ローリング膝栗毛_続々_

ローリング膝栗毛(続々)

 白煙の上がる方へゆらゆらと近付いてゆく私とね鹿スーパー。
「あちゃー、こりゃさっぱりわやですわ」
 べらべらになった自衛隊の車両を検分しながら、ね鹿スーパーは態とらしい上方語で言った。
「一体なにがあったんでおまっしゃろ? ややっ、どうしました?」
「これを見てごらん、ね鹿スーパー。ほら、なにやら足跡のようなものが残っている」
「ほんまや、ほんまや。せやけどえらいでっかい足跡でんなあ」
「うん、直径で五尺はある」
「どうやらあっちゃの方へ続いてるみたいでっせ」
「うん、そのようだ」
「どうです? 物見がてら、ちょっくら辿ってみまひょうか?」
「Oui.行てみょう。てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「てくてくてくてく」
「ぴたっ」
「どうしました、キングコングバンディ?」
「誰がキングコングバンディとアントニオ猪木のボディスラムマッチやねん。耳、澄ましてみ、耳」
「耳ですか、あっ、あしこで何者かが一九一九年にロシアで発明された史上初の電子楽器、テルミンを演奏している。し、しかし、これは…」
「げっさ下手くそだよね」
「はい、なんだか人員整理で会社をリストラされたサラリーマンが職業安定所で失業給付の説明を受けているような音色、みたいな?」
「それな。兎に角話を聞いてみょう。おおい、おおい」
「おおい、おおい」
「おおい、おおい」
「おおい、おおい」
「ひいいっ、な、なんだ、なんだ、お、お前は?」
 背骨が後方にひどく湾曲して前屈みになったせむし男は、私の姿を見るや跳び上がって、どんがらがっしゃん、座っていたアウトドアチェアーからひっくり返った。
 万延元年六月十七日のことであった。というのは嘘であった。

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「ひいいいっ、ひいいいっ、ひいいいいいいいいっ」
 地べたを這いずり回って、その場から必死に逃れようとするせむし男。
 そんなせむし男を諭すように、穏やかな口調で私はせむし男に声を掛けた。
「どうなさったのですか? なにをそんなに怯えてらっしゃるのですか?」
「ひいいいいっ、ひっ、ひっ、ひっ」
「安心してください、私はあなたに危害を加えるつもりはありませんよ」
「ひっ、ひっ、ひっ、ひっ、ひいいいいいいいいっ」
「話、聞かんかえっ」
 大喝して、私はせむし男の片足を両腕で取り、足首を脇腹に押し付けるようにクラッチしたのち、その体勢から自ら素早く内側に錐揉み状態で倒れこんで、せむし男を回転力で投げ飛ばした。
「ふぐうううっ、ふぐうううっ」
「大丈夫ですか? お怪我はございませんか?」
「こ、殺さないで」
「Pardon?」
「殺さないでくれ」
「殺す? 誰が誰を?」
「だ、誰って、お、お前が、お、お、お、おいらを」
「私があなたを? Hahahahahahahahahahaha! いや、ひつれい。私が初対面である筈のあなたを殺すわけがないぢゃありませんか。ね? そうでがしょう? 一体全体どうしてそのようなことをお考えになられたのです?」
「だって……」
「だって?」
「そ、そ、それっ、鎌っ」
「鎌? Goddamn! これかっ! これがあなた様を怯えさせていたのですね。まったく私ときたら! 大変ひつれいをば致しました。では早速この鎌はこうやってしっかりと懐に収めることにしまして、さあ、これでようやっと信用して頂けたでしょう?」
「信用できない」
「信用できない。そうですか、残念です。あなた様がそう仰るならば仕方がありませんね、もいっちょ片足をひつれいしまして、足首を脇腹に押し付けるようにクラッチして、と」
「わかったわかったわかったわかったわかった、信用する信用する信用する」
「信用して頂けますか。善哉、善哉」
 私はクラッチした足首を解除して莞爾として笑った。

