2023年のベストアルバムなどを考えてみたよ♡ リリック重視編

 

年間ベスト~!!今年も音楽聞くの楽しかった〜!!


あ~今年も色々あったな~



卒論書かなきゃいけないのに、年間ベスト書きました!


書いていくうちに長くなっちゃった。



リリック重視編とサウンド重視編にざっくり分けた。リリック重視編は、なんで私に刺さったのかみたいな文章って感じで、長くなっちゃった!サウンド重視編は、書いていくのに疲れちゃって、まだ書いてない!






まずは、リリック重視編から、スタート☆













【Single】What Was I Made For? / Billie Eilish

 

  生きている意味って何だろう?という、漠然とした問いってあって、各々がそれっぽい哲学を掲げて生きている意味に納得/折り合いを付けていたり、考えないようにしていたり。その問いに対して、同い年のビリーが答えを導いていて、私、とても感動いたしました。。。。


☆三


 
 映画『Barbie』はとてもフェイバリットな映画だった。それに、みんなの感想が全然違くて、しかもそのどれもが私の感想と違っていて、ますますフェイバリット度が増すのであった。『Barbie』には、色んな主題があって、観客それぞれで琴線に触れる主題が違う。映画館で隣だった人がマジの嗚咽をしていたのは、アメリカ・フェレーラが語る女性として生きることの辛さ。ある人はケンについて、フェミニズムの描き方、ユートピア/ディストピアについて、などなど。コスチュームも可愛かったね。私の琴線に触れたのは、娘と母/Barbieとその創造主の対話だった。

 「母の存在」は難しい。それは自分の母しかり、自分が母になるかもしれないことしかり、やっかいなのだ。ふとした瞬間に、なんで私は生きているんだろうって思う。そうすると、こんな私を生んだ母の存在を思う。もしくは、将来自らの意思で母になり、子を育てるかもしれない可能性を、この身体が備えていることを、思う。Barbieには死の概念が無く、自分を作った人の存在を気に留めることもなかった。しかし、ある日突然Barbieは「それ」に囚われる。分かるの。もう「それ」に囚われたら、自分から取り除くことはできないって。

 映画『Barbie』のなかで、Barbieの創造主ルース・ハンドラーと対峙する場面があり、そこでBarbieの生と自由が祝福される。そして、この地球上のあらゆる紡がれてきた生と自由も肯定される。まるで神話のようなお話、こうしてこの映画は幕を閉じるのです… と思いきや、Barbieが人間世界で婦人科に行くラスト!は突拍子もなくて吹いた。それと同時に、自分に与えられている選択をBarbieが知り、これから彼女には選ぶこと(の連続)が待っているというのを感じて、なんか泣いた。Barbieの生きる意味は、そう、Barbie自身に委ねられているのだ。そんなことを考えながら、エンドロールの「Barbie World」にはIce Spiceさながら(頭の中で)腰をプリプリして踊り、そしてBillieの「What Was I Made For?」が再び流れ、私は映画館のシートに沈み込んでいったのである。


☆三


   私にとってのBillie Eilishはちょっと特別で、理由は同い年の女の子だから! 世界の色々を同時に同じ年齢で経験している存在は特別。私って、「世界のどこかで暮らしてる私みたいな女の子(概念)」みたいなのを意識して生活していて。その子はいつも不機嫌な女の子なんだけど… 「あの子(概念)」も頑張ってるし、私も頑張らなきゃな~って感じで…笑  

 話が逸れました。Billieの「What Was I Made For?」は、私にとっての『Barbie』という映画をそのままを掬い上げていた。ビビった。アメリカでセレブな生活を送る彼女が、あの映画を観て似たようなことに感じているのが嬉しい。「I'm sad again, don't tell my boyfriend It's not what he's made for 悲しくなってばかりだけど、ボーイフレンドには話さない。彼はそのために生まれたわけではないから」この歌詞、すごくない? よく分からない悲しみを、他者の存在で解決したいわけじゃない。Barbie の生きる意味は、Barbieに委ねられている。それは自由に見えて、とても孤独で、でも自由。生まれた意味は分からない。もしかしたら無いのかもしれない。苦しい。でも、頑張りたい。前向きさの裏にある、生きていくことの苦い覚悟。


☆三


映画『Barbie』は見た?


