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長い目で見るか 見ることができるか

お久しぶりです。くーちゃんです。

4月から新年度が始まり、2か月が過ぎました。社会人になって5年目になりましたが、過去最高に忙しい毎日を過ごしております。

残業代が出れば、今頃お金持ちになってそうです(笑)

それに加えて、今回のボーナスも1割カットという話を聞きました。
どこを切っとんねんという感情しかありませんが、最早どうでもいいです。
早く夏休みが来てほしい今日この頃、頑張って乗り切れればいいなと思います。

そんなことは置いておくことにし、車検の待ち時間を使って、ここ最近考えていたことをつらつらと書いていこうと思います。

ここ最近の生活は、

①仕事
②かるた
③マリオカート
④自炊

しかしていない気がしています。なんと悲しい人生。。
マリオカートが増えたことを成長と捉えるか残念と捉えるか。
くーちゃんの中の意見は分かれそうですが、「同期や友達は人生を一歩ずつ歩んでいるのに自分は何をやっているんだ。」と考えてしまうので、おそらく残念よりなのでしょう。

話が逸れました。。
今日は、「長い目で見るってやっぱり難しいなあ。」
という話をするつもりです。

職業柄というのもあるし、かるたでの立ち位置というのもあり、「誰かに何かしらを指導する、教える」ことが他の人よりも多いです。

学習指導、生徒指導、行動に関する指導、そしてかるたの指導。
当たり前のように自分は何かしらの形で教えたり指導したりしているのだなあと感じます。

そして、その指導の中にも
「時間をかけて、失敗も重ねながらできるようになろうね」
というもの、

②「納得できるできないという話ではなく、ダメなものはダメ」
というもの、

③「意識したり練習したりして今すぐ(近いうちに)できるようになろうね(なりなさい)」
というもの、

④「できなくても(しなくても)いいけど、できたら(がんばったら)視野がもっと広がるよ、頑張ろうね」


というものなどがあります。他にもあるだろうけど、今日はこの4つにわける程度で。どれも、前提として「対話」の上でというのは必要不可欠。一方的な言葉のドッジボールになっては話になりません。

それを踏まえて、体感的には仕事では、①~③までは同じくらいの割合で、④は滅多に出てこないかなという感じ。行動面や生徒指導面で①②③、授業や学習で③④かな。
人間関係の話をするときは①だなあ、いじめとかそういうのは②だなあ、漢字の勉強や算数(九九や筆算など)が③だなあと、ぱっと思いついた感じだとそうなりそうです。

少し話は逸れますが、
②の「納得できるできないという話ではなく、ダメなものはダメ」というのは、ともすれば指導者の独裁政治になりかねないなと思い、特に気を付けています。

自分のためにならないから「ダメなものはダメ」ということも時には大事、それは本人の意思に反するかもしれないけど、それでもダメということも必要。どこまで突っ込んだ指導ができるかどうかも難しいところです。


一方で、かるたは①④が特に多い気がします。②③もあるんだけど、①④を基本にしている感が非常に強い。

なんで変わるのだろうと考えた時に思いついたのが大きく2つ。

1つは、「かるたは+‪αでするもの」と考えているから。

もう1つは「かるたは時間をかけて強くなる・なれる」と考えているから。

+‪αのものに「こうしなさい」というものはそうそうないですし、自分もなかなか言えない。かるたのことで言った所ですぐには直せないし出来るようにもならない。


けど、すぐに直したい課題が各々存在し、それは指導者的立場として見てて思うこともあれば、自分で感じることもある。もちろん、指摘されて感じることもある。

例えば…
ぱっと思い浮かべるだけでも、

・お手つきしないようにしたい
・終盤の一字が取れない
・攻めきれるようにしたい/ここは守り切れるようにしたい
・手は出てるのにとまってしまう
・この時の送り札が違う
というような試合の中の特定の場面のことでの課題があれば、

・試合で払えるようになりたい
・この人に勝ちたいor負けたくない
・昇段したい
というような、同じかるただけど広い範囲のことでの課題もある。

日頃選手をサポートしている保護者からみれば、
・練習で負けが込んでいる
・お手つきがとても多い
ということが気になることもあるのではないでしょうか。

経験に基づいただけの個人的な感覚で話すのですが、これらの課題はやっぱ直ぐに直したいと思うものですし、直ぐに直せるんじゃないかと思っている人が多い感じがします。あとは、理想が現実とかけ離れている人が多い。
…いや、僕が不器用で要領も悪いからそう思うのかもしれません。笑

心・技・体が要求される競技で、頭に入れておくべき知識や身体に叩き込む技を習得するのにやっぱり時間や試合数がかかる。それをすっ飛ばして、「なんか気を付ければできそうだから」となんとなく思ってやってみて、「あれができない、これができない」と嘆くのは個人的にはナンセンスでしかないと思っています。

基盤となるスタイルや考え方がしっかりとしていないのに、表面的な課題について嘆く。案外そういう人が多いと思います。もちろん、意識していなくても勝手にできちゃっている人もたくさんいます。きっと、そういう人を「センスがある」と言われているのかもしれませんね。


それと同時に、努力は裏切らないんだなとも感じています。
急に成長したなと見てて思っても、実は家で毎日一人取りの練習を重ねていたり、かるたの勉強をみんなが知らないところで頑張っていたり。
そういう子を見たときこそ、指導者魂がでてくるのか、「たくさんアドバイスしたい」というような気持ちが湧いてくるのですが、これを全部言うのは「おせっかい」なんだろうな、と最近思いました。

だって、その子はその子なりに頑張って考えてやっているんだもんね。

知識をたくさん持っている指導者だからこそ、「必要以上に言わない」指導ができるようになることが僕自身の課題です。どう頑張っても、ついつい言っちゃうんだけどね。笑



選手はめげずにどれだけコツコツ頑張れるか。
もっというと、一つの課題に対してどれだけ時間を費やせるか。

指導者は、選手が頑張っているだろうことに対して、どれだけ言うのを我慢できるかどうか。

いずれにせよ、どれだけ長い目で見て取り組めるかどうかというのは永遠の課題なのかもしれませんね。

僕も、仕事もかるたも「長い目」思考を意識して取り組んでいこうと思います。

あと1か月半で夏休み!!
こんなことしている場合じゃないけど、がんばれ!自分!くーちゃん!!

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