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「まかない」に潜むワクワクの正体

世の中ウイルスや経済打撃でわさわさしており、自社のレストランでも客数減でえらいことになっているのに、畑の野菜は異常に元気なので、さてどうしたものか、みんな野菜になればいいのに、と思いめぐらしている寺尾卓也と申します32歳男。株式会社ALL FARMという会社で「在来農場」と「WE ARE THE FARM」というレストランの運営をしています。

さて、今日は「まかない」について、書きます。

要約すると、「結局まかないが最強だよね、もう、まかないだけで世の中が回れば良いのに」っていう話です。

「まかない」最強説

一応飲食業界の端くれとして、東京都内で6店舗を運営しているので、毎日何百食という食事を提供しています。自社農場で育てた旬のお野菜を、手間ひまかけてメニューにし、一皿にのせてお出しする×何百×365日。

農場のメンバーも、レストランのスタッフも、この仕事が好きなひとばっかりなんで、お客さんとても喜んでくれるんですね。ありがたいことです。ただこれとは別に、僕たちが提供しているもうひとつのがあります。

それが「まかない」。

「まかない」って、あらためて考えると飲食業界用語で普段は使わない言葉ですが、飲食店でバイトをしたことあるひとはみんなわかるよね。バイト上がった後に、お店の端っこでコソコソと食べさせてくれる、アレです。まだ営業中だとやたらお客さんからの目線が気になって食べる背中がどんどん丸くなる、アレです。飲食のバイト求人にほぼ必ず載っている「賄いあり」という得なのか損なのかよくわからない情報の、ソレです。

端から見たら決してきらびやかな食ではない「まかない」ですが、僕は約10年間飲食業に関わってきて、どうしてこれが食の最高形なのでは、と思ってしまうのです。それに、飲食業界では「まかないが美味しい店は良い店」と言われたりもするわけです。忙しかった営業のあとに、店長がつくってくれたメニューにはない一皿に、なんとも言えないほっこり感を覚えたかた、少なくないんじゃないでしょうか。うちは店舗でも、農場でも「まかない」を出すんですが、それを食べるスタッフが見せる笑顔が、キラッキラなんですね。その笑顔、営業で出そうね♡っていうくらい。

さらに「まかない」の凄いところは、実はつくっているほうも、ウキウキしちゃうんですね。あまりものの食材を使用したり、片付けの合間に短時間でつくったり、限られた範囲の中でつくるのが「まかない」です。時間と食材の制限の中で、今日も頑張ってくれたバイト君、バイトちゃんのために、自分の得意料理と掛け合わせて瞬時に何をつくろうか考える。手際よくささっとつくり、出すときの言葉は「お待たせしました」ではなく、「はい、お疲れ様」です。「今日は温玉のせちゃったよ!」「えー紅しょうがまで付いてるじゃないですか!」このやりとりでつくり手もほっこり。実は紅しょうがは店の食材にはないんだけど、出勤前にまかない用に自腹で買ってきちゃった、なんてこともしばしば。そのサービス精神、営業で出そうね♡っていうくらい。

はて、ここまできてふと気づく事。

営業で出す食事と、「まかない」で出す食事は、何かが違う。

「食事」の4象限

食事の4象限

食事を「有償か無償か」と「つくり手が身近な人か、身近でない人か」の2つの軸で分別すると、図のように大きく分けて4象限で表すことができます。そして食べる人の満足感を「安心感」と「充足感」の2つにわけると、(かなり乱暴ですが)図のような評価ができます。

①身近な人が提供する有償の食事-あまり日常で出会うことはない食事の形態ですが、強いて言えば結婚披露宴で出されるコース料理でしょうか。もちろん料理はプロが丹精込めてつくっていますが、食べ手からすると提供者は新婚夫婦です。こういった食事は、安心感は十分にありますが、どちらかというと食事に対しての充足感は低い傾向にあると思います。

②身近でない人が提供する有償の食事-ほとんどの外食や中食がこれにあたり、大人になれば頻繁に出会うケースです。まったく知らない人が料理していますが、有償であることが安心感(安全性)のギャランティーとして機能しています。一方で、価格を上回る心理的充足感を得られるケースは非常に稀です。

③身近でない人が提供する無償の食事-これはほとんどあり得ない形態です。見知らぬ人にいきなり「これつくったんで食べてください」と食事を差し出されても、おそらく今の日本で食べる人はほとんどいないでしょう。理由は、安心感(安全性)がわからないからです。当然、充足感を得ることもありません。

➃身近な人が提供する無償の食事-ここに「まかない」が含まれています。家庭での食事もこれにあたります。お互いによく知っている関係性で、食事が無償提供されると、「安心感」があるばかりでなく、心理的な「充足感」も同時に満たされるのがこのパターンの食事です。

なぜまかないが最強なのか

「お待たせしました」ではなく「はい、お疲れ様」と言って提供されるまかない(身近な人が提供する無償の食事)が安心感と充足感の両方を満たす理由は、食事が金銭との交換対象ではなく、コミュニティ内での無償の承認という意味合いを含んでいるからです。食べ手の貢献(労働など)が先にあって、それに返報するかたちで食事が提供されることで、金銭対価とは別の充足感が、食べ手とつくり手の双方に発生するのです。金銭と食事を交換する外食と、価値の交換をしている点で本質的には同じですが、双方が感じる充足感には明確な違いがあります。

ポイントはその順番です。食事が提供されてから金銭が支払われるのが一般的ですが、この順番になることで、食べ手とつくり手はより「食事の価値」にフォーカスすることになります。「食事の価値」と「金銭価値」とを天秤にかけて、つり合いがとれているか、ということに無意識に集中してしまうのです。

逆に、なにかしらの価値(労働などの貢献)が先に支払われて、それに対する返報の意味を込めて(つまりありがとうという気持ちで)食事が提供されると、食べ手とつくり手の意識が別の場所に働きます。それは双方の繋がりです。食事のなかに、やわらかな承認と感謝が内包される。だから、食べ手とつくり手の双方に充足感が生まれるのだと思います。

これからの食事のありかた

今、社会のなかでコミュニティのありかたが急速に変化しています。家庭料理をする人が少なくなったのは、決して「時間がない」ことが理由ではなく、少々乱暴ですが「家族コミュニティにコミットする時間のコスパが悪いと感じる」ことが原因だと言えます。スマホが普及したことで、人が所属できるコミュニティの数や自由度、そしてそれらのコストパフォーマンスは格段に向上しました。それ自体は素晴らしいことですが、一方で食事が非常に機能化しているように感じます。同時にそれは、手触り感のあるコミュニティーへの帰属意識を薄れさせ、ぼんやりとした喪失感を感じることに繋がっているのではないでしょうか。

時計の針を戻すことはできないし、そこに思いを巡らせるのも意味のないことです。しかし、飲食業界の端くれとして、これからも「美味しい」と感じるその一瞬のしあわせを、ひとつでも多くつくっていきたいと思うわけです。大きな変化の波が押し寄せる今、「まかない」が教えてくれたことを、先ず自らが変わるためのチャレンジに活かしていきたいと切に思います。

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