うちは、仲良くなって10年のダチ3人と、公開当日に池袋で観たよ✌️いいっしょ✌️みんなでピンクの服着て集合したんだけど、ナナカちゃんがBarbie人形連れてきててウケた✌️





  





【Album】 This Is Why / Paramore 


 無力であることの絶望を、あまりに正直に、赤裸々に歌っていた。だから好きだ。

  



  世の中はトゥーマッチコンプリケイティッド。全てを因果律で説明することはできず、悲劇が起こった理由を大人達は説明できないのです。



 『クーリンチェ少年殺人事件』に影響されまくった私は、因果律の色んな事を考えた。あの映画を見た後では、世の中の悲劇に対して、その悲劇が自分の身に起きていないのが偶然、とだけ思う。


 ⭐︎*・゜゚・*:.。..。.:*・☆⭐︎*・゜゚・*:.。..。.:*・☆*:.。. 


    今年のいくつかの私のメンタルブレイクは、戦争のニュースにあった。ニュースを見ると苦しくなって、でも、何もできないくせに安全圏で鬱そぶりをしている自分も嫌。でも苦しいのは苦しい。同じようなことを思っている人、いないかな。でも、ソーシャル上でそんな人は見当たらない。戦争の正当性を説く意見には絶望し、水色と黄色の組み合わせでウクライナ支持を表明しているのには、そういうことじゃなくて… みたいな。 (この時トム・ヨークは、「ボリス・ジョンソンの立ち回りも戦争を引き起こすことに寄与していた」という記事をシェアしていた)  なぜ戦争が起こったのかという原因についてだったり、誰が悪いのかという犯人探しだったり、立場立場立場立場、そんなのばっかり。


  そんなときに、Paramoreの「This is Why?」がリリースされた。


 Paramoreの新譜「This is Why?」を初めて聞いたとき、ギターの音はかっこよくて、ステップを刻むのが楽しい感じの、私のフェイバリットなサウンドだと思ってワクワクした。「好み〜♡ あ、てかThis is Whyって何のこと〜 」そう思って歌詞を読むと、綴られていたのは「戦争と距離を隔てた場所にいる自分について」だった。


  私が戦争について何かを発言することと、世間に名の知れた人が戦争について何かを発言することは、全く違う。世の中にジャッジされる。影響力の大きさに怯む。何か高尚なことを言わなければいけない気がする。そんな重圧があると思う。それなのにParamoreは、戦争が起きている現状に対して、自分は無力だし、目を背けてしまうし、何かを言うことに臆病になってしまうんだと歌った。
 
 
 え、正直すぎる。


 この正直さに、作り手の物凄い勇気を感じる。彼女の正直さが、私の本音も露わにする。私の苦しみの正体は無力感だと言い当てられたような気がして、なんだか心が軽くなる。

    でも、それだけじゃない。ラストトラックの「Thick Skull」で締めくくられるのは、今も理不尽に人が亡くなっていて、それを傍観する私の手も血で真っ赤であると。慰めで終わせない。強引に現在へ引き戻す。この曲でアルバムが終了し、静かになると、私は外の世界で起きていることを見つめている。
 
  これを書いている今、パレスチナで戦争が起きている。ソーシャル上に飛び交う色々は、やっぱり私の心を蝕んでいく。海を隔てたあの場所で、今もどんどん人が死んでいる。どうして終わらない? なぜ? いつも不機嫌で、でも頑張って生きてる私みたいな女の子が、殺されてる。 なんで? そんなの分からない。分かんないことに耐えられない。嫌嫌嫌嫌。こんな文章を書いている私は深夜のファミレス。ウクライナ侵攻が全く終わらなそうな気配を漂わせていたあの時、私みたいに無力感で絶望している誰かを私は見つけられなかった。「この苦しみは私だけじゃないんだ」 そう思わせてくれる何かが、あの時の私には必要だった。





パラモア、来年あたり来日しそうじゃない? ♡♡♡






【Album】 Did you know that there’s a tunnel under Ocean Blvd / Lana Del Rey 




 
 今年はラナばっか聞いてた~ ガチで。


   最近、自分が惹かれるものというのが分かってきて、ホン・サンス、Lana Del Rey、Radiohead、この共通点分かりますか? …フフフ、まだ内緒ー!



