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進撃の就活day#1

2021年6月22日。
今週も始まりました。進撃の就活。今回は5日間で内定を決めるためのweekです。僕はまだ、大学1年なので就職!就職!って感じじゃないのですが、多くのことを学ぶために今回は参加させていただきました。

第一回目の講義は

自己理念について

です。これについては1番初めに扱ったので、内容の紹介は第一回目の投稿をご覧ください。

今回、考えていくことは現在まで生きてきた19年間でどんな思い出深いことがあったのか。それを考え、紹介していきたいと思います。

2005年 西益津幼稚園に入園

超人見知り。
川や庭が好きでいつも遊んでいた。木登りや魚取りが大好きで、じっとしていることが嫌いだった。でも、初めて会った子とはなかなか話せなかった。後に親友や心友となっていく子と出会う。全てが自由な生活だった。

2008年 西益津小学校入学

超人見知りから人見知りになる。

失敗してもいいんだよ。この言葉を聞いて授業では発表しまくった。先生に褒められることが嬉しくてずっと頑張っていた。卓真くんすごいね、と言う言葉が好きだったし嬉しすぎてよろこびが隠せなかった。

2009年 小学2年生

馬鹿。

全てのことに本気で取り組んでいた。木登り一つとってもどうやったら脚立を使わずに登れるか、ロープがあれば、登れるかも………?考える楽しさが身についた一年だった。体を動かして自然の原理原則を学んだ。南アフリカW杯をみて、すごい!と思った。カッコいい!と思った。こんな人になりたい!そう思った。同時期に、イナズマイレブンがブームだった。イナズマイレブンの円堂守になる。その時、そう誓ったが、ゴッドハンドはだせなかった……

2011年 小学3年生

給食残すとめちゃくちゃ怒る先生に出会う

泣いてでも食べなければいけない。そんな先生だった。教室に一人で残ってでも先生の前で食べさせられました。はやく遊びたいという思いで1人残って食べていたことがあった。と書きたかったけど、その先生の目を掻い潜ってトマトは絶対残してました。そして、苦手なものは全部残しました。何言ってんだこの先生と思ってました。

今思えば、大切なことでした。トマト一つにしても時間をかけて作ってくれた人、調理してくれた人、運んでくれてる人のことを考えたらそんな粗末に扱ってはいけないと小学4年生で考え直しました。

2014年 小学6年生

恩師との出会い

この頃は歴史が大好きで、戦国時代の本を見まくっていました。決して読んでいたわけではありません。陣形を見て、楽しんでいました。そんなときに、歴史好きの先生が担任の先生になりました。その先生は生徒のために全てを尽くしてくれました。国語の授業はキツネの窓しかやった記憶がなく、算数に関してはやった記憶ありません。理科は解剖だけです。そのかわり、プレゼンや共同作業、社会はたくさんやりました。アクティブラーニングの楽しさを知りました。学校がものすごく楽しかったです。何にも縛られないってこういうことかと知ることができました。

2014年8月
子供市長に
500人の参加者のトップに。いやいや参加したイベントだった。でも将来の夢はお父さんのような優しくて努力できる役所の人になるのが夢だった。市長が夢としていた。多くの人をまとめて尊敬される人になりたいと思って立候補したら当選した。始まりだった。

2015年 西益津中学入学

サッカーを始める。

ノリと勢いでサッカーを始めました。キーパーで始めた。最初の練習試合に出たくて、キーパーがいなかったので立候補したのがきっかけです。技術も何をしたらいいかもわからないのに、俺にはできるという自信しかありませんでした。始めたら全然上手くできなくて、悔しくて、キーパースクールにも通いました。チームの役に立ちたくて、そして活躍したくて。練習試合の休憩時間は他校の試合をGK目線でゴール裏から見学してました。この小さな努力の積み重ねの大切さを、学びました。先生方ありがとうございました。

