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スクリーンに大きく映える4本の映画

 前回から続いてシネ・ヌーヴォ大映4K映画祭のこと。新作映画も見たいのが多いのに、ソフトでも見れる古い映画ばっかり見てるんですよ。ラインナップ全部は見れないけど原則一度見た作品は外し、時代劇と特撮っぽいものを中心に見よう、と思ったものの、プログラムを見ているとどれもこれも面白そうなので困った。

 困った困った、と言いながらも先日怒涛の三連チャン敢行。気になるものは見ておくのだ。

 まず『ボクは五才』。

高知に住む五歳児が、父をたずねて200キロ先の大阪への一人旅。小学生の頃冬休みにテレビで見て、五歳児の孤軍奮闘に応援した覚えがあるのですが、見直すと、この五歳児の太郎君結構タフで、手掛かりの絵が描かれたスケッチブック片手に大人の手をほぼ借りず、ずんずんと大阪へ進んでいくのです。そんな太郎君とは逆に、梅田地下街で彷徨う左卜全と北林谷栄の祖父母が愉快。あの頃から、梅田の地下は迷宮だったのか。高知の田舎で、もんぺ姿の北林さんはまんま『となりのトトロ』のカンタのばあちゃんでした。
スタッフは湯浅監督はじめ昭和ガメラシリーズの布陣、そこに京都の森田富士郎カメラマンが参加、ガメラ&大魔神である。カメラは常に低く、子供の目線でこの小さな冒険を追っていく。そして寡黙な太郎君の代わりに心情を観客に伝えたり、時として叱咤激励するのはナレーションの芥川隆行。『何もそこまで言わなくても』な、その過剰なナレーションは、のちの大映ドラマに通じるのかもしれない。

続いて『銭形平次捕物控からくり屋敷』。

 『四谷怪談』に続く、スクリーンで見る長谷川一夫。江戸っ子の平次と、関西弁の八五郎の軽妙なやり取りがテンポいい。江戸に流行る新興宗教、インチキじみた奇跡の数々で信者を増やす一方、お布施を絞り取られ自害するものも……と、70年前も今もどこか共通するようなテーマ。クライマックスはタイトルにあるからくり屋敷での立ち回り。あぁそうだった、平次の投げ銭って、痛め技にはなるものの、致命傷を負わすほどの必殺技ではなかったのだ。隠し部屋にのぞき窓、エレベーターのように上下する部屋での大乱戦に、ぐるぐる回る巨大な歯車。新興宗教紫教の集会では、江戸時代往来ではなかなかできなかった男女手を繋いでの舞踏会、歌って踊るミュージカル的な味付け、とお正月公開に相応しい賑やかな内容でした。昔の時代劇映画は古臭いという概念は以前のヌーヴォの特集『時代劇が前衛だった』で払拭された身としては実にモダンな時代劇で楽しめました。

 そして『やくざ絶唱』。

 ヤクザなアニキと血の繋がらない妹とのねじれた関係と、悲劇。妹を溺愛するあまり、近づく男を片っ端から暴力でねじ伏せるアニキ、カツシン。そんなアニキに嫌気がさし、自由を、新しい自分を求めて苦悶する妹の姿。カツシン主演で痛快なものを期待していたら、増村保造監督ですよ。どこかじっとりと湿っぽいのです。妹が徐々にオンナに代わっていく様を見せつけられ、狼狽し、荒れるアニキ。もはや妹はアニキ以上のバケモノになったのかもしれない。妹を抱くことも許されぬアニキは一人、やくざ者としての生きざまを全うさせるしかなかった。異母兄妹に、どこかかみ合わない会話の数々、これもまた保村監督が後に手掛ける『赤いシリーズ』はじめ大映ドラマの源流なのかもしれない。

 そして後日、またまたヌーヴォへ。いじけたやくざから今度は凶悪な盲人のカツシン、『不知火檢校(検校)』を。

 『大菩薩峠』の机龍之介が、眠狂四郎の原型と言われるが、こちらはプロトタイプ『座頭市』である。子供時代から悪戯の才能に長けていた按摩の杉の市が、ひょんなことから大金を手に入れ、欲しいものは奪い、犯し、邪魔なものは殺す、と悪行の限りを尽くして盲人の最高位、検校にまで上り詰めるピカレスク浪漫。しかし、悪が栄えたためしはなく、これまでの悪行が露見し、捕り方に取り押さえられる。座頭市なら全員斬って捨てて逃げられるけどねぇ。
 子供時代の杉の市の悪戯は笑ってしまうエピソードが楽しいのですが、最近はやりの客テロレベルの危うさ。さらに大人になってからはやることがえげつなすぎる。神輿の行列をよけて道端を歩いていた少年が今や神輿を止めて行列するほどの権力者になってしまった。夏祭りで始まり、夏祭りで終わる映画。不知火検校はその後天保年間に転生し、座頭として関八州を歩くのでした。

 

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