  とりあえず、Question for the cultureでも読んでみてもらって…




 なぜLana Del Reyに強烈に惹かれるのか。




  ①批判に晒され続けてもなお、自分が生涯をかけて何を表現すべきかを引き受け、それを表現し続けているところ。誇張気味にトキシックな恋愛に溺れている姿を、ロマンティックでエロティックに見せつける。だって、そんな恋愛がこの世界に存在していることは事実なんだし。そしてその表現へのエクスキューズや逃げ道を作らない。自分を正しく見せるための表現はいらない。ジャッジも求めない。普遍的な倫理観など、彼女にとってはフェイクなのだ。


 ②1人の人間の欲望のあり方を見つめている。快楽に溺れることを奨励する。かと思いきや、その快楽で身を滅ぼした姿も提示する。欲望が自己/他者を傷つけるものであることも歌い、そして、私は傷けられてばかりだという吐露だけに終わらない。自分が誰かを傷つけていること/もしくはその構造に加担していることを見つめ、その両義性の上で何かを叫んでいる。それって、実存の複雑さをもの凄く見つめているんだと思う。


 

 


 


 
 

  Ocean blvdについて話す✌️


  まず、ややネットを荒れした『Judah Smith interlude』について。これ、Judah Smithっていうハリウッドセレブに人気の牧師の説法が流れるんだけど、それにラナがクスクス笑っている声が被せられる。Judah Smithはこれまで同性愛に差別的な言動をしていたことでも知られていて、超保守的な人。このトラックでも抑圧的な愛を推奨していたり、(あとは抽象的すぎてよく分かんなかった汗 誰か分かる人いたら教えて汗)

 
 まあ、とにかくこのトラックの存在に困惑…。

↑Judah Smithのトラックを聞いたときの反応、ほぼ私と同じ 


  ラナのファンベース(クィアが多い)的に、ラナはこのトラックが議論を巻き起こすことは確信犯。でも、何を主張するため?  彼女のクスクス笑う声は、彼の説法を馬鹿にしているようでいて、茶化しながらもお気に召しているようでもある。その余白があえて残されている。
 昔何かの記事で、DIVAがなぜゲイファンダムを獲得するのかっていうのを読んだんだけど、DIVAは排他性を感じさせず、それがゲイ含めクィアが安心してファンダムにいれる理由になるらしい。それで言うと、ラナにクィアなファンが多いのも、自分が周りとは違う部分だったり、時に友人に否定されてばかりのダメ恋愛ばかりしてしまう自分だったりを、ラナは絶対に否定しないだろうという感覚?がありそう。そもそもラナ自体がフィメールポップアイコンのなかで異端な存在で、これまで散々批判に晒されてきたし、もしくは、自分が馬鹿な恋愛をしているとき、あー自分って間違ってるし、幸せになることから程遠いことをしてるって頭では理解していても、でも好きなんだから仕方ない!とか言いながら自分が傷ついているのを、ラナなら全部理解してくれる(気がする) 
 その一方で、Judah Smithみたいな挑発的なトラックもアルバムに入れてくるんだから参っちゃう。ファンダムのためだけに音楽を作っているわけではなくて、問題提起が常にある彼女の姿は、なんか挑発的で痺れる~
 
 

 さてさて。このアルバムで一番抜きんでているトラック、それは間違いなく『A&W』。異論は認めません。今年一番聞きました♡ 7分の曲です。長い曲が大好きなウチ、歓喜!




