ローリング膝栗毛_続_表

ローリング膝栗毛(続)

 ちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃららん、ちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃららん。
 暗闇の中からジョン・レノンの楽曲『イマジン』の前奏が聞こえてきて、センターマイクの前に立った若手演歌歌手は、観客一人びとりに訴えかけるようにして歌い始めた。

  想像してごらん 天国なんて無いんだと
  ほら、簡単でしょう?
  地面の下に地獄なんて無いし
  僕たちの上には ただ空があるだけ
  さあ想像してごらん
  みんながただ今を生きているって

  想像してごらん 国なんて無いんだと
  そんなに難しくないでしょう?
  殺す理由も死ぬ理由も無く
  そして宗教も無い
  さあ想像してごらん
  みんながただ平和に生きているって

  僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
  でも僕一人じゃないはず
  いつかあなたもみんな仲間になって
  きっと世界はひとつになるんだ

 観客は皆固唾を呑んで見守っていた。
 ちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃららん、ちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃーちゃららんらーん。
やがてピアノの独奏が止み、どっつんどどつん、つくつくつくつくつくつくつくつく、ドラムを合図にギター、ベースも加わって、バンド演奏が始まると同時に照明があかあかとステージを照らし出した。
 若手演歌歌手はマイクスタンドからマイクを外して、両腕を地面と平行に伸ばし、天を仰いで自らの姿を十字架に模して、俺が、俺こそがジーザス・キリストだ、と言わんばかりにポーズを取った。

  想像してごらん 何も所有しないって
  あなたなら出来ると思うよ
  欲張ったり飢えることも無い
  人はみんな兄弟なんだって
  想像してごらん
  みんなが世界を分かち合うんだって

  僕のことを夢想家だと言うかもしれないね
  でも僕一人じゃないはず
  いつかあなたもみんな仲間になって
  きっと世界はひとつになるんだ

「どこいふんでふか?」
 河童が濁った目で凝っと私を見つめながらそう言ったような気がした。だが騒音に搔き消されて河童の口の動きしかわからなかった。
 椅子から尻を浮かせて全立ちになっていた私は、くううっ、とびきりキュートな笑顔でもってこれに応えて、ニンニン、ニンニン、忍者ハットリくんの物真似をしながらあんこうの吊るし切りショー会場を後にした。

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「もうさあ、ドーナツが新しい時代に突入してるってことなんだよ、いい? もうさあ、二ついまからドーナツ紹介するんだけどさあ、もう見てわかるの、いい? これが従来のドーナツでしょ? で、最近出てるドーナツてのがこれなわけ、いい? もうなかに穴が無くなってるドーナツが出始めてるってことなの、でじゃあ、齧って確認してみるよ、なにが違うのか確認してみるから、ね、この食感がね、このふわふわしてておいしいよ、でこっちもね、うん、食感がふわふわしてておいしい、じゃなにが違うのってことなの、穴が無いドーナツを敢えて出す必要はどこにあったのかってこと、考えてみて、信じるか信じないかはあなた次第です」
 忍者ハットリくんの物真似をしながらあんこうの吊るし切りショー会場を後にした私は、その足で深夜バスに乗り込み、バスに揺られること十余時間、途中三回のトイレ休憩をはさんで、明け方、こんだジェイアールの在来線に乗り換えて、すっこっこっこっすっここんすっここんすっこっこっこっすっここんすっここん、終点である小さな港町の駅で下車した。
 そこからタクシーを捕まえて港へ。水面を見つめながら人差し指から光線を出して、カモメを黒ギャルに変化させたり、それに飽いたらまた人差し指から光線を出して、黒ギャルを小林多喜二に、それから重曹、多喜二多喜二、重曹と次から次へと変化させて、そしていまは重曹をMr.ドーナツ伝説 咳暁夫という笑い芸人に変化させて、私が審査員となってネタ見せのようなことをしておったところへ。
「ヒシャゲ斤子は元気ですか?」
 一体いつからそんなところにいたのか、肩に子犬を乗せた男が私の隣に立って、くりくりの瞳をこちらに向けて微笑していた。

