人を嫌いになるまで
人を嫌いになる
それは、そこ・ここに転がった数え切れないほどの種からはじまる
どんなに小さなことでも、たとえそれが全く意図されなかったものだとしても、種になりうる
「あ、今あの人は私を見なかった」
人は無意識にカウントしちゃう、そして率を感じちゃうんだ、不覚にも
でも、それだけで人を嫌いになってたら、心がいくつあっても足りないほど憎まなきゃならないことになる
だから、私たちはちゃんとセーブできる
「今のはきっと、あたしの思い違いだ」
本当に人を嫌いになっていくのって、もうちょっと段階がある
例えば、実際にされた・言われたことをよくよく考えてみて、やっぱり理不尽だっていう結論に至ったとき
あるいは、特定の人からの印象に、ポジティブなものがほとんど思い浮かべられないとき
それから、いくら話しても、いくら相手が故意じゃないってわかってても、やっぱり嫌だなって、心がつぶやくとき
一回、「あ、嫌いだ」ってなったら、結構回復は難しい
嫌いって、簡単なもんじゃないから。ちゃんと、理由があるから
その理由が解決されないうちは、嫌いでい続けなきゃならない
だって心が、そう感じちゃうから
それが、変わるときにも、理由がある
それだけ自分の中で受け入れがたかった人に、実は受け入れられる面があることを発見したとき
その人が、どうしてああいう風に言ったり行動したかが分かったとき
実はその人にもどうしようもないことがあって、自分がその人を嫌いなのと同じくらい変えがたいんだと知ったとき
「あ、この人にもこんな面あったんだ」
嫌いとか好きとか、どっちかを消すことはできない
あたしにできるのは、どっちもいっぱい感じて、いっぱい考えること
自分の感じ方を疑わなくていい
嫌い、を感じることはとても素晴らしい
だって生きてる証だから
ちゃんと相手の存在を感じることだから
多くをそこから学ぶことができるから
でも、嫌われるのはやっぱり怖いけど
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