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『真理は一つではない』と認識できるインターネット時代だからこそ、『人はなぜ死ぬ必要があるのか?』を考えることの大切さについて。

僕はまだ影響力がない。

でも未来、どこかで影響力を持ってしまった時に紡ぐことが出来ないことが怖かったから、未来の自分のためにも、あえて危険であることを無視して、ここに残してみる。

そしてこれは誰かのためではなく、『僕』『同じ価値観の持ってるまだ出会っていないかもしれない誰か』の未来のために紡ぐ文である。

心理というのは「内なる世界」「外なる世界」を行き来する中で見えてくるかもしれないことで、それは人が常に考える「人はなぜ生きているのか?」を求め続けるプロセスの中にある。

これは古来から生きる哲学者や、僕の好きな平安時代に生きた空海もそう。 先人の哲学者たちが死ぬまでにずっと考えてきたことだ。

そしてインターネットがなかった時代の古来の先人たちには、拠り所としての神みたいなものを捉えてる宗教も多い。しかしインターネットが拠り所としての神みたいなものを台頭してきてる現代社会では、より『内なる世界の拡張』の方が心理に近づいてるのではないかという気もする。

この内なる世界をより拡張していく考えかたを持つのは、仏教を中心とした密教などで、 今の時代だからこそこれらを学びなおす事に意味はありそうだ。そしてこれらを学ぶ上で最も良い方法は、やはり体験をすること。

安易ではあるが、僕もお遍路や寺など、仏教にまつわるあらゆるモノ、コト、ヒトに触れる機会を増やしてみようと思う。(あくまで手段の一つとしてであって、それが全てではない。)

あともう一つ、
先人たちが過去多くの真理のようなものを見つけてきてくれたおかげで、今生きる人は「真理は多く存在している」ということを認識できるようになったのだ。

先人たちは「真理は一つである」という認識を持っていたことが強かったのか、はたまた人類は真理をすぐに認識することが出来ない可能性が高いということを悟ったからか、死という選択肢を持って後世に自らの考えを残して行くことを選ぶことが多かった。

でも僕が最近思うのは、
今の時代を生きる人は「真理というのはいくつも存在し、宇宙的な時間の流れからこの世を捉えると、過去認識され今認識されることも真理だが、今認識され、未来で認識される可能性のあるものも真理であるかもしれない」ということがなんとなくでも認識可能になったのではないかということだ。

だからこそこれからの世界、
人が見つけるべき真理は、「人はなぜ生きているのか?」ではなく「人はなぜ死ぬ必要があるのか?」ではないかと思う。
これは表裏一体に見えるけど、多分表と裏の関係性ではなくて、全く別のことなのかと。

ちなみにこれらを踏まえ、僕の中で今見るユートピアは、「え、お前死ぬことにしたの!?すげぇじゃん!」となる時代だ。今の時代だからこそ死ぬことが最善の選択肢であると認識してしまった人をすごいと褒める時代が来ても面白いのかもしれない。

でも反対にその死に対する理由を聞いた時に、周りの人が納得いかない場合は、周りの人は本気で止めるべきでもある。

多くの情報に触れることができ、多くの人の価値観に触れることができるようになったこのインターネット時代において、死が正しいのではなく、なぜ死という選択肢を選んだのか?ということを共有し、共に考えることに意味があるのだ。

昨日、とある取材で質問された「どんな未来が来ることが良い未来だと思うか?」という質問に対して今の僕が強いて答えるなら、

『内なる世界と、外なる世界を越境し続け、多くの人と共に「人はなぜ死ぬ必要があるのか?」を考え続けながら生きる時代』

が、僕の見るこれから来て欲しい世界なのかと思う。

そんな今日も、Chat Baseで大好きないわしくらぶのシーシャを吸いながらこんな言葉を紡いでみた。

P.S.MIKKEといわしくらぶで、ブロックチェーン技術を活用した新しいトークンエコノミーを作ることを進めることになりました。ご期待ください。

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