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「ヒシャゲ斤子は元気ですか?」
 ヒシャゲ斤子。はて、とんと聞かぬ名だ。もしかするとこの男は私のことを誰かと間違えているのではないかしら。そう思った私は、
「すいません、ちょっとよくわかんないっす」
 ごくあっさりと答えて、ネタ見せに集中しようとすると、
「ヒシャゲ斤子は元気ですか?」
 男は、ずいっ、と鼻先が触れる距離までくんくんに顔を近付けてきて、くりくりの瞳で私の目を真っ直ぐに見つめながら同じ問いを同じトーンで繰り返してくる。口が激烈に臭かった。
 くわつはつはつはつはつ。どこのどいつかあ知らねえが、この俺っち相手にこげな態度を取るたあとんだお兄さんだよ。よござんす、ちょいと遊んで差し上げやしょう。私のなかの尻っ端折りした早飛脚がそう言って、私は鼻っ面を男の鼻にぴったりとくっつけて、チベットスナギツネのような瞳で男の目を真っ直ぐに見つめ返した。
「ああ、はいはい、ヒシャゲ斤子さんですよね、覚えてます覚えてます」
「斤子は昔から猿脳が大の好物でしてねえ」
「ええ、ええ」
「いまでも斤子は猿脳が好物ですか?」
「好物ですとも、好物ですとも」
「そうですかそうですか」
 男は嬉しそうに何度も頷いて、かと思ったら、ちょっとお待ち下さい、と言い、懐中から錆びた鎌を取り出して、
「斤子に会ったら渡して頂けないでしょうか」
 微笑しながら、ずいっ、私に鎌を差し出してきた。
「お任せください。きっと斤子さんにお届けしましょう。この胸の蹄に懸けて!」
「有難う御座います。斤子の事、くれぐれもどうか宜しくお願い申し上げます」
 言い終わらないうちに、すうっ、男は半透明になってゆき、どんどんどんどん半透明になって、やがて全透明になって、子犬諸共目の前から姿を消してしまった。
 私は男から受け取った鎌を見た。
 刃の部分にべっとりと血液が付着していた。
 笑い芸人はまだネタ見せを続けていた。

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「そこでね、僕言ってやったんです。マッピーこと松本ともこさんの声色を真似て。それって二毛作なんじゃないのー、って」
「ぶはははははははっ」
「二毛作なんじゃないのー、って」
「や、やめてくれっ、腹が、腹がよじれるっ」
「多毛作なんじゃないのー、って」
「ひー、ひー、死ぬー、死ぬー。そ、それで、そのミギミミノミコトって奴はどうしたの?」
「はい、顔面を三倍に膨らませて、全身をぷるぷる震わせながら、くううっ、くううっ、とけだもののように呻いてました」
「ださっ、ミギミミノミコト、ださっ」
「草っ」
「藁っ」
「げらげらげら」
「げらげらげら」
「はー、愉快愉快。いっやー、それにしても今度の持ち主があなたのように話の通じる人でホント、よかったー」
「どっさかい、どっさかい、私こそいい話し相手ができて助かったよ」
「せやろがいっ」
「うん。ところで君、まだ聞いておらなかったけれども、名はなんというのだい?」
「名前ですか? 名前無いんですよー。まあ大抵はただ単に、鎌、と呼ばれてました。なかには、妖鎌、なんて呼ぶ人もいないことはありませんでしたけど」
「ふむ、妖鎌か。ようがま、ようがま。うーん、語呂が悪いね、どうも。よろしい、私が新しく名前を付けてあげよう」
「ホントですか? うわー、嬉しいなあ」
「どうれ、そうと決まったら早速名前を考えよう。はい、考えた。ね鹿スーパー、というのはどうだろう?」
「いっす、それ、チョーいっす」
「ようし、決まりだ。今日から君はね鹿スーパーだ」
「今日から僕はね鹿スーパーかあ、うふふ」
「おっ、ね鹿スーパー、そうこうしているうちにどうやらフェリーが船着場に到着するようだぜ」
「本当だ、アナウンスが流れている。ところで、向こうに着いたらどうなさるおつもりです?」
「そうさな、串揚げと焼酎の店でも始めようかしら。からからから」

