設置されている。この島では携帯の電波すら危うい時もあるが、家の環境は依然整っている。前の世代の掃除機を使ってはいるが、テレビは確実に新しい機種だ。


「島だけが過去にいるみたいだな」

『それこの島の人達に言ったら怒られそうだね』

「じゃあ言わないでくれ」

『どうしよっかな……』

けたけたと笑う。掃除を汚れたを拭きながら、また二人にはと大き過ぎるソファに座った。


田舎の島の平家にソファというアンバランスな組み合わせは、風情こそ壊してはいるが、いかんせん気分は爽快だ。少し体の体勢に飽きて、余ったスペースに寝転んでも、体はゆっくりと迎合していく。


『ねぇ、今日他にやる事ある?』

「とりあえず掃除は終わったから、買い物だけ」

『じゃあさ、かずみん呼んでいい?』

「………いいけど、なんか怖いな」


『悪いことはしないよ、三人でご飯食べようと思って』

「まあ、同級生はあいつしかいないしね。折角ならアリかも」

『じゃ、決定ということで』


「その前に課題やったの?七瀬この前怒られてたよね、なんなら高山に手伝ってもらえば?高山なら頭いいし」

『……嫌や、かずみん勉強だと意外とスパルタだもん』

「じゃあ今やっちゃえ」

『はーい』

七瀬が課題をする時、必ず自分の部屋ではなくリビングで教材を広げる。私欲が多い自部屋に剥き出しの欲を制御することは、今の七瀬には難しいらしい。ノートパソコンだけ置き、地べたに座って悪戦苦闘する。

意外と自由なりの思考が楽しめる課題を課せられる僕らは、それなりの有意義さで進めることが出来る。都立高校の重荷の厳しさに嫌気が差していた頃の僕には存分に羽を伸ばせるいい機会だったかもしれない。

そう思うと親の転勤という転機には、やっぱり感謝したいところだが、親らしいことを求めている家庭だったら、そんな事はできないと苦肉にも思ってしまう。

ひとまず、七瀬の課題が終わりに近づく。
『後もう少しだ〜』

「長いな、もう少しで高山呼ぼうと思ったよ」

『……いいけど、そのかわり今日の晩ご飯全部作ってもらうからね』

「さっき使った”折角”という言葉を知らないようだな」


『折角なら〇〇の料理をななとかずみんで楽しもうって意味だけど』

「はい、もう決めた」僕は携帯に向かって、怒りの連打を繰り出して、”もしもし”という言葉を発せようと試みる。

『っ終わらせる!今すぐ終わらせるから〜!』


虚しい事に、僕が高山を呼ぼうとしたタイミングの時点でもまだ終わってなかったらしい。彼女は嘘が得意だが、疑うと面倒になるので何も敢えて言わないようにしている。

また数分後に僕は尋ねた。

「どう、終わった?」

『終わりました、疲れた………』

「じゃあとりあえず買い物行くぞ」

『了解ですっ』


僕らは高山と待ち合わせする為に少しだけ着飾った格好となって、徐に家を出る。この島に必要な服という認識は少し失礼になるかもしれないが、都会のような突飛な格好はまだ余った段ボールの中に入れてある。

少しだけ人を気にした格好を七瀬も同じような雰囲気で飾っていたことは、ある意味相思であると思ってもいいかもしれない。


そうして待ち合わせの少しさりげないスーパーで高山を待つ。


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