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「で、一体なんの用だよ」
 倒れたアウトドアチェアーを元の位置に設置し直しながら、せむし男はもはや私に対する反抗的な態度を隠すことなく半ギレのように言い放った。
 私はそんなせむし男に山形さくらんぼテレビの中濱綾那アナウンサーの口調で尋ねた。
「はい。私は直径およそ五尺ほどの足跡を辿ってここまで来たのですが、その足跡についてなにかご存知のことはございませんでしょうか?」
「ぺっ、知らねえよ」
「そうですか。あー、なんだか見境なく鎌をぶん回したくなってきたナー」
「待て待て待て」
「なんですか? なにか思い出しましたか?」
「思い出した思い出した」
「聞きましょう」
「八日前のことだ、中名生の親爺、あ、中名生ってのはここいらで牧場を経営している奴のことなんだけどな、この中名生の親爺とそこんとこの牛が変死する、っつう事件が起きてよ、ひひひひひひっ、日頃からいけ好かねえ野郎だと思ってたんで、ざまあ見さらせ、ってんでおいら胸がすっとしてね、ひひひひひひっ、どれ、一体どんな死に方しやがったか一目拝んでやろうと思って、勢い込んで現場を冷やかしに行ったわけよ、そしたら嫁が通報したんだろうな、公僕が規制線を張ったあとで中の様子がさっぱり分からない、けれども辺り一帯物凄い腐臭が漂っていて臭えのなんの、野次馬が話してるのを聞くには、そりゃあもうひでえ有り様だったとか、あんたが言ってた謎の巨大な足跡があちこちで見つかっただとかいう話でよ、それから今日までで同じような事件が四件も続いてな、この土地の人間はいまや皆口を揃えては、やれ祟りだの、地主神の仕業だのってすっかりと怯えちまってるっつうわけよ、てかあんた、さっきからおいらの話聞いてんのかよ?」
「すみません、Youtubeでサンドウィッチマンのコント見てた」
「ずこーっ」
「嘘嘘、聞いてた聞いてた。で、そんな状況にも関わらずあなたは熱心にテルミンの練習ですか?」
「おうよ。来月モスクワでテルミンの世界大会があってな、
こう見えておいら前回の大会で世界二位だったのよ」
「マジっすか? チョー卍っすね。つかサイン貰ってもいっすか?」
「よろしい、どれ、すらすらすらっと、名前は?」
「あ、名前はいっす。あとでヤフオクで転売するんで」
「がびーん」
「あざあす、なんかさーせん、練習の邪魔しちゃって、大会、頑張ってください、応援してるっす、ぢゃ」
 せむし男から色紙を受け取った私はそう言ってせむし男の懐に素早く潜り込み、全体重をのせた渾身の肝臓打ちをお見舞いした。
「ぐぼっ、げえええええっ」
 胃液を垂れ流しながらその場に崩れ落ちるせむし男。
 人の世の常は栄枯盛衰。猿とカンガルーの混ぜ合わせ丼だ!

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「花言葉クイズです。キチジョウソウの花言葉はなんでしょう?」
「獣姦」
「違います。正解は、吉事、でした。次の問題です。ブーゲンビリアの花言葉はなんでしょう?」
「屍姦」
「違います。正解は、情熱、でした。次の問題です。デルフィニウムの花言葉はなんでしょう?」
「近親相姦」
「違います。正解は、清明、でした」
 せむし男と別れた私は来た道を戻って、ね鹿スーパーが提案した花言葉クイズに付き合わされながら、再びハイウェイを加速させていた。
 しばらく走ると車は大きな橋に差し掛かった。
「ほげえええ、随分と大きな橋でげすねえ」
 助手席に置いたね鹿スーパーが言った。
「うむ、見たまえ、向こう岸が全然見えない。靄もかかってきたしね」
「なんだかとても嫌な予感がします。この橋を渡り切ったら、なにか途方もなく良くないことが起こりそうな気がして…」
「馬鹿野郎っ! ばしっ」
「なんですか、いまの?」
「いまのは君の頬桁を叩いた音だ」
「あのー、僕に頬桁、無いんですけど」
「うるさいっ、あくまで精神面での話だ」
「あ、そうなんですか」
「そうなんです。それをふまえてもう一回、私は君の頬桁を叩くからね、お願いしますよ、ほんと、それじゃあもう一回いきまーす、いいですか? 気持ちつくって、いきますよ? 三、二、一、はいっ、ばしっ」
「い、痛いっ、な、なにをするんですか?」
「馬鹿野郎っ。それでもなあ、俺たちは前に進むしかないんだよ。フライパンに水百八十竓と麻婆豆腐の素一袋入れて、中火で煮立たせるんだよ。豆腐は賽の目に切って、トロミ粉は大匙二の水で溶いておいてね」