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 中名生シャク児は最後の一頭を放ち終えると、DIYで作製した丸太椅子にどっかと腰を下ろし、作業着の胸ポケットからシガレットケースを取り出して、簡易ライターで莨に火を点けた。
 放牧された牛たちは、草を食んだり、座りをしてリラックスしたり、立ち止まって大便を垂れ流したりするなど、各々勝手気儘に振舞っており、中名生シャク児はその様子を莨を喫らせながら満足気に眺めていた。
「どれ、俺も飯にするか」
 心内語でそう言った中名生シャク児は、護謨長靴の靴底で莨の火をもみ消し、それから丸太椅子の上に弁当を広げた。
 握り飯に香の物。
 三十年連れ添った妻の手料理であった。
 中名生シャク児は握り飯を頬張りながらiphoneを弄り、スナックのホステス、聖羅ちゃんにLINEを送った。するとすぐに既読がついて、〈聖羅も楽しかったお♡今度はいつお店に来てくれるー?〉というメッセージとともに、擬人化されたサーモンの寿司が微笑んでる、みたいなスタンプが送られてきた。それを見た中名生シャク児はニタニタと舌舐めずりをして、〈お店ももちろん行くけど、今度は外で会いたいなー♡がるるるるるっ(狼)〉と、助平心丸出しの返信を送ろうとした時であった。
「もおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ」
 断末魔のような、異様な牛の悲鳴が遠くの方から聞こえてきて、中名生シャク児は、なんだなんだなんだなんだなんだ、と慌てて握り飯とiphoneを丸太椅子の上に置いて、悲鳴の聞こえてきた方角へ、えいっ、と駆け出した。
 そして悲鳴のもとまで来た中名生シャク児は、
「こ、これは…」
 と声にならない声を口の端から洩らして、呆然とその場に立ち尽くしてしまった。
 そこには頭部から胴体にかけて、食い散らかされたようにぐじぐじになった牛の屍骸が、見るも無惨な姿で横たわっていた。
「い、一体、なにが…」
 わなわなと総身を震わせる中名生シャク児を包む、巨大な異形の影。背後になにかいる、と中名生シャク児が恐る恐る後ろを振り返ろうとした瞬間。
 全身に激しい衝撃。
 それぎり中名生シャク児の目の前は真っ暗になった。

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 おーんおんおんおんおんおん。おーんおんおんおんおんおん。おーんおんおんおんおんおん。おーんおんおんおんおんおん。
自衛隊の車両が一台、二台、三台、四台、砂埃を舞い上げながら脇を追い越してゆく。
 私は片側一車線の一本道を、法定速度六十km/hで走行していた。
 ダッシュボードではね鹿スーパーが、

  行くぞゴングだとび出せ ファイト(おー!)
  出てくるやつは ワン ツー パンチ
  ノックアウトだ右まわしげり
  いまだチャンスだ真空とびひざげり
  キック キック キックの鬼だ

  行くぞ男だ力のかぎり(おー!)
  逃げるやつには三段げりで
  ひじうちかわして ハンマーパンチ
  いまだチャンスだ真空とびひざげり
  キック キック キックの鬼だ

 一九七〇年に放送された梶原一騎原作のテレビアニメ『キックの鬼』のオープニングテーマを熱唱していた。
 私はね鹿スーパーに話しかけた。
「ねえ、ね鹿スーパー」
 ところがね鹿スーパーは歌唱に夢中になっており、私の問いかけが聞こえなかったのか、今度は『怪獣王ターガン』のオープニングテーマ「怪獣王ターガン」を歌い始めた。

  宇宙の平和を乱すやつは
  地獄の底へつきおとせ
  ターガン ターガン
  スーパーばりきの怪獣王
  行け タングロー!
  リキラー がんばれ!
  とべ マリュー!
  たのむぞ ヒュー・ヒュー・ポーポー
  ターガン ターガン 宇宙を守る
  ターガン ターガン ぼくらの味方

 私はね鹿スーパーが歌い終わるタイミングを見計らって、再度ね鹿スーパーに話しかけた。
「ねえ、ね鹿スーパー」
「ほえ? なんです?」
「ここら辺は牧草地ばかりだね」
「牧草地ばかりですねえ」
「たまに牧場の看板が立ってるくらいで」
「ええ、この辺りじゃ酪農が大層盛んなんでござあしょうなあ」
「うむ。ほら、あすこを見てごらん。牛が嫌な目でこちらを見てる」
「本当だ。可愛らしゅうおますねえ。あれ?」
「どうした、ね鹿スーパー?」
 ね鹿スーパーに釣られて前方を見やると。
 先程私の車を追い越していった自衛隊の車両が百米先で、まるで上からなにかで圧し潰されたようにべらべらになって白煙を上げていた。
「なにかあったんでしょうか?」
「Uh-huh.とりあえず現場に行てみょう」
 私はね鹿スーパーを手に取って車を降りた。そして白煙の上がる方へ、ゆらゆらと近付いていった。

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「お客さん、ここいらの人じゃないね」
 がりがりに痩せた、坊主頭を橙色に染めた女は、洗面器の中の湯とローションの混淆物を撹拌しながら言った。
「ねえ、お客さんなにやってる人?」
「さあね。なんに見える?」
「えー」
 ボクサーブリーフを脱ぎ捨てて全裸になった、ソバージュヘアーを腰まで伸ばした男は、よっ、とその逞しい両腕を頭の後ろに回して、マットの上に仰向けになった。
「うーん、わかった。業界の人でしょ?」
「まあそんなとこかな」
「スゴーイ」
 台詞の割に別段驚いた様子も見せず、女はローションを二、三度手で掬うと、自分の体にローションを万遍なく塗りたくり、「それじゃ、失礼しまーす」と言って男の上へ馬乗りになって、男に覆い被さった。
「おほっ」

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