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日本サッカーにおける『量』の重要性


みなさん、こんにちは。
私は夏休みに入り、合宿、練習、試合とてんこ盛りな毎日を送っています。でも幸せです。
みなさんはどんな毎日を過ごしていますか?
正直、他の人のことを気にしてられるほどの余裕は自分にはありませんが、少しでも周りのことが見れる視野の広い人になりたいな〜と思います。
さて、それでは、今回は日本あるあるのトレーニングや試合の『量』について書いていきます。
あくまで自分の考えなので、こんなのもあるよ〜とか、こういう考え方あるよ〜とか、それいいね!とか様々な意見がきけたら嬉しいです。
全部自分の力にしてこれからも頑張ります。
さて、それでは、スタート!

①『量』を重要視する育成年代

とにかく『量』を重要視するのは、日本の育成においてとても大きな課題であり、昔ながらの悪き風習であると私は考えている。サッカーで例えると、1日に何試合も試合をしてみたり、何時間も練習をしてみたり、3部練をしてみたり。また、トレーニングの内容はドリブルのみの練習、リフティング、パス&コントロール。とにかくたくさんやることに意識が向き、その上に質も高めろという無謀な要求の嵐である。
別にドリブルやリフティング、パス&コントロールのトレーニングを否定しているわけでは無い。トレーニングに前提があるか、ないかである。
さて、今回はそんな日本の代名詞、
『量』を重要視する育成について述べていく。

②日本はスポーツ大国?

いきなりだが、これを読んでくれている全ての人に聞きたい。日本はスポーツ大国だろうか。長く続く日本スポーツ界の歴史を振り返って見てほしい。また、世界で通用している種目はどれくらいあるのだろうか?




たくさんのスポーツが思い浮かんだ人もいれば、そうでない人もいるだろう。
今ここで聞いたのは、日本はスポーツ大国なのか否か。結果として、私の考えでは日本はスポーツ大国だと考えている。なぜなら、日本は数多くのスポーツで世界大会でメダルを受賞し、2020年に行われた東京オリンピックでは、メダル数で世界第3位になっているからである。
簡単に今思いつく競技を書いてみる。

・ボクシング
・レスリング
・柔道
・フェイシング
・水泳
・シンクロ
・バレーボール
・野球
・ゴルフ
・シンクロ
・卓球
・スキー
・競輪
・陸上競技
・乗馬
etc...

ここで書いたのは私が思いつくだけのスポーツを書いてみたもの、そのままである。
ざっと考えただけでも、これだけのスポーツが世界で活躍し、それに対しての日本の人口を考えると日本は十分にスポーツ大国と言えるのではないだろうか。

③スポーツの本質の違い

スポーツには本質があり、その本質を理解せずにトレーニング、ゲームを行うと様々な弊害が起こる。この章で、明確に示したいことはスポーツの本質に他ならない。
みなさんは、サッカーという競技をスポーツという大きな括りでまとめてはいないだろうか。また、他のスポーツも同様にスポーツという括りにしてはいないだろうか?
各スポーツに各々のルールがあり、様々な競技特性があるように、各種目が持つ本質の特徴からスポーツを分類し、それにより前提の思考も大きな違いがある。
さて、スポーツには本質的な違いがあると述べたが、スポーツには大きく分けて2つの分類ができる。
①競争種目
②闘争種目
この2つの違いはなんだろうか。
鎌倉インターナショナルの河内一真さんの競争闘争理論と関連つけながら定義付けていく。

【競争】の定義
競争とは、同異空間で同時間又は異時間で行わる競技のことを指し、この競争種目では、相手に妨害をすることが許されていない。つまり、練習で積み重ねてきたものが自分次第では、100%発揮できる可能性があるという事。
ex) 陸上 水泳 ゴルフ スキーetc...

【闘争】の定義
闘争とは、同空間又は同時間で行われる競技のことを指し、この闘争種目では、相手の妨害をすることが許されている。つまり、練習で積み重ねてきたことが100%発揮できる可能性は少ないと言える。なぜなら、相手に妨害をされるからである。
ex)サッカー ラグビー バスケ 水球etc...



