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絵は右脳で描くもの

霜降りミキXITの突然のお絵かき対決、腹を抱えて笑ったのですが、兼近さんの絵は明確な奥行きがあり、手前が大きく奥が小さく描かれており、さらに人物の後ろ姿を描いているんですよ!空間を把握している!あと、手前のキャッチャーの体、半身が紙面の外側にある描写なので、途切れていますよね。本当に脳内に浮かんだ絵を描き表したか、どこかで見て記憶に残っている画像を再現したか、どちらにしても頭に浮かんだ情景を必死に伝えた感があってすごくいい!授業中だったらめちゃめちゃほめるよ!「だいきくんのえはここがこうなっててこうだからすごくいいんだよ!!」ってほめますよ!練習したらもっと絵が上手になるんじゃないかなって!ただ残念ながら、じっと座ることが苦手なお子さんが、図工の時間大人しく座って絵を描くわけないんですよね!!!そういう子には手に付かないにおいのしない粘土を用意してあげてください!!!

(オタクの長文早口うざいですね。ごめんなさい。)


一般的に描画に奥行きが生まれるのは小学校高学年からで、それ以前は「ものが重なっていると向こう側は見えない」ということを描写できないといわれています。ただ、左脳は「隠れているけれど、ここには腕が存在する」という情報を記憶している。目に映る画像を右脳が処理する前に、左脳のもつ記憶が優先されるため、手がものすごく長く描かれた人物になるのです。二人の人物(しかも全身像)を真横から描くのは、位置関係や体勢などをすでに情報として記憶しており、その記憶を説明しようとしているからだと考えられます。



よくテレビで「画伯」と呼ばれる個性的な絵を描く方が絵を披露して笑いを生んでいますが、どきっとします。あと、運動神経悪い芸人の企画もどきっとする。

運動神経悪い芸人や絵心無い芸人の企画は、苦手なことも笑い飛ばして人気者になろうぜっていう一面もありますが、こんな風に笑っていいんだ・いじっていいんだという誤解を生む危険性もはらんでいるので、私たちは同じことが学校で起こらないように、あれはショーであることを肝に銘じています。



【よくわかる『インクルーシブ教育システム構築へ向けた合理的配慮』】

(さっぱりわからん)

漢字が書けないのでフリップが苦手だとか、絵が描けないので大喜利で損しているとか、そういうご意見を聞いて、「学校だったらこれを解消することが『合理的配慮』になるけれど」「大喜利という戦場で合理的配慮ってアリなのかな?」とよぎりました。

思いついたのに書けなかった、となると「せいやさんや兼近さんの解答が見たい。せっかく思いついたのに!」となりますね。学校でも、思いついたのに漢字が書けないから、合格点が取れず悩んでいるお子さんがいます。合理的配慮とは、「漢字が書けなくてフリップ芸が苦手?じゃあ電子辞書を用意しましょう」という流れのことです。インクルーシブ社会実現へ向けて。

しかし、「そういうの、特別扱いじゃないのか」と言われることも多々あります。配慮を受ける本人も特別扱いしないでほしい、と思っていることがある。この場合は「え、芸人だったらそういうの関係なくない?フリップに絵を描ける人は、お笑いの武器を持ってるってことでしょ。なんで描けないヤツに配慮しなきゃいけないわけ?」という意見が出るでしょう。

確かに、全員が電子辞書とタブレットを装備したIPPONグランプリは、少し醒めるかもしれない。以前、漢字が思い浮かばない兼近さんにタブレットを用意してあげて、と書きましたが、それはMステだからであって、そもそも教室とスタジオは目的が違う世界です。みんなができないことをしてみせるから、粗品さんはR-1王者なんですよね。


兼近さんもせいやさんも、目で見たものをすごくはっきりと頭に思い浮かべることができるタイプなので、あとは、脳から手への伝達訓練だけだと思うんですよ。早い話が、兼近さんせいやさんのお絵かき大喜利超見たい!っていうそれだけなんですよ!


余談ですが、「兼近は漢字が書けない」じゃなく「漢字が浮かばない」っていう表現をしたりんたろーさんのお言葉、とっても素敵だと思います。









「かが屋鶴の間」の兼近さん、りんたろーさんのゲスい律俳句で具合悪くなっちゃった。え、天使かな????虚空を掌で撫でてエアよしよししました。

公園に行って紅葉の隙間から秋晴れの空を見て心のバランスを取り戻してください。健やかであれ・・・