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女優の宮地真緒さんと対談させて頂きました。

仕事を楽しむ Webマガジン B-Plus にて、経営者インタビューとして、女優の宮地真緒さんと対談させて頂きました。

B-Plus
http://www.business-plus.net/interview/1404/651723.shtml

この写真、お腹周りが結構ヤバくないか?

インタビュー時間は30〜40分程度で、しかも紙面の関係もあって、多くは語れないというか、もうすぐ47年になろうという、この人生、そんな短い時間で語れる訳もなく、ちょっとこの記事に関しては、補足しておこうかなと。

原宿のギャラリーで個展をやって以降、作風が変わったという話の部分。

ギャラリーハセガワというギャラリーです。竹下通りにありますが、あまり知られてないと思います。え? ここ入って行くの? っていう感じの細い路地を通っていくと、隠れ家的なギャラリーが。今は改装されて奇麗ですが、当時は結構古い感じで、まさに隠れ家でした。おばあちゃん一人で経営していて、以前からここで個展をやりたいなと思っていた場所。ただ、結構広いので、作品が足りないかもって事で、最初2回の個展は、南青山のピンポイントギャラリーでやらせて頂きました。

個展も2回やって、いろいろ自信もついて、颯爽と作品ファイルを持って、ギャラリーハセガワへ。ところが、当時の作風は、ちょっとグロい感じのものだったので、なんと一旦断れた(苦笑)以前に嫌な思いをしたという話を聞かされ「あ、いやいや、こんな感じのばっかりでもないんですよ」と慌てて、その頃作り始めてたタコグッズをいろいろと出して見せたら、こういう感じなら良いですよと、なんとかOKをもらった次第で。

それまでは、敢えて毒を全面に出すような感じで描いてた部分もあったり、ちょっと独り善がりなものが多かったなと、改めて自分の作品を客観的に見直し、さらに画材も、それまではアクリルガッシュを主に使ってたんだけど、ホルベインが新しく開発した水にも溶ける油絵の具 DUO シリーズを使って描いてみた。最終的には、普通の油彩になっていく。

画材の変更ってのも、作風の変化に大きく影響したかもしれない。それまでは、しっかり下描きした上にマチエール(おがくず、砂、アルミホイル、紙粘土等々)をつけて、塗っていく感じだったけど、油彩に変えてからは、下描きは一切無しで、下塗りをした時の刷毛目とか見ながら、パッと浮かんだものを、感覚的に描くようになった。油彩だと乾きも遅いので、画面上でグリグリ出来るし(笑)

そんなこんなで、このギャラリーで3回続けてやらせて頂いているうちに、すっかり毒が抜けたのか、ほぼ今と変わりない作風になった。

ギャラリーハセガワ
http://www.hasegawa-jp.com

現在、オーナーは息子さん夫婦に変わってます。最近はあんまりギャラリーとして機能してないのかなって感じもしますね。



それから、高専での話。小さい頃からモノ作りが好きで、中学3年の時、進路を決める際に、担任が「こんな学校あるんだけど、受けてみる?」って言われたのが、福井高専だった。もともと大学に行くつもりもなかったし、これは良いじゃんって、軽い気持ちで受けたら、見事合格。機械科に入学した。

1年生のうちは、工場実習というのがあって、いろんな工作機械を使って、モノを作る授業がある。ネジを作るのに旋盤を使う。ネジ山を旋盤で削るのです。タイミングを外すと、ネジ山の山の部分をさらに削ってしまうという(苦笑) 鍛造で、焼けた鉄を叩いてみたり、溶接(アーク、ガス)やってみたりと、おいら的には結構楽しかった。

ただ、学年が上がるに従って、授業もさらに専門的になってきて、熱力学、材料力学、工業力学、機械工学として大事なこの3科目が、どうにも苦手で、材料力学に至っては、追試で0点(全問題、ちゃんと答えたのに)という事も(苦笑)

製図自体は好きだったな。いかに奇麗に描くかという、もはや絵を描く感覚。でも、エンジンの設計をして、それを実際に製図で描くという課題では、材料の耐熱、耐久性、等々の計算が面倒で、全然先に進まず。あのエンジン、絶対動きません!

あぁ、やっぱり向いてないなと(苦笑)

5年生になると(高専は5年制)、就職か、さらに進学かとなる訳ですが、大学に行くつもりは元々なく、就職と言われてもなぁって感じで、アート系の雑誌を買って、美術専門学校のパンフレットをいっぱいお取り寄せ。今だとネットで簡単に検索出来て楽だよね。

親とも何度も話し合って、やっとOKが出て、東京練馬にある中央美術学園へ。専門学校だと、美大へ入るための予備校的なところが多かった中、ここはちょっと違ってて、入学試験すらなかった。

ちょっと、長くなったので、今日はここまでにしておこう。

そうそう、宮地さん、気さくで良い感じの人でしたね。兵庫県出身ということで、タコは小さい頃から良く食べていたと(笑)

宮地さんのお母さんが三味線奏者という事で、タコ三味線持って記念撮影。

宮地真緒
http://www.horiagency.co.jp/hori/mao_miyaji/


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