後ろめたさについての違和感。
いつもありがとうございます。
「ハッピーターン」の上位互換が「味しらべ」だと思っている学校事務職員のタクトです。
就学援助制度がもっと認められて、もっと広まってくれるといいなぁと思ってます。思い続けてます。
就学援助制度というのは、学校に払うお金(給食費とか)で困ってる家庭に、その費用の一部を市で援助する制度です。
学校で仕事する中で、様々な事情を抱える保護者の方とお話をさせてもらうことがあります。特に、立場上、「お金の問題」で困ってる保護者の方とお話することが多いです。
そんな中で、「学校のお金が払えなくて困っているけど、就学援助は受けていない。」というご家庭が毎年のように。
就学援助を受けていない理由は、大体3パターン。
①そもそも制度があることを知らなかった。
②申請手続きの途中で挫折している。(場合によっては必要書類を揃えるのが大変なんです。)
③制度は知っている、そして必要としている。けど、周りの目を気にして申請していない。
①と②については、学校側が適切な情報提供すれば限りなくゼロに近づけれる部分。
僕が一番気になるのが③です。
レアケースですが時々ありました。
そして、これは就学援助に関してだけじゃなくて、今の日本の世の中において、支援を受けるという行為に対しての後ろめたさ・・・、というかそう当人に思わせてしまってる周りの空気感みたいなものがすごく強いなぁと思います。
例えば、ひとり親家庭への支援。
ちなみに、就学援助は、ひとり親家庭(児童扶養手当受給者)だと確実に認定されるようになっています。(少なくともうちの市では。)
が、就学援助を受けようとするひとり親家庭が出てきたときに、何も知らない外野から「自己責任じゃないかー」という声が飛んできたりすることもあるようです。
(もちろん、学校で認定するときはプライバシーに配慮しています。)
そこは自分で責任取れよ、と。
でも、本当にそうですか?
夫婦のこと、家族のことは、他人には深くはわかりません。
もしかしたら、相手からDVを受けていたのかもしれないし、パートナーに先立たれたのかもしれない。他人にはわからない理由があることもあると思います。
それでも、さらに、その相手を選んだことでさえも自己責任だと言う人がいるかもしれません。
でも、それって、めちゃめちゃ、息苦しくないですか?
そんな社会、人に冷たすぎないですか?
学校で子供たちや保護者や地域の人たち先生たちを見てて本当に思うんですけど、社会の中で、人って誰かに助けられながら生活してます、みんなが。
そして、もっと言うと、みんながみんな自己責任でやれを通したら、公務員の仕事(のサービス)なんてほぼ成り立ちません。
僕らは国の税金から、予算をいただいて色々なサービスを提供してますが、あなた一人が払った税金ではあなたが歩いてる道路はできなかったし、あなたが学校に払ってるお金だけではあなたのお子さんが通ってる学校の教育環境は絶対に作れない。
それこそ僕らの働く学校なんて、やり方も在り方も、自己責任論とは全く逆の場所に存在してるので、余計に違和感を感じます。
とゆうか、個人的には、100パーセント自己責任でやれることなんて、この世に存在しないと思ってます。誰もが、どっかしらで何かに誰かに助けられてるでしょと。むしろそーゆーものなんだから、助け合うの前提で社会を作った方がよくないですかと思ってます。
話がそれてしまってすみません。
何が言いたいかと言うと、僕ら人間はどのみち助け合わないと生きていけないように作られてんだから、(たまたまその瞬間に自分がその立場にないからといって、)助けを求めてる人にとやかく言うのやめません?むしろ、助けてくださーいが言いやすい社会の方がおたがいに良くないですか?と言ったところです。
みんながカジュアルに助けを求められて、そして助けてあげられる社会が好きです。
そーゆー未来を子供たちには渡してあげたいなと思います。
そのために、学校文化と向き合う、子供たちと向き合う、まずは僕が関わる保護者の方と丁寧に向き合うことからやっていきたいと思います。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
未来を創るのは今の子どもたち。
明るく楽しい未来のために、明るく楽しい学校を創る。
明るく楽しい学校の未来を拓く人になる、学校事務職員、タクト。
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