④【競争】と【闘争】の細分化


【競争】と【闘争】の定義がある中でスポーツはさらに2つに分けることができる。
それは、【個人】か【団体】かである。
簡単に書きすぎたので、ここで一度、4つに分けたものを整理したいと思う。

1)個人競争
陸上、スケート、水泳、乗馬、ゴルフ、
空手...etc

2)団体競争
シンクロ、駅伝、ロードレース...etc

3)個人闘争
ボクシング、柔道、相撲、...etc

3-2)間接的個人闘争
テニス、卓球、バドミントン

4)直接的団体闘争
サッカー、ラグビー、バスケ、水球...etc

4-2)間接的団体闘争
野球、バレーボール...etc

上記に書いたのは、【競争】と【闘争】をさらに細かく分けたものである。間接的とは言っているスポーツは闘争種目では、あるが直接的に相手に妨害、影響を与えるのではなく、物を介して行われるものなので、間接的とする。)
さて、大きく4つに分けてお気づきの人もいるだろうか。この4つの分類の中で唯一世界で勝てていない分類がある。そう、それは団体闘争(直接的)の分野である。なぜ、日本人はこの直接的団体闘争のみ世界で勝てていないのだろうか。
この分類は今回の『量』と直接的には関係のない内容なのだが、各競技の本質を理解し、アプローチをするといったところで、間接的に『量』の話題に関係している。頭の片隅にでもしまって置いてくれると嬉しい。

⑤団体闘争種目における
 練習と試合の関係性


今、【競争】と【闘争】の2つに分けて定義付けたが、この時点で各スポーツが持の特質上、本質的に前提条件が違うことがわかると思う。
何回も何回も練習を重ねて動きを洗礼する事で結果に結びつけていくスポーツは競争的な種目であり、練習→試合→練習→試合の流れになる。逆に闘争種目は試合というものがあり、その時々に応じた状況があり、相手に妨害をする事が、許されている種目なので、試合という大枠から何事も落とし込む事が必要不可欠である。つまり、試合→練習→試合→練習の流れであり、競走種目とは、全く逆の流れである事がわかると思う。

⑥果たして1番必要なのは量?


さて、ここでの議題としては質より量の競争的な思考の話であった。実際に今の日本で行われているトレーニングに目を向けてみよう。
意図があれば良いのだが、サッカーでは、パス&コントロール、コーンドリブル、リフティングなどたくさんの種目で競争的なトレーニングが日本では行われる。サッカーという試合での相手への妨害の仕方(戦術)を知るのは、大学、プロになってからという選手が多くいるというのが、日本サッカーの育成の現状である。(私は競争的なトレーニングが良くないと言っているのではなく、最初にも述べたように、そのトレーニングが試合という大枠からどのような前提条件、意味付けで行われているかが明確なら、私は競争的なトレーニングも時には必要になると考える。)
たくさんの量を練習して結果がついてくるのは、サッカーのような闘争的な種目ではなく、陸上や水泳、空手、スケートなどの競争的な種目に当てはまると言える。
闘争的なスポーツにおいては、ただ、量をこなせば必ずしも、その種目が上手くなるとは限らないということである。技術的には上手くなるが、技術的に上手くなることが、その種目が上手くなる事とはイコールではない。

⑦まとめ


果たして育成の中で1番に必要なのは『量』なのだろうか。もう一度、考え直して欲しい。
私もこの考えの全てが正しいなんて思っていない。ただ、競技を指導、選手としてプレーする上で、各競技の前提条件を本質的に理解することは必要である。
闘争種目の育成において、1番に来るものは『量』では、ない

⑦おわりに


ここまで、読んでいただきありがとうございます。この考え方には、様々な意見があるかと思いますが、日本サッカーが世界の中で後進国であり続けるには、絶対に理由があります。
西洋から伝わってきたスポーツを東洋でやるわけなのだから、前提条件が全くの別になっていても不思議ではない。
スペインの育成年代は1日に60分~90分程度のトレーニング。これは制限をしている訳ではなく、グランドが使えないという理由がほとんどだが、それでも日本は勝てない。日本の方が練習は取り組んで来ているはずなのに。
小学年代では、なんら遜色なくヨーロッパと渡り合えるのに、高校年代、プロになることには雲泥の差で世界的トッププレイヤーはヨーロッパから生まれる。これは、選手が悪いのだろうか?選手の気持ちの問題なのだろうか?身体的、人種的な違いなのだろうか?
上記の差が世界との差だというのであれば、日本は一生サッカー後進国であり続けると思う。
まずはスポーツを細分化し、本質を見抜き、いままで自分がやってきたもの全てを疑う必要がある。
競争的な思考から闘争的な思考へ。

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