 A&WはAmerican Whoreの略、意味はアメリカの売春婦。このトラック、まじでやばい。途中で一瞬Radioheadになるから!ガチで!リリックもエグくて、ラナは自分の人生を語ってから、それを俯瞰して「これはアメリカの売春婦になる物語なの/this is the experience of bein' an American whore」と歌う。母親との不和、レイプされたのに信じてもらえなかったこと、昔は私も無邪気な女の子で側転だって軽やかにできたの… からの上のパンチライン。そしたらすぐジミーとセックスの最中の歌詞(ジミジミココパフ)ですよ。もう聞き終わった後は茫然。何回聞いても茫然。これはあなたのことを話しているの? この『A&W』の次のトラックが『Judah Smith interlude』だから、そこにもきっと文脈はあるだろうし…
 トキシックな恋愛を助長し、その有害性を覆い隠しているという批判をずっとされてきたラナが出したこのトラック。ラナがラナ自身の人生を「これはアメリカの売春婦になる物語なの」と歌う。つまり、アメリカという社会にある構造と、その構造に組み入れられた一人の女性=私という、ものすごく俯瞰でみたこのリリック。そのうえ、母と娘の関係も嚙ませてくるわけで。
 10年前の『Question for the culture』での彼女の言葉、「Let this be clear, I’m not not a feminist -but there has to be a place in feminism for women who look and act like me - the kind of woman who says no but men hear yes - the kind of women who are slated mercilessly for being authentic, delicate selves, the kind of women who get their own stories and voices taken away from them by stronger women or by men who hate women/私はフェミニストではないですが、私のような振舞いや見た目をした女性のためのフェミニズムは必要です。それは、Noと言っているのに男性にはYesと聞き取られてしまうような女性であり、——もしくは、偽らない限り/その繊細さが容赦なく非難されてしまうような女性——もしくは、より強い女性を/そもそも女性を憎むような男性から、声を奪われている女性のためのフェミニズムです」から一貫した「彼女の意思」に恐れおののくウチ。
 これまでのラナは、トキシックな愛に溺れている女性の姿を甘美に歌っていた。それはWokeカルチャーとは真逆で、そのトキシックな状態に彼女達を留まらせるものだけど、もしかしたら彼女の「トキシックな恋愛」という他人のストーリーは、一番優しくて悪魔的な絆創膏なのかもしれないと思える。「私の人生って、ドラマティックなのかもね」って、ボロボロのあの子が思えるのは、それはそれでいいのかもしれない。あなたのボーイフレンドは最低な奴だって怒る人がいてもいいけど、そんなことはもう何回も言われて分かってるんだから。


  その一貫した彼女の姿勢とは別に、彼女は常に変化し続けている作家でもある。(今作のその絆創膏はどこかひんやりしていた。恋愛に盲目的な姿ばかりを歌っていたのが、なんだか彼女自身を遠くにいる彼女自身が見つめながら、回顧しているようでもあった。俯瞰。そして諦観。それでいて、アメリカという国家には常にクリティックな目線を捨てない。表現者だ… )






  共感じゃなくて、その人の考えてることに近づきたいと思える人に、強烈に惹かれてしまう私なのでした^_^









 (ラナ、アジアツアーして… オーストラリアだったら、頑張って行く…)














【EP】YETA / ゆっきゅん


去年の12月28日に発売されたんだけど、今年に入れちゃいました汗 




 まだゆっきゅんを知らない人へ

 まず曲を聴くのがいいと思います。『好きかも思念体』とか。え、この人の歌オモロやん…て思ったら、『日帰りで』、『NG』、とか聞いてください。

(2日後)

 あ!ゆっきゅん聞いてくれたんですね!嬉しいです! …ついでに『DIVA ME』通しで聞いてみたけど良かった〜って、今そうおっしゃいました? えーやばい泣く😭 ゆっきゅんのDIVA観良いですよね! そしたら『YETA』聞いてください。で、『last order』を聞いて一緒に泣きましょう。あ、インスタとツイッターもフォローしましたか? あっ、もうフォローしてる早。てか、先月出たシングルの『年一』も神曲すぎましたよね!! ごめん聞いてる体で話しちゃった…。   …! そうなの!!ゆっきゅんの曲って全部神曲なんよ、分かる!😭 あ、全然タメでいいよ!今からタメにしよ! あ、ポッドキャストも面白いからおすすめ、絶対はまる!ゆっきゅんと会ったことないけど、ゆっきゅんとは10年来の親友な気がしてきた〜って、今そう言った? …もう、お互いゆっきゅんのトリコやね♡


