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「フレジェはフランス風ショートケーキ」について考える

「フレジェはフランス風ショートケーキじゃねえ!!!」

というのは、たびたび話題になる。

なぜ皆がその話がするのでしょう?



フレジェはフランス風ショートケーキなのか?

「フレジェはフランス風ショートケーキなのか?」(以下フレジェ問題)

という命題には触れません。ググってください。

「どっちが先にできた!」とか、「本物のフレジェとはこうだ!」とか、本題はそこではありません。


「フレジェはフランス風ショートケーキ?」という話をなぜ皆するのか?

フレジェ問題に限らず、どの界隈においても、定期的に何度も何度も話題になる話があるのはなぜだろう?

「プロテインは筋肉増強剤じゃない!」
「デスコアはデスメタルじゃない!」
「エヴァはロボットじゃない!」 

なぜこんなにも繰り返し話題にされ、みな食いつくのでしょうか?



「スイーツ好き」だけでは同じ仲間かわからない問題

そもそも

「スイーツ好きです!」という人でも同じ仲間とは限らない問題があります
・本当にスイーツが好きなのか?出会い厨じゃないか?
・自分と同じタイプのスイーツ好きなのか?コンビニなのかパティスリーなのか?

そして、仲間かよそ者か区別つかない問題の解決に機能するのが「言葉使いやマナー」です。

言葉遣いの違いで余所の村人と判別する例

ちょっとした言葉遣いの違いは、仲間かよそ者かを見分ける合図として機能するため重要なのです。

「ショートケーキでもフレジェでもいいじゃない、あのおいしいケーキだってわかれば。」
ではすまないのです。


「フレジェ」問題を繰り返すことで仲間の団結を促す

仲間か敵かの確認を何度も繰り返す生き物「人間」

同じ話題を同じコミュニティーで繰り返す理由。それは仲間か敵かの再確認のためです。

何度も繰り返し仲間か敵かを確認しないといけない生き物なのです。


フレジェ問題へ関心の寄せ方で仲間かどうか判別する

本当のスイーツ好きかどうかを判別するのに「フレジェ」はうってつけです。
「フレジェ」は、ケーキ好きなら当然知っているけど、一般知名度は低い。仲間を見分けるのにちょうどよい難易度の言葉です。

「イチゴが入っているケーキ」ぐらいの解像度ではフレジェとショートケーキは見分けがつけないので、ガチの素人とそれ以外を見抜くのに効果がでます。


「フレジェ問題」を繰り返すことは善悪の境界線を再定義する

「フレジェはフランス風ショートケーキじゃない!」と声を荒げる人が出たとする。それに追随する人たちが出たとする。

この現象は「うちの界隈ではこれをやったら失礼にあたるぞ!」という道徳の境界線を再定義し、その界隈に見せつけ、新参者への無自覚の教育機能もはたします。




同じ話題が繰り返されるときに起きていること

このように、皆がこの話題に参加する理由が少しわかります。

「フレジェとは~!」と言ってるときに起きていることは二つ
・「フレジェ問題」をとりあげて、同じ意見かどうかで内部の結束の強化と、外部との隔離が行われる。
・「フレジェ」を間違えて怒っている姿を見せて、この界隈の暗黙のルールを周りに見せて教育している。

しかも、当の本人達は、この効果に自覚的ではありません。自分たちの界隈の大切な概念を守るために声を上げた結果、意図せずこういうことが起きているわけです。

つまり、仲間とよそ者との境界線はどこにあるのか?を何度も何度も繰り返し確認しあうことで共同体の関係性が強化するのです。

「全国のケーキ好きよ!団結せよ!」


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