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私なりの『君たちはどう生きるか』解釈

圧倒的知識を得た大叔父は理想の世界を作るために、宇宙的力を借りて異世界の神となった。
インコやペリカンなどの種族を連れ込んだが、結局種族は争いあい奪い合うようになった。
生まれるはずの(わらわらの)命を奪うペリカン。
そのペリカンも絶対悪ではなく食糧難という事情を抱えている。
増えすぎ、塔を侵略するために軍事化したインコ(おそらく人間を比喩)。
挙句の果てにインコ種は世界の神(大叔父)からも権力を奪おうとする。
人によってはこの理想の異世界を【地獄】とさえ呼ぶ始末。

大叔父は手の届く範囲は天国のような世界を作れたが(楽園のような庭、ここは天国ですか?と感動する兵隊インコ)、それ以外は結局現実の世界の醜さ、残酷さと何も変わらなかった。

※現実世界もアンバランスで残酷。
火事で唐突に奪われた最愛の母の命。
戦争が繰り広げられているものの、父親は戦闘機の部品製造で大儲けしており、眞人は戦争のおかげで良い暮らしができているという事実。
父親は家族を愛しているが、権力を誇示するどこか嫌な人。
嘘をついてまで同級生に復讐を果たすずる賢い眞人。
継母の子供に全く関心を示せない眞人。
眞人のことを心の底では愛せていなかった継母。

とても理想とは呼べない、アンバランスで、残酷。軍事化し戦争で奪い合う地獄のようなことが起こっている。
核が各国に存在し、明日この世界が滅んでいても何もおかしくないこの現実世界。
科学の進歩とともに、この世界を作る権利は神ではなく人類だとさえ勘違いし始めた、そんな現実世界。

こんな現実の世界から逃げるためにつくった異世界。
理想として作り上げたこの異世界ですら、いつの間にか現実世界と同じことが各所で起こり、非常にアンバランスで今にも崩れそうな積み木のような存在として成り立っている。

必死に生きたとしても、約束されるのは【明日1日】のみで、その先にこの世界がまだあるのかどうか(積み木が崩れないかどうか)は保証できない。そのくらいアンバランス。
疲れ果てた大叔父は後継者を望んでおり、眞人に【今度こそ理想の世界を作って欲しい】と託そうとする。

それを見たインコ大王は裏切りだ(次の異世界の神は自分になるはずだった)と激怒し、積み木をテーブルごと真っ二つにぶち壊してしまう。

これはインコ大王(人類)の傲慢さによる世界の終焉(核戦争など)を表していると思われる。

積み木と同時に理想の世界(異世界)は崩れ始め、眞人らは現実世界へ戻らざるを得なくなり、それぞれの門から帰っていく。

眞人はこのとき積み木一つのパーツを持って帰ってくる。そして唯一異世界の記憶が残っている(他の全員は覚えてない)。
積み木は世界そのものであり、そのパーツを持っている眞人は『自分は世界を構成する一人である』という俯瞰目線を持っている(記憶している)ことになる。

しかしアオサギは眞人に対して『異世界のことはどうせ徐々に忘れていくさ』と告げる。
つまりそんな眞人でさえ、次第に積み木(世界の俯瞰視点)が何をイミしていたかを忘れ、自分の主観目線で生きていく存在になることを示唆している。

しかし、これはあくまでアオサギの予想であり、積み木を持っている眞人は【もしかしたら世界の俯瞰視点を忘れずに生きていくこともできるかもしれない】。

個人的にはここがまさに『君たちはどう生きるか』という問いのように感じた。

この世界は今にも壊れそうなアンバランスな世界(積み木全体)だということを忘れ、自分主観で独りよがりに生きていくのか。
俯瞰視点(積み木全体)を忘れず、世界のバランスを意識して生きていくのか(それでも約束されるのは明日1日だけだが、、、)。