※妄想




 ゆっきゅんを好きな人へ 

 ゆっきゅんが本当にこれからどんな表現をしていくのかが本当に楽しみすぎる。ゆっきゅんと私は、大学院で映画研究をするという大きな共通点があるの!あと私、みんなのコイバナを聞くのは楽しいし、アドバイスをするときは饒舌になってしまうが… みんなの恋愛観にあんま共感したことない〜 別にこれまで嘘を話してたわけじゃないんだけど、うーん、20代になる前から、私は誰かと幸せに暮らすことは無いんだろうなという感覚?と生きてきたし、それは大学の4年間というめまぐるしく自分の考えが変わった期間を経ても、変わらなかった。だから、ゆっきゅんの歌詞に自分を重ねては、「ゆっきゅんみたいな人がDIVAとして好きを表現している事実」がうれしい泣。


 DIVAとして表現するゆっきゅんが『DIVA YOU』を経て発表した『YETA』、最高でしたね。 まず、ゆっきゅんの曲はなんか平成の音がして楽しい。過剰なデコ。そう、ゆっきゅんの曲って、そうね、ギャルのガラケーなの。ギラギラのラメシール(もしくは粒大量)、でかいストラップがたくさん。着メロはちょくちょく変えて(こだわり強め)、メアドもちょっとオモロな感じ? 

 

 『YETA』の良し!良し!で何度良し良しされたことか泣


  ゆっきゅんの書く歌詞はどれもクィアリーディングができて、既存の恋愛規範ドーンみたいな歌詞では感じられないような、自分に似た誰かの物語が想像できて、嬉しくて優しい。ただ、ゆっきゅんの歌詞を、ここはこうクィアリーディングできて…っていう作業はのは私にはちょっと野暮で、なぜなら全部私の物語と地続きだから。私の物語を、別に美化したいわけでも悲観したいわけでもなくて、ちょっと頑張って生きてるし、毎日楽しいこともあるし、切ないことを思ったりするし!それをゆっきゅんが歌うと、ワオ、ドラマじゃん!♡

 
   結局、当たり前だけど社会は終わってて、普通(笑)とちょっと違うだけでなんか大変。そりゃそうなの。だけど、そこにフォーカスしたくないし、悲観してばかりじゃ勿体ないし、頑張んなきゃいけないの! でも、ビヨンセみたいなsuper womanにはなれないし、私は堕落的で俗なの… 電気つけたまま寝ちゃうしインスタのリールは永遠に見ちゃうの…
   一生拭えないであろう、ざっくばらんなガックし感、でも世界に私の好きなものが溢れていることが、大袈裟でもなんでもなく生きる理由になっている。 Last orderまでずっと、ダチと他愛のない話ができる世界なら、いっか?  先のことばかり考えてしまうけど、今のダチといつまで仲良いか分からないけど、ゆっきゅんの歌を聞くとこの刹那を見つめようと思える。




   


【Album】That!FEELS GOOD!/ Jessie Ware

 
今年一番の出会いは、あなた、そう、Jessie Ware



去年のベストアルバムはBeyoncéだった♡


なんですが…


Beyoncé見てると、なんかふとした瞬間辛くならない? あまりに完璧超人すぎて。


去年のBeyoncéのアルバムは解放的な性全てへの讃歌で、ボールカルチャーのリプレゼント。超最高だったんだけど、どうしても自分との距離を感じてしまっていた。


 そしたら、今年見つけました。私のためのDIVAを…


車の中でクロワッサンにかぶりついてパンカスをこぼしまくるDIVAを…


スッピンメガネをインスタに上げるDIVAを…


ドレスアップしたら、とてもファビュラスに変身するDIVAを…



Jessie Wareです😭😭😭😭😭😭😭😭 絶対来日して😭😭😭😭😭😭😭😭😭😭


  Jessie Wareのことは今年知った。That! feels good!を最初に再生したときは、ん?ムラマサ?ってなって(聞いたら分かる) 、とにかく超ダンサンブルで、なのにどこか懐かしいディスコチューンで、パワフル!!ひゃー、踊りたくなって仕方がない。

