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果てしない物語を紡ぐ集団

たくらみ屋界隈って、「果てしない物語」の世界と感じ始めている。

それは、こんな物語。


ふと飛び込んだ書店に、磁石に引きつけられるように気になる本がある。

それをかっぱらって、走って逃げる。

学校の屋根裏の、誰にも会わない場所に隠れる。

隠れて読み出すと、物語にどんどん引き込まれて行って、いつの間にか本の中に引き込まれて冒険物語の主人公になっている。

勇敢な若者にも出会うし、
どこにでも連れて行ってくれる竜も友達になるし、
どんな願いも叶えてくれる印を授けてくれる姫も現れる。

シカンダという剣も授けられる。

それはひとりでに自分の手に飛び込んで来る時だけ強力な力を発揮するが、自分の意志で鞘から抜くと、大きな災がもたらされる不思議な剣。

苦しい課題になる者にも出会う。

中でもアッハライといういつも泣いている醜い虫。

良かれと願って飛べるように変容させると、やかましい道化蛾の大群となって、最後まで悩まされる。

「おれたちゃ命令がほしいのさ! 指図してもらいたいのさ! 強制してもらいたいのさ! 禁止してもらいたいのさ! おれたちゃ、何か意味ある生き方をしたいのさ!」

「ぼくにはできない!」

良かれと思ったのは、結局自分にとって良かれだったことを思い知る。

そして実は、どんな願いでもそれを叶えていくと、1つづつ過去の美しい記憶が消えてしまう。

ついには自分の名前も忘れてしまう。

名前もなくなった少年を最後に助けたのは、過去に自ら抜いた剣で傷つけてしまった親友たちだった。

名前を取り戻した少年は、本の物語から抜け出して、行方不明を心配していた父の元に帰る。

帰った少年は、以前のいじめられっ子ではなくて、大きな勇気を持つ少年に変容していた。


昨日の京都は、「果てしない物語」の登場人物がみんな集まったような場所だった。

あんなことができる人がいる。こんなふうに助ける人もいる。そこで見守る人もいる。

多くの人の力が集まって、50年先の村までの冒険物語が描かれた。

学校は必ずしも決まった場所にはなくて、「どこでも学校」。歩けばその場で学び合える村になっていた。

農業も「みんなが農業」。畑や田んぼは大人も子供も遊ぶ場所になり、多かれ少なかれ土壌づくりを皆が応援している村になっていた。

皆は村民として愉しく村を創ることに熱中した。

そして、自分の名前を忘れていたかも知れない。

過去にもしかしたら力が合わずに離れてしまっていた人とも、一緒に村を作った。

すると改めて、自分のできること、できないことが意識に上ってきた。

改めて、自分の名前を思い出すことになった。

本の物語と違うのは、みんながここは今は、空想物語と知っているところ。

終わったらみんな物語から抜け出して、それぞれの家に帰る。

そこから現実に向き合うが、既に物語に入る前より勇気を持てていることを知っている。

なぜなら、その物語の中の人たちとまた、いつでも会うことができるから。

これからもまた、物語の中に入り、現実に戻る「果てしない物語」。

たくらみ屋界隈は、ティール組織でもない、大家族でもない、コミュニティともちょっと違う、言わば「物語を紡ぐ集団」。

米ちゃん、出版記念パーティーと称したポンコツ村の船出ができてよかったね。

こんな物語を各地で紡ぐ仕掛けをたくらみ屋でやろう、って終わりがけに話したけど、

これはまた別の物語。いつかまた、別のときにはなすことにしよう。

(2023年11月2日 京都 米澤晋也「賃金が上がる!指示ゼロ経営」出版記念パーティー)

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