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 ソバージュヘアーを腰まで伸ばした男は、カマドウマのような形態で、四足歩行をし、背中に大きな目玉が一つある、指は三本で鉤爪のような爪を持つ、体長十二米の異形の生物と対峙していた。
 辺りには壊れたテルミン、及びその他機材が散乱していた。
 男は首の骨を左右にこきっ、こきっ、と二度鳴らして、friendlyな態度で異形の生物に話しかけた。
「やあ、今日の調子はどうです?」
 それに対して異形の生物は、背中の大きな目玉からテレパシーを発して、男の脳内に直接語りかけた。
「悪くないわ」
「それはよかった、ヒシャゲ斤子さん」
「ど、どうしてその名を?」
「なあに、テレパシーの応用ですよ。テレパシーであなたの脳内にaccessして、記憶のfolderを少し覗かせてもらったのです」
「あなたは一体…?」
「はっはっはっ、ただの通りすがりの昼行灯ですよ」
「いえいえどうして、お見逸れしました。仰る通りかつて私はヒシャゲ斤子と呼ばれていました。いまとなってはその名もなんの意味も成しませんが」
「わかりますわかります。ところでどうです? 先般コンビニエンスストアーで冷やしぶっかけ温たまうどん、なる商品を購ったのですが、よろしければこれを二人でshareしませんか?」
「頂きましょう」
「へっへっへっ、そうこなくっちゃあ。それではいまから私奴が調理しますでな、ええと、添付の麺つゆを麺にかけてよくほぐしてからその上に葱と温泉卵をのせて、あははははは、もう出来上がりだ」
「かんたーん」
「さあて、早速これをshareしましょう。あなたのその大きな鉤爪では箸を持つことは困難かと思われますので、私が口元まで運んで差し上げましょう。どうれ、口はここでいいのかな? はい、あーん」
「ずびずばずびずばずびずばずびずば」
「おほほほほほほほ、これはこれは、実に素晴らしい食い振りだ。お味の方はいかがです? お口に合いますでしょうか?」
「おいひー」
「それは実に結構なことで御座います」
「ええ、ほら私、食事といいましてもいつも獣肉や人肉ばかりでしたでしょう? ですからこういった繊細な味に飢えておりましたの」
「そうでしたかそうでしたか。ささ、他にも麦酒、日本酒、ウイスキー、焼酎、サワー、カクテル、ソフトドリンク各種等ご用意しておりますで、どんどんとお召し上がりください」

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「うわっ、前っ、前っ」
「むう」
 橋の途中、突如として空から数千、数万のだんじりが降ってきて、どんがらがっしゃん、そのうちの一台がフロントガラスに突き刺さり、フロントガラスを粉々に粉砕した。
「うほほ、だんじりが邪魔で前が見えない」
「車体ももう持ちそうにありませんでさあ」
「仕方が無い、車は捨てて歩いて行こう」
「臼っ」
 ね鹿スーパーを手にした私は、変形したドアーを力でもってこじ開けて、だんじりの嵐のなかを、じりっ、じりっ、打たせ湯を浴びるカピパラのように進んで行った。
 靄、いよよ色濃くなって。

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「ばりっ、ぼりっ、くっちゃくっちゃくっちゃくっちゃ、ぺっ、ぺぺぺっ、ぷっ、ぐびっぐびっ、ぐびっぐびっ、げえええっ」
 かつてヒシャゲ斤子と呼ばれた異形の生物の屍骸の上にどっかりと大胡坐をかいたソバージュヘアーを腰まで伸ばした男は、ヒシャゲ斤子の肉を削いではこれを麦酒で胃に流し込んでいた。
 そこへ、巽の方角より七羽の鷺の小隊が飛来して、男の元に止まった。
 男は、
「わはは、鷺だ」
 と喜んで、新たに肉を削ぐと、「食え、食え」と言って肉を放って鷺に分け与えた。
 鷺の小隊は肉を分け与えられるや、一斉にこれを啄み始めた。
 その様子を眺めながら男は、ずぼっ、ヒシャゲ斤子の背中の大きな目玉にストローを突き刺し、吸い口に口を付けると、じゅるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるるる、一息に目玉を飲み干して、不敵に笑った。
「直に逢えるな、湯デデ」

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