本音

ありがたいことに、様々な人から「大丈夫?」と声をかけられる。
大丈夫ではあるのだけれど、大丈夫ではないような、そんな感覚を端的に説明するのが難しかったので、ここに自分の本音を整理しておこうと思う。

まず第一に、仕事には行けている。これは猫又も同じだ。
日常生活に支障をきたす程体調を崩している訳では無い。
(もっとも、私にとっては舞台に立つことが日常の一部ではあったのだが。)

第二に、元気なのか。
猫又は休養中だけど私は大丈夫!と言いたいところなのだが、そういう訳では無い。
今でもカレンダーを見る度、「キンナゴの準備しなきゃ!」と思っては、静かに肩を落とすぐらいには落ち込んでいる。

報告にも書いた通り、私はユニット漫才以外の活動を休止している。
はっきり言って、これは自分の中では異常事態である。
何度解散されても、自分を守る武器として、漫談だけはやり抜いてきた。これが漫才で実を結ぶ時が来るのだと、信じてやり続けてきた。
だが今は、その気力が無いのだ。それは何故か。私が、四鬼夜行に全てを賭けていたからだ。
3月に、Xのプロフィールから『解散芸人』の文字を取り払った。
これは私なりの決意であった。
四鬼夜行としての漫才を主軸に置いて、漫談でその喋りを高めていく。これがこれからの私なのだと、そういう決意表明の意志の表れであった。

この私の決意。これこそが、今回の活動休止の原因であったと言えるだろう。
私は、猫又に全てを賭けすぎたのだ。

彼は、相方としてあまりにも優秀だった。
高校の同級生である彼は、気まぐれに漫才の呼吸を変えてきたが、私も感覚でそれに合わせていくことができた。
プログラマーである彼は、私の強いこだわりにも応えつつ、納得のいかない部分には徹底的に議論を持ちかける芯の強さを持っていた。
加えて彼は一人間として、不思議な空気を纏っていた。芸歴3年目の私よりも落ち着いていると、周りにそう言わしめるほどの空気感。
彼がマイクの前に立つだけで、私1人では成せていなかった『個性の確立』を、いとも簡単にやってのけたのだ。

そんな彼の才能に私は見惚れた。
彼が私の真の相方なのだと、心からそう思った。私は、彼と漫才を少しでも長く続けたい一心で、漫才を作っては合わせ、舞台へとかけた。
全ては、M-1のためであった。
M-1で勝ち上がるあの感覚を味わえば、きっと彼も着いてきてくれる。
そう信じて、がむしゃらに走り続けてきた。

だが、その重圧が彼を壊してしまったのだ。
主催ライブの当日、彼は顔面蒼白の様相で私の前に現れた。
大丈夫かと問いかけると、彼は首を横に振った。
申し訳ないから設営までは手伝うと言う彼を、私は無理やり家へと返した。

緊急で迎えたゲストとライブを乗り切った後、数日に渡って彼と今後について話し合った。
彼は、漫才のことはしばらく考えたくないと発した。
その言葉を聞いた私は、活動休止の報告を出した。

正直、今この時の彼の状況を私は把握していない。
仕事に行っていることは知っているが、私と話すこと自体が漫才を思い出すきっかけになってしまうだろうから、少し距離を置いている。

一度舞台から離れた人間は、急速に一般人へと戻っていく。
完全に活動を辞めたわけでは無いのに。
少し前まで、自分にとって頼もしい鎧であった漫才スーツは、どこか過去の栄光のように色褪せて見える。
たった数日前に主催ライブを終えたとは思えないほどに、舞台に立つ人間としての自覚が薄れていく。
社会人芸人を名乗ることが己のアイデンティティだったのだと、それを辞めてから気づく。

はっきり言って、数日前まで確かにあった漫才への情熱の炎は、すっかりなりを潜めてしまった。
きっとそれは相方も同じ。
正直な話をすれば、このまま解散する可能性も十分に有り得るだろう。
そうなった時に私が舞台に残るのかどうかは、自分でも分からない。

彼以上の相方を見つけて、もう一度漫才を作り直すだけの気力が、もう無くなってしまったのだ。
一度の解散がどれだけの負荷をもたらすかを、私は知りすぎてしまっている。
これから四鬼夜行がどんな道を辿るにせよ、今年のM-1が、増田拓斗という存在にとっての大きな節目になることは間違いないだろう。

四鬼夜行。それは、若さと老いを兼ね備えた2人が起こす論理のねじれ。彼らが辿るのは、光の道か茨の道か、それは誰にも分からない。それでも彼らは、愚直に前へと進み続ける。
ー四鬼夜行『小説』より引用ー

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