橋本治と巨人の星2

”花咲く乙女たちのキンピラゴボウ”という著作は橋本治の処女評論集であり、一般には現代マンガ評論のなかでも重要な位置を占めるものとされている。
論考の対象となっているのは多くが少女マンガであるため、少女マンガ評論集のひとつと考えられているのだが、作者本人の言によると、これは少女ひいては女性の意識というものを解明したものであって、少女マンガ評論集なんてものでは”ゼーンゼンない”そうである。それゆえなのか、下巻になると少女マンガ以外に関する論考が頻出するようになる。多くの紙幅が割かれているのは江口寿史論と吾妻ひでお論なのだが、巨人の星に関する言及が現れるのは江口寿史論においてである。矢吹ジョーは自分でパンツを買いにいかなければならないのだが、星飛雄馬は”姉ちゃん”が買ってきてくれるパンツをはいてればそれですむ為、自分でパンツを選ぶ必要がない、という、まことに橋本治らしいというか、バカバカしい論考が繰り広げられているのである。
しかしながら、表面的なバカバカしさの向こうに見えるのは、虚構の物語の登場人物であってもそこにいるのは血肉をそなえた生身の人間であるという
すぐれた認識である。生きた人間である以上、当然パンツをはいているし、パンツをはいている以上は、誰かがお店に行って買ってきたはずであるという当たり前の事実を前提として話がすすんでいくわけである。
ところでこの章においては、星飛雄馬は矢吹ジョーのカッコよさを際立たせるための当て馬として現れており、巨人の星そのものに対する言及はない。
飛雄馬の筋肉質すぎる体形が時代おくれであるといった、七十年代後半の、巨人の星がそろそろ嘲笑の対象になりかけた時代の、わりとありふれた意見のひとつにすぎないといえる。ところがそういった傾向がひっくり返るのがつぎにあらわれるごく短いエッセイである。つづく。

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