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小さな灯、光、祝福

心も身体も、目には見えないエネルギーの流れも、最近あまり良くないと感じる。凝り固まっているような、留まっているような、鬱屈(うっくつ)しているような、そんな感覚。

いろいろと原因や要因はありそうだけど、一つずつ丁寧にほぐしてあげる。

身体に関しては、伸びること、ねじること、緩めることだな。ストレッチとランニング。みんなもここで一緒に、上に腕を伸ばして、ぐいーーっと。肩を回して、肩甲骨のこりをほぐして~。


すってはいてー




最近のもやもやと葛藤をいい感じに適当に書いていく。

まず、僕がどう生きていきたいのかについて。

自己実現をしよう!自分の夢をかなえて生きていこう!とかきくことよくあると思うのだけれど、最近は少し違和感を感じるようになった。

自分の人生は自分の思い通りになる、自分の人生は自分次第だ、みたいなことに問いと疑問がたくさん出てきているこの頃です。

僕が知りたいのは自己実現や夢の叶え方ではなくて。きっと、生きづらさや不安、傷つきや恐れたちとどう共に在りながら生きていくのか、だと思う。

それも知識として知りたいわけではなくて、自分の命と身体を通じて、体験していく、経験していくこと。

自分や人生、他者や社会、その他自然や世界などを思い通りにしたいなんてまったく思っていない。というか、むり。

そうじゃなくて、そんなんじゃなくて、どう思い通りにいかないこと、面倒なことをそれでも引き受けて共に生きていくのかを僕は模索したい。

自分ってめっちゃめんどくさいなあと思うし、他者もそう。
人生だってそうだ。全く思ったようにいかない。自分の心や身体もそう。

傷つくな!って願っても傷つくし、身体よ動け!って祈っても動かない。笑


僕は一人で生きている感覚が0で。同じ場にいるみんなも自分みたいなくらい、他者と生きている感覚があります。こどもたちと遊んだり、旅している時間も自分の一部。そういう他者や時間がいるから、あるから安心して生きられている。そういうすべてのものがあるから大丈夫だと感じることができています。

逆に、それがなければ、僕は生きていけない。まわりの環境がなければ、こんなに動き回れないし、安心して生きていられない。そんな気がする。

そんな風に自分を、自己を捉えたときにどんな状態が豊かなのか、そんなことを模索しながら生きていく。



自分だけが幸せになってもまったく豊かじゃないし、僕はそれだときっと悲しい。人や社会、自然と関わりながら生きていくってめんどくさくて大変な営みなのだけれど、そのめんどくささの中に豊かさや喜びがあると思っているから頑張れる。

思い通りにならなさ、というのは予測不可能なことであって、すべての可能性にひらかれていることでもある。

予定調和の未来に興味なんかなくて、いつまでもこの先何が起こるのか分からない今と未来を楽しんで生きたい。

そんで、思い通りにならなさと共に在りながら僕は僕として生きていく。

揺るがない軸や自己をもちながら、かたち創っていく。それは必ずしも頭や思考、思想のかたさにはつながらない。常に「訂正」へ可能性をひらいておく。

そしてその軸や自己は「ぼく」だけではない。信頼する仲間や大切な人。心震えた景色、魂が揺れ動いた言葉や文章。その他自分が大切に、大事にしたいことたちも共に在る。

人類学的なフィールドワークを通して、私たちは自らの生のなかに複数の他者の生を宿すことができていくように思います。フィールドで誰かと出会い、ふれあう経験。そしてフィールドからもたらされた物語に耳を傾け、見知らぬ存在に思いを寄せ、その意味を理解しようとする経験。一連の経験を経たときに、単数の「私」は、複数的な「私」へと変わっていくのかもしれません。

メッシュワーク人類学ゼミ展2024「複数の生が重なりあうところ」INTRODUCTIONより







生きているとそれはそれはいろんなことがある。むかつくこと、悲しいこと、苦しいこと、絶望の日々だってある。半年前までの僕は毎日死にたいと思っていた。どうやって死ぬのか、そんなところまで考えていた。(その裏で、心から生きたい!とも心が魂が叫んでいた。どうやったら自分が自分を死なせずに生きていけるのかめっちゃ模索していた。よくがんばった、おれ。)


自分の人生の先行きが見えず、回復の光が見えず、ずーっと続く真っ暗闇のトンネルにいて、絶望でした。今僕がここにこうして生きていることって本当に奇跡なんです。それはあなたも同じで。こうして僕が書いた文章を読んでいることって当たり前じゃなくて、奇跡なんです。

生きていると嫌なこと、苦しいこと、悲しいこと、心の底から怒りが湧き上がることもある。その渦中は本当にしんどいんだけど、落ち着いて時間が経つと「あー、いい経験したなあ、いい感情を抱いたなあ」と思ったりもするんだよね~

その時にしか味わえない感情や抱けない苦しみや痛みとかも味わい深いなあ、愛おしいなって思うこともあるんだよね。

怒りとか苦しみとか絶望。どうしようもないこと、とかもなんか悪くないよなと思う。そういうものも味わえる自分の人生、いろんな感情を経験させてくれてありがとう。おかげで退屈せずにすんでいるよ。

こういういろんな感情を味わうことももしかしたら豊かなことなのかも。


これからも波瀾万丈の思い通りにいかない生を目いっぱい感じて生きていきたい。生の実感、生きること。「おれは生きている!」と心の底から叫びたい。

大変なこと、苦しいことも、ちゃんと苦しみながら生きていきます。(その渦中は死にそうになります。。笑)

人間の暴力性、怒りと憎悪。憎しみ、恨みつらみ。醜さ、愚かさ。利己的な側面。忘れちゃだめだと思う。忘れたくない。自分も相手もちゃんと愚かなところがあって。

すべての命には感情がある。利己的な想いもある。それらを無視して、きれいに、利他100%の社会なんて嘘だと思う。

牧歌的な社会が存在したら、良いと思うけれど、現実そんな簡単に上手くは行かない。自分の感情とも向き合いながら、葛藤しながら、他者の怒りや憎しみも抱きしめながら、”幸せや豊かさ”を模索していきます。(むずいけど、がんばってみる)



最近はよくいろんなところに忘れ物をしています。どんなに気をつけても忘れちゃう。笑
もう一回遊びに行く理由になるから、まあいっかーって思ってます。

そして、夜寝たいのに寝れなくて、朝起きたいのに起きられない。笑
追い打ちをかけるように、すごく寝不足です。日々たくさんのことをぎりぎりで生きています。もうちょっと余裕持ちたいんだけどね。


破天荒(はてんこう)と生命力。今年度はどこにいっても生きていける技術と身体を身につけることにします。楽しみ。

こうして書いてみると心が少しすっきりしたみたい。良かった〜。


辛い時や苦しい時、なんか誰かと話したいとき、いつでも気楽に連絡してね。ウェルカム。

この言葉や文章たちがどうなっていくのかどう育っていくのかわからないけれど、まずは自分自身にとって”小さな灯、光、祝福”でありますように。

今日も一日がんばった自分を抱きしめて。なでなで。



”弱さ”と共に。



ひとと自然、ひとと文化、ひとと社会、ひとと人を結びなおす、つなぎなおす、ゆるめる、ほどく、豊かな幸せな関係をみんなで創っていく事業に使わせていただきます!