無関心

好き・嫌いの2つの感情の割合で、いろんな人との付き合い方は変わってくると思うのですが、仕事柄いろいろな世代・環境の人と接するので当然相性もあるし、少なからず好かれたり嫌われたり、なんとなく雰囲気で察することが多いです。
でも、そういう感情が生まれるのは、まだまだ「人」として接しているからこそ。
ところが、そういう感情すら生まれないとき、「無関心」という属性になります。

自分にとって、関わるメリットもデメリットもない、そこに費やす時間が無駄だなとさえ感じてしまうような瞬間が、残念ながらあります。
一般的な考え方の中で、自分はそこまで沸点は高くないほうだなと自覚していますが、譲れない部分があるのも事実。そんなに主張をするタイプではないですが、さりげなく、そこは違うと思うよとか、軌道修正を図ってそのラインを越えないようにしているのですが、
たまにいるんですよ、空気が読めない、平気で人の敷地に土足で入り込んでくるやつが。

日本語が通じないので、「ここから出てくれ」ということが伝わらない。
自分の中の勝手な解釈で自分都合の理由をもっともらしいワードをつなげて主張してくる。反論は全て「決めつけ」「嫌いだからそういうこという」「わかってない」etc...
めんどくさいので、じゃあいいやと引くと「そうやって逃げるんですね」
あー言えばこういう、こー言えばあー言う。
会話の体をなしていない、非常に不愉快で非生産的で無意味な時間。

一時期は、そういう人とも向き合って、一つ一つ相手の論理と真正面からぶつかろうとした時期もありました。
でもね、結局それはその場だけの一時的な「わかったような」雰囲気だけなんですよ。根本的には何も変わらない。というか、時間が経つとまたリセット、同じことの繰り返し。こっちが向き合おうと思ったささやかな努力と意気込みの熱量を返してほしい。

人の意見というのは、自分が気づかなかったことに気付けるきっかけになったり、そういう声もあるんだという客観的な捉え方にもなる、ありがたいものではあるのだけれど、それは対等のフィールドに立ってこそ。
顔も見えない、発言に責任の生まれない「文句」は、ただ相手を否定するだけで、その先の展望も改善点も見出せない、死に声。

人の話を聞けないやつの、根拠のない自信や夢や、具体的な道筋の見えない大言壮語の類は、そういった死に声と大差ない。そう実感しました。

1年後も同じことを言い続けて、そのためのアクションを起こして、今よりも一歩でも前に進んでいたとしたら、改めて話を聞いてやるよ。

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