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生まれてきたことに意味なんて無い

こんばんみ。

今回は「生まれてきた」なんてめんどくさそうなテーマなんですが、僕個人の超うがった考え方を文字に起こしてみようと思いました。きっかけは隣の席に座ってた人が「何のために生まれてきたのか~」的な話してたからですね。あと暇だからです。

【全部運ゲーでガチャと同じ】

よく「人は幸せになるために生まれてきた」とか「誰かに望まれたから生まれてきた」「自分の意思で生まれてきた」とかいう考えがありますが僕はほかの生物と同じでただ両親がいて子供を望んだ結果ただ生まれてきただけだと思っています。

そこにスピリチュアルな要素はまったくなくてただ生き物の間での生命の循環の一環として生まれただけだと思っています。

こう思う考え方のベースとして「わかんない部分に勝手に意味付けするのは後だしじゃんけんと同じくらいナンセンス」だという僕個人の思いがあるからです。

だから同じ様に死んだ後の世界もないと思いますし、なんなら自分が死んだあとはこの世も一緒に終わると思っています。仮に自分が死んだ後もこの世が続いたとしてもマツダの視点から観測することはもうないのでマツダ的には世界が同時に終わったと同義だと思ってます。運命も信じてません。全部偶然だと思っています。

たしかに”前世”的なところで自分が望んで”この世”的なところに生まれてきたのかもしれませんがわかんないじゃないですか。証明のしようがなくて。じゃあフラットに考える方が自然じゃないかなと思うわけです。

幸せになる為に生まれてきたという考えも、そもそも生まれてきさえしなければ幸せにならないといけない必要性もないわけで不幸せになる危険性もないわけです。「生まれてしまったからには不幸せより幸せの方がよい」がしっくりきます。この「うまれてしまった」というのが割と自分の中で生きる指針にはなっています。要は「結局やるのであれば楽しくやろうぜ」っていうノリと同じなわけです。「どうせいきてるんなら楽しい時間すごそうぜ」。いやならやめればいいし。そう、途中で面白くないなと思ったらやめていいと思います。ただ、面白くない状態を乗り越えた先に楽しいと思えるもっと長い時間がまっている可能性もあるわけで、そういうのが希望とかになるんじゃないかなと思います。しらんけど。

【生む側、育てる側的には】

一方視点を変えて仮に自分が子育てする情景をイメージすると「親は自分の子供に対して全責任を負わなければならない」といいう考えになります。なぜならばこの世に新しい命を追加するのは完全に親の選択次第だからという考えだからです。「子供側もいくぶんかはこの世に生まれてきたいと望んだから生まれた後の責任の所在は50/50ね」とはならんわけです。

考えすぎかもしれませんがぼくはそこまで責任負いたくないので子供ほしいと思いません笑

正しくは責任負っても良いと思えるほど子供好きではないし(嫌いじゃないですし、小さい子供のほっぺたは好きです)そもそも100%五体満足健康に生まれてくるかも分からない、仮に健康に生まれてきてもグレずにまっすぐ成長するかも分からない(自分はまっすぐな教育ができるかかなり不安です)中でこちら側の都合だけで新しい命を生み出すことがかなり不安です。まあ実際に生むのは男である僕ではないですが。

【生まれた意味≠生きる意味】

日曜の晩にかたよった思想をぶちまけて申し訳ないですが最後は明るく締めたいと思います若干。

なんて悲観的な人なんだ、なんてドライな人なんだと思われるかもしれませんが実際は僕自身は希望にまみれにまみれて生活しておりましてそれは自分で勝手に生きる意味を見出しているからです。

生まれた時点ではフラットに意味なんてなくて、とはいえ生まれてしまったからにはどうにかしなくてはいけなくて。

この世辞めるが0だとして最高を100だとすると僕はできるだけ100に近い状態である時間を長くすることが大切だと思ってます。

生まれなければ0もないですが100を経験することもない訳です。ただ生まれたからには100を経験できる可能性を手にすることができるのです。かりに100にたどり着かなくてもそもそも生まれなければ0ですらないのでどんな状態でもお釣りもらえる状態なわけです。

生まれた時点でボーナスステージ開始状態で後はどこまでボーナスもらって終わるかみたいなかんじですね笑

「生きているだけで丸儲け」って歌詞があるわけですがほんとにその通りだとおもいます。僕はそう思います。

まとまらない文章ですがこのへんでばいばい!




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