今でも「人間50年」

小籔さんが「ざっくりYouTube」で新喜劇の座長を辞められる理由について、「いつまでも自分が座長としてメディアに出ていたら、次世代の座長のすち(すちこでお馴染みの元ビッキーズすちさん)やあいちゃん(酒井藍さん)のイメージが薄なるから」と話していた。
40代でまだまだ若いのに、という印象もあったけれど、その心意気を立派だなと思った。

それを受けて、現代日本におけるどことない停滞感の理由が、こういった人材の新陳代謝が遅くなっていることにあるのかなと思った。
確かに総理大臣は普通に還暦越えたおじいちゃんばかりがやっている。
そりゃいつまで経っても新しくはなれないよなぁ。


じゃあ、なぜそんなことになったのか。
多分、平均寿命が延びて、「人生100年時代」なんて言われるようになってしまったことにあるんじゃないだろうか。
60歳で亡くなった人に「まだまだ若いのに」なんて言ってしまうから、いつまで経っても新陳代謝が進まない。
高齢者は老害だ、なんてことを言いたい訳ではない。
ただ、人には歳を重ねるごとにその年齢に合わせた役割というものがあるように思う。

出産に関しても似たようなことを思う。
晩婚化が進んだり、多様なライフスタイルが受け入れられつつある中で、いわゆる高齢出産が増えていっている。
しかし、高齢出産にはリスクが多い。出産なんてそもそもリスキーだなんて言う人もいるけれど、流産率が上がるというデータもちゃんと出ているし、話にならない。
実際問題、産まれた後も大変だ。
子どもが小さいうちの子育てには体力がいる。ぶっちゃけ子育て世代が労働しているのはおかしいんじゃないかとくらい思っているが本筋から外れるので置いておくとして、やはり年齢による体力の低下は免れない。
そういった自分がまさに直面している現実問題を考えると、「30過ぎてまだ結婚してないの?子どもはどうするの?」とかいうお歳を召した方々の言うことは実に筋が通っていると思うし、それに対して個人の自由だなんて突っぱねる人はただただ現実のわかっていない甘ちゃんだと思ってしまう。

やはり、年相応の役割が人にはあると思う。
現代科学の発達で寿命が延びたり、医療が発達していても、クリア出来ない問題が多々あるのが現実だ。
32歳なんてまだまだ若いけど、もう子どもも二人出来て、残りの自分の人生は次の世代の為にあるんだなと最近強く思う。
分不相応な夢物語に縋らない、そんな人間にやっぱりなりたい。

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