できない理由は頭痛と似てる。

初めての投稿で自己紹介もしていないのですが、さらっと言うと、「脳脊髄液減少症」という持病があります。

イメージしやすいように伝えるなら、酷いときには10分間起きているのが無理な感じです。あとは頭痛ですね。寝ている時かつ頭を使わないことが無痛で穏やかに過ごせる条件でした。今は大分回復してきてます。

現在は30歳で、大学1年生の20の時に発症した病気なのですが、それもあってかできない理由を頭に思い浮かべるようになりました。

「やりたいと思っても、途中で具合悪くなったら・・・」


こんなものが頭の中心部にあるため、常に行動にブレーキがかかります。
ピークの時には、会話ができない。立っていられない。遊びにいけない…

今の自分で書いていても、後ろ向きに引っ張られる感覚になるくらい、できない理由だらけが頭の中を埋め尽くしていました。実際にできないことだらけだったんですけどね。でも人の考え方って結局はどう切り取るか、どう意味をつけるかってことなんですよね。僕は命には影響していないので、難病レベルでいえばMAXの領域ではないわけです。

自分にとってはでしたがベッドの上がメインとなる生き地獄でしたが、世界をよく見渡すと、例えばホーキング博士は小指ぐらいしか動かせないのに、世界を変えるくらいのことをしています。結局は環境や身体という現実には色々あるけれど、「できない理由」を考えている頭では、結局できない現実しか訪れないということなんですね。いたってシンプルですよね。

病気のせい。なんて表現をしてきたわけなんですが、実は自分の人生を振り返った時に、そんな考え方だらけだったことに気づきました。習い事でも失敗したらどうしようと。その負から引っ張られて出てくるのはいつも負であり、じゃあやらないためになにか理由はないだろうかと。時には親に甘えてみたり。時に熱だしたり。

弱さ、ですよね。

というか、これって今の持病を持ち始めてからとも似てるんです。
精神的な世界では引き寄せるなんて言い方をして、あんまり実感なかったんですが、今思うとやっぱり形は似ているんですよね。
ただその考え方を引き継ぐために今の病気になったようにみえます。

できない理由を作ってるだけなわけです。

やっぱりわくわくして、心から楽しんでやっている人たちには適わないんです。そしてそっち人たちの方がどんどん成長していく。

そんな人たちの頭の中に、今なってきました。近づいてきたのです。
前なら体調悪くなる、と思っていたこともやりたいからと思って、3時という時間に書いているくらいなぜか身体が動くんです。

身に起きたこんな驚きの変化を残したくて書きました。

人生は自分次第ということを身に染みて感じる三十路の冬です。



子供や病気を持つ人が輝けることに使おうと思います。