2016年 中学2年生

仲良しこよしからの脱却

いつメン。このクラス最高。一生仲良くしようね。こんな言葉を言われるとすごい嬉しかった。しかし、僕はいきぐるしかったんです。A君がやらないなら俺やるのやめよう。これが口癖だった環境でみんな依存していました。いつも誰かが助けてくれる、でも何か自由な発言をすると馬鹿じゃない?きも!!環境が嫌で横の市の高校に進学を決意しました。

2017年 中学3年生

覚悟

お前なんで声出さないんだ!もっと指示を出せ!コーチに言われて泣いてしまいました。中学1年からサッカーを始めて周りは経験者揃い自分より上手い人に指示なんて無理だそう思っていました。2年間ずっとコーチングをしてきませんでした。その喝を入れられて声を出さない自分が悔しくて悔しくて声を出すようになりました。自分の殻を破れた瞬間でした。

2017年5月

俺が止めたらベスト4

俺が止めたら準決勝に進める。それはPK戦だった。そのPKを止めた。チームをベスト4に連れて行けた。感極まって、仲間のところに走って行った。鳥肌立ちまくった。相手選手にも褒められて中学1年から始めたサッカーで1番幸せな時だった。

2018年科学技術高校入学

ラグビーとの出会い。そして挫折。

俺ならできるそんなことからはじめたラグビーでした。最初の他校との練習試合タッチフットで、キックフェイントを使ったところから始まりました。これは家の垣根相手に練習しまくりました。その甲斐あって監督の目にとまり、ベンチに……
しかし、この年の11月に前十字靭帯断裂の大怪我。普段歩けていることも幸せなことなんだなと感じたました。その時に顧問に『お前はこの怪我の重さがわかっていない!』と本気で怒られたました。涙目で訴えてきてくれた。その顔を見て、俺は頑張らないといけないことを覚悟しました。

2020年1月高校2年

ライバルチームに完敗

切磋琢磨してきたライバルチームに完敗しました。自分自身、マークされていて何も身動きが取れなかった。ボールが回ってこず、実力を発揮させてもらえなかった。悔しくて、ジムに通い始めました。何もできなかった自分を変えたいと思いました。

2020年 高校3年


2020年9月

仲間の怪我

2019年の秋の入部した子が手首の骨折をしてしまった。彼はラグビー、ロボットの勉強も熱心で一緒に試合で活躍することを望んでいた子だった。そんな頑張ってきた姿を見てきたからこそ、活躍させてあげられなくて悔しかった。

2020年10月25日

3年間全てをかけて本気でやってきた仲間との最後の試合で一つ一つのプレーで涙が出てきそうなくらい感動した。悲しいよりもみんなこんなに頑張ってきたんだなと思っていた。自然と鳥肌が立ち奮い立った出来事だった。鼻を骨折して退場したのが最後の思い出です。


1番人生を変える出来事

2019年12月25日
溜まりに溜まったときでした。このままだと、俺は人生失敗すると思ったときでした。再放送日向坂46のクリスマスライブを見終わったあと、絶望でした。3年間全てが中途半端。このままいくと人生中途半端。夢は100個近くあるのに、何も成し遂げないまま終わるのかと思ったら怖くなった。そしてそのときにきめました。高校での勉強は一切せずに経営、経済、企業について高校3年では勉強して、大学には勉強せずに入って、4年間で形にしてやる!その時から意識が徐々にかわり、勝ちマインドを身につけることができました。まだ完璧ではないのですがもっともっと頑張ります。

以上ことからの

私の自己理念

です。

自分は一人ではなく集団で目標達成するこや自分自身の未知な部分やできていないことを達成することに面白さを感じる。探求し続け面白い男だ、もっと話してみたいと認められることがこれからの生きがいにもなるだろう。だからこそ、私は、家族や友人が抱える問題を解決し、増田卓真がいてくれてよかったと思ってもらえるような人になる。直接関わることがなくても知らないところで役に立つそんなみんなが誇らしく思えて、なくてはならない最後のパズルのピースのような男になるために人生を捧げる。

誇れる男

になることです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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