 
 今、ポップミュージックでクィアネスへの賛歌的なテイストのものは多くて、ディスコミュージックやボールカルチャーの引用は多分この主題と相性が良い。かつてのディスコの下では、人種も性的指向も関係なくみんなで踊った。(という幻想?しかし、そんな理想的なパーティーは本当に存在していた) 内省的/秘密を打ち明けるようなリリックじゃなくて、とにかくLet’s解放的。Beyoncéが大々的にそれをやって、Lizzo、Dua Lipaとかも。そう、これはクィアも囲いこんだ賛歌。


※「クィア」という言葉自体がマジックワード化して、人によって使っている意味合いが違うと思うんですが、ここで私が使っている「クィア」の意味合いは、ざっくり言うと「ヘテロ/シス/モノガミー」じゃない価値観を持つ人たちのことです。LGBTとQをそれぞれ分けて考えている人もいるけど、そうじゃないです。あと、肯定的に自己言及で使うニュアンスがあります。「あの人ってクィアだよね」よりも「私はクィアです」の方がフィットする的な。「クィア」でいることはイケてることでもあります。(SEX EDUCATIONのシーズン4とかそんな感じだった)

 
 

  そんな音楽で溢れてる2023年。うれしいね。この音楽で救われてる人、たくさんいるんだろうな〜っていう、素敵な想像が捗る。でも、超絶パワフル、もしくは完璧な(のように思えてしまう)セレブが生/性の賛歌を高らかに歌い上げても、超最高とはなるんだけど、なるんだけど…? 
  なんていうか、毎日フルメイクでブランドの服着て、会いたい人にも会おうと思えば会えるわけでしょ?って思っちゃうの泣  BeyoncéとDua Lipaのインスタとか特にそうじゃん。そういう人たちに先導されてクィアをも囲んだ賛歌を歌われても、嬉しいけど嬉しくないの。ジレンマなの。

 もちろん、クィアへの眼差しが向けられた作品が増えていくのは嬉しいし、そのような作品をアライが作っても全然いいと思うのね。ビヨンセの去年の新譜。あれは、ブラッククィアに向けられた性の祝福だった。ボールカルチャーへのリスペクト、性の快楽(どんな形であろうと)を全面的に肯定した『RENAISSANCE』。あのアルバムにたくさんの人が救われたと思う。私に向けられた音楽ではないけど、私にまではみ出してくるビヨンセの宣言にはうっとりした。だけど、「私のために向けられたものではない」という感覚は、引っ付いて回るわけで…



そしたら見つけました。


なんで出会ってなかったんだろう。


Jessie Ware🥲🥲🥲🥲🥲🥲🥲🥲🥲🥲


彼女の歌う愛もまた、「Let’s解放的」なんだけど、全人類に向けられている。


なんか、普通の一人の女性(って言ったら失礼かもしれないけど)が、ステージに出るときだけ素敵な衣装を着て、しかも普段は母親で普通に子育てしてて、そんな人が全人類の生/性の快楽への喜びを、全ての人は美しいと歌う。彼女を見ていると、アライだから欲望の多様性を肯定するというよりも、生/快楽が最高だということに(深い意味で)気づいたから歌っているだけという感じがして、そこが好き!


 今ビヨがやろうとしているのがアンダーグラウンドにスポットライトを当てることだとしたら、Jessie Wareはマックでバイトしてる私にウインクして、パーティに手招きしてくれる感じなのよ!!!!!!!!!!!









 


Jessie Wareは2020年の「What’s your pleasure?」からこんなことをやってて、私はとにかく早い人笑が好きなので笑






年間ベストリリック編、完!



















 






 

 

 

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