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絵を描く理由

なんで絵を描いているの?
なんで龍を描いているの?

僕の中の答えは
どれだけ深ぼっても

「ただ無性に描きたいから」

ホントにそれだけ。

僕からすると
なんで生きてるの?
なんで呼吸してるの?
なんで人はうんちするの?
と聞かれてるのと同じだから

そんなんわからん!
でも生きてる!
ただしたいからしてる!
となるのだが

描きたいから描いていると言うと

明確な言語化だったり
それっぽい理由だったりが
求められるこの社会では
理解されづらいらしく、

自己分析や言語化が
しっかり深掘りできてない人間
というレッテルを貼られることになるらしい。

僕からしたら言語化すると
言葉の範囲でしか表現できないから
絵を描いているので
え?はてなはてな?となるけれど

どうやら
ただ描きたいからでは
それらしい理由がないと
人は安心できないらしい。

もちろん自分の中に
大和魂を伝えたいだったり
日本や神道の在り方が美しいと
感じていることもあるけれど

僕の在り方の根本には
宇宙ってなんだろう?
=自分ってなんだろう?
という好奇心がものすごく強い。

ほぼ
これだけと言ってもいい。

自分の今の内側を
目に見える形にできるのが絵。

今の自分を絵を通して
観ることができることが
ただ喜ばしくて描いてる。

だから一番の鑑賞者は自分。

木や蝶々、瀧、
自然を見るといつも思う。

彼らはただそこにある。

木は酸素を供給してあげようなんてないし
蝶々は見る人を喜ばせてあげようなんてないし
瀧もただ流れているだけ。

でも人はそれを美しいと感じる。

それはベクトルがどこにも向いていないから。

「ただ、ある」という状態。

この意識状態に自分がなった時
自分はどんな絵を描いているのか?
それを自分が自分で観たい。

人間は欲もあり感情もあり
魂、心、體もあるとても複雑な生き物。

だからこその人間らしい美しさ
というものもあると思うし

本来の自分に一致していく過程で
自分自身がどう変化していくのか?

それを目に見える形で表現するのが
僕にとって楽しい。

柴田拓磨
Takuma Shibata

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