プログラミングは、プログラマーだけのもの?

「AIに仕事が奪われる」って悪いこと?

これまで人間がやってきたいくつかの仕事は、AIに代わる。
これは、間違いないだろう。
その仕事をしている人にとっては、喜ばしいことではない。
とくにプログラマーにとっては。
だがプログラムにとってはだろうか?
と、ふと考えてしまった。

「建築」は、「建築家」だけのものではない。

「建築って、一部の専門家やエリート技術者だけがやるもんじゃないよね」
「専業主婦だって、やっていい。好きになっていいよね。」
「建築にとって、そのほうが幸せだよね。」
私が大学院生の頃の恩師(教授)が言った言葉だ。
当時は正直こう思った。
「これから社会に出て、新しい建築を創造しようとしている若者のにかける言葉か?」
「誰もが身近に感じる建築? 意味不明。」

当時は建築業界でも、ちょっと癖のある視座がもてはやされた。
ジャック・デリダの「虚構・虚無」
フッサールの「現象学」
ロートレ・アモンの「シュールレアリズム」など。
当時は、40代ですでに頭角を現していた隈研吾さんが客員教授で来ていた。
ラッキー!
話すテーマ。使う言葉。考え方。すべてが他の教授と違っていた。
平気で他の教授の意見にNOと言っていた。
やはり大物!
そんな環境下での恩師のこの’発言。
間違ってはないが、当時の私には必要なかった。
まったく。

1980年代以降は、「建築家」にとって本当に幸せな時代だった。
カリスマ建築家も多く誕生した。
しかし「建築」にとっては、どうだったかな?と思う。
「建築」は庶民が身近に感じる存在になったか?
「建築」に詳しくなくても、自分が求める「建築」を語れる庶民が増えたか?
「建築」は、「建築家」に与えられるものではなく、自分から求める人が増えたか?
ライフスタイルの変化に合わせて車を変えれるように、「建築」もそうなったか?
新築住宅と空き家を同じ「建築」として認識している庶民は、増えたか?

「プログラミング」は、「プログラマー」だけのもの?

「建築は難しいから、素人は手を出すな。」
この思想があるから、空き家の解決は、専門家しかできない。
素人では無理だ。。。となったのでは。
「建築は難しいから、素人は手を出すな。」
この思想がなければ、建築は、もっと身近な存在になっていたのでは?

AIが発達し子供や老人、誰もが自由にプログラムを書けるようになったら。
プログラムは、ともっと人と仲良くなれるかもしれない。
もっと人々に愛され、かわいがられる存在になるかもしれない。
プログラマーの存在価値は、低下するかもしれない。
しかし長い目で見たら、それはプログラマーにとって本当に不幸かな?


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?