ここまでが物語で最も大事なメッセージだと私は解釈した。


ここからはもう少しわかりやすく描写されていたメッセージへの解釈。

それは【眞人の自立】というテーマ。

母の死がトラウマになり喪失感から逃れられない眞人。
継母にも愛を示せず、継母の子供にも愛を示せない。
とても礼儀正しく、一見自立した素晴らしい青年のようにも見えるが、父親という権力を通じてずる賢く同級生に復習を果たそうとするなど、一人では生きていない。

そんな眞人をアオサギは異世界へ導く。

異世界では最初に若いキリコと出会う。
若いキリコは異世界で一人でたくましく生きている。
現実では女中として年を取り、タバコを欲しがる尊敬できるとは言えないキリコだが、そんなキリコにもこんなにもたくましく生きていた過去がある。
(だから恐れながらも眞人に唯一異世界までついてきたのだと思う。本当は芯のある女性)

キリコからこの世界で生きる術を学び、何よりキリコの姿から、一人で母を探す覚悟が次第固まっていく眞人。

その後兵隊インコに捕まりそうになるところを【ヒミ】に助けられる。
ヒミの正体は若き日の母であり、食事を振る舞ってもらったりとその母性に触れることで愛を受け取る眞人。

ここから眞人は母を探すことより、継母を探すことに熱意を持ち始める。

ここまで数々の困難を一緒に乗り越えたアオサギとの信頼関係も深まり、友と呼べる仲へ変化し始める。

ヒミに連れられついに継母に出会う眞人。
しかし、なんと継母からは『あなたなんか大嫌い!』と強烈に拒絶されてしまう。
眞人はその言葉を受け一瞬たじろぐものの、そんな言葉を告げられてもなお『母さん!』と叫び、継母に必死に愛を伝える。
母のトラウマから脱し、継母を母と認め愛すことを決意した眞人の言葉だったと解釈している。

眞人にとっても現実世界は残酷で受け入れられない存在だった。
でも『君たちはなぜ生きるのか』を読み、さらに異世界での自立した女性たちとの関わりによって、残酷な現実と向き合い生きていく覚悟を決めていく。(自立に向かう)。

大叔父から『次こそ完璧な世界(積み木)を作って欲しい』と後継者を頼まれても、それを断る。
理想を求めず、現実を受け入れ生きていく眞人の決意の瞬間だったと思う。

その後崩壊する異世界において、実母(ヒミ)は【火事で死ぬ】という現実世界へ帰っていく(眞人を生むため)。
そのヒミの選択を眞人は止めずに受け入れる。
母の死は残酷すぎるが、そんな残酷な現実を受け入れられるほどに眞人は自立したのだろう。

※ちなみにこのシーンで私は号泣した

眞人らは無事に現実世界に帰ってくる。
青い空が広がり、父が迎えに現れ、鮮やかなインコたちが飛び交う素敵な現実世界。

しかしみんなの顔や身体にはインコのフンがたくさんかかっている。
一見綺麗に見えても、やはり現実は常に汚い側面があるのである。


理想の世界に入浸り甘えて生きるのか、
汚い現実を受け入れて自立し強く生きるのか、

君たちはどう生きるのか。

こちらが映画を通じてわかりやすいメッセージだったと思う。


ということで私的にはこの映画には2つの側面があるんじゃないかなと解釈している。

一つは【あなたはアンバランス世界で、俯瞰的視点を持って(1つのパーツであることを理解して)生きていくのか、主観的視点で生きていくのか】というテーマ。

もう一つは【理想の世界にすがって生きていくのか、汚い現実世界を受け入れて自立して生きていくのか】というテーマ。


おそらく本当はここに【宮崎駿の半生を描いた】というテーマもあるのだろうが、私は残念ながら宮崎駿については詳しくないのでここは考察できない。

ということで久々に考察が楽しい映画でした!
僕は大好きな映画です!
ありがとうございました!

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