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分散型SNSがもたらす未来に関するアレコレ
こんにちは。大島です。
図らずも緊急事態宣言中の夏(冬)休みとなってしまい予定という予定も無いので、昨今話題となっている分散型SNSについて思うところを書いていこうと思います。
分散型SNSって?
現代のSNSはTwitterやFacebookなど、一つの大きなプラットフォームが運営していることが基本だと思います。ただこの形式はトランプ元大統領のアカウント停止という出来事によって、その影響力の巨大さを問題視する声が出てきており、Web2.0の限界とも言われ始めています。
そこで次世代のプラットフォームとして注目されているのが分散型SNSというもので、代表的なものが少し前に話題になった「Mastodon」かと思います。
Mastdonは必要なソフトウェアがオープンソースとして公開されているため、サーバーさえ立てれば誰でもTwitterのようなSNSを立ち上げることの出来るサービスです(立ち上がっている一つ一つのSNSを「インスタンス」と呼びます)。また、これらのインスタンス間は自由に往来が可能なため、Mastdonとして立ち上がっているインスタンスの投稿はサーバーは違えど横断的に閲覧可能となっています。
このような仕組みであるため、Mastdonにおいてはアカウント停止やインスタンス間の接続制限などは各インスタンスの運営に一任されており、この辺の特徴が「分散型SNS」と呼ばれる所以かと思います。
分散型SNSの良いところ
まず挙げられるのは「表現の自由が侵されにくい」というところでしょうか。Twitterなど各デジタルサービスからトランプ元大統領が締め出しを喰らった際、ドイツのメルケル首相は表現の自由が侵される恐れがあるとして問題視しているといった報道も出ています。
他に表現の場があればよいのですが、TwitterやFacebookなど既存のSNSが更に巨大化した場合、それら企業としてのルールがそのまま表現の規制につながりかねないというのは懸念として理解できます。
その点分散型SNSの場合はルールが各インスタンスに任されているため、あるインスタンスではNGとして判断されても、別のインスタンスではOKということが大いにあり得るので、表現の場が限られるリスクは低いと考えられます。
また他のいいところとしては「炎上しにくい」といったところでしょうか。昨今においては全体の文脈や流れを見ずに、切り取りで物事を判断し炎上してしまうことが多々見受けられるかと思います。また「変な捉えられ方をして絡まれたら面倒だな…」と本音の投稿を避けることもあり得ます。
この点Mastdonのようなサービスはインスタンス間の接続が制限可能であるため、ある種のゾーニングがなされていると言えます。ですので多少過激な発言をしてもそのコミュニティにおいてOKであれば、変に干渉を受けることなく発言が可能です。
また、多少特殊な趣味を持っていても特に迫害されることなくその趣味を楽しむことが出来るのもメリットでしょうか。この辺もTwitterのような大勢いるサービスにおいては迫害を受けやすかったりするので、嬉しいと感じる人は多いと思います。
分散型SNSの懸念点
良くも悪くもゾーニングされることは思想の先鋭化を招くことにつながるとは思います。すでに既存のSNSでも発生はしているとは思うのですが、他人のTLは別世界、みたいな話で普段自分の見ている世界が当たり前ではない、ということももっと気付きにくくなるかなと。
そうなると懸念されるのは、先鋭化されている思想を世の中の当たり前、翻って正義と認識し、現実世界で争いが表層化してしまうことです。恐らく今回のトランプ元大統領を取り巻く一覧の騒動もSNSが分散化したからといって止められるものではなく、むしろ助長されるのではとも考えます。
これは政治の話だけでなく広く思想というものに係わってくるので、より影響は広範囲化しそうです。日本で言えばジェンダーの話や世代間など、対立が起こっている分野でより分断が進んでいきそうな気がします。
とはいえ流れには逆らえない
そんな懸念点はありますが何をどう言っても世界の流れというのは止められないので、その流れの中で何を成すか、自分としてどう在るかが重要です。おそらくですが今後更にデジタル空間上で時間を費やすことが増えていくと思っていて、デジタル空間での出来事が現実世界に影響を及ぼすことがもっと増えていくと考えています。
最終的にはデジタル空間に国に似たコミュニティのようなものが形成され、自分にとって心地のいいコミュニティに複数所属することが当たり前になっていくとは思うのですが、その過渡期においては上記のような問題は色々なところで発生しそうです。
だからどうだという訳ではないのですが、私個人としてはハマり過ぎず、先鋭化している部分があってもそれをきちんと自覚しながら、デジタル化する社会の流れに乗っていこうと思います。
特にオチは無いですが、今日はここまで。
大島
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