橋本治と巨人の星3

”よくない文章ドク本”という著作は、たしか1982年ごろに発売されたエッセイ集である。数年後に文庫化されたとき、内容にはさほど変化がなかったので購入することはなかったのだが、じつはそのわずかな変化に巨人の星がかかわっていたのだ。はっきりと断定はできないが、たしか週刊宝石に掲載されたいくつかのマンガに関する小エッセイが新たに収録されており、その中の一本に巨人の星への言及がある(ちなみにほかのひとつがひさうちみちおに関するエッセイで、その論考を敷衍すると現代日本に関する鋭い分析ができると思われるのだが、あまりにも短くまとまってしまっていて残念である)。
問題の一文の趣旨は80年代のマンガ界における物語の衰退についてである。70年代の後半から、マンガ界の主流は骨太のストーリーものではなく、かつて読者を熱狂させたそのような物語を批判的・諧謔的にとらえたパロディ的傾向の作品が多くなっていったのだが、ひと言でいえば、それでいいのか?ということである。
マンガの主流がそういった傾向のものばかりになってしまって、読者は物語の残りかすのようなものを読まされているのではないか、と。そしてこの一文を締めくくるのが、”ああ、巨人の星見たいな。”というひとこと。花咲く乙女たちのキンピラゴボウにおいては、あきらかに従来の熱血ものには否定的なスタンスだった橋本治は、このへんで微妙に方向が変わってきたような匂いがするのだった。

はたしてこののち橋本治は巨人の星を読めるのだろうか。そして彼はいかなる感想をもつのであろうか。つづく。

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