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マルタカ

南港ポートタウンに8年ぶりに帰った。うしお号に久々に乗り込み、小中一貫校になってしまった母校の横を通り過ぎて、マルタカへ向かう。
海のまちと緑のまちと間を流れる人工のせせらぎは、完全に枯れてしまっていて、草が伸び放題。ヒアリに注意書きを見ていた嫁に促されて、すぐに離れることにした。昔このせせらぎの近くの鬱蒼とした林の中に、檻があって、その中にリスがいたと思う。記憶は曖昧だ。もしかしたらそんな夢を何度か見ていただけかもしれない。今思えば、あまりに不思議なことだから。
せせらぎは枯れ、草は伸び放題。この街をつくった限りは、この緑を、環境を守り続ける覚悟を持つべきだろう。それが出来ないならば、ちゃんと地域の人たちと話し合い、解決を図るべきだ。
歩いていくと、ニュートラムの高架が見える。横の公園は盛大な夏祭りが催されていた地区公園。都市計画を学び始め、近隣公園とか地区公園とか、そのまんまの名前で子どもの頃に呼んでいたことを知り、不思議な気持ちになったのを覚えている。僕は近隣住区論の中で育った。
4つのまち、海、緑、花、太陽。その中心となるセンターがマルタカと呼ばれていたショッピングセンターだった。はしご高を◯で囲ったロゴ。高島屋系列の商業施設だった。
本も文房具もおもちゃも食品も何もかもここで買えたが、僕らが小さい頃からここで買い物をするのは高齢者か子どもで、週末には車に乗って堺のイトーヨーカドーまで行っていた。何が違うというわけでもないのに。そうして、街は廃れていく。計画するから、計画通りにいかないと破綻する。
おこづかいを握りしめて、ロトの紋章を買いに行ったり、みんなで水風船を買ったり、夏休みのラジオ体操の皆勤賞でもらった券でハンバーガーを食べに行ったりした。今はマクドナルドだが、小さい頃はバーガーロックだった。
十八で家を出てから、南港に帰ることはあっても、ショッピングセンターに入ることなどなかったから、おそらく二十年ぶりくらいに足を踏み入れた。
右手にスーパー、左手に市場、中央は吹き抜けていて、意外とダイナミックな空間だ。
昭和感たっぷりのインテリアの中に、そこそこのお客さんがいた。ほとんど高齢者だったが、若い家族も見られた。何十年経っても、中身が変わっても、この街には人が住んでいるのだ、ちゃんと。
マルタカを通り抜け、カリヨンプラザのマクドナルドでひと休みした。家族連れや一人でユーチューブを見ながらハンバーガーを頬る若者もいる。マクドナルドはどこもちゃんと盛況だから、えらい。
鳩に餌をあげるおじさんを横目に、ポートタウン東駅から住之江公園方面のニュートラムに乗る。譲っていただき、運転席に子どもたちと3人で座った。可愛くなったニュートラムに乗って、毎日見ていた景色の中を通り過ぎていく。
あちは組の恐竜(かつてはゴジラだった)、フェリーターミナル、南港東の中古車店に、南港口の団地、平林の貯木場、そして、かつての恋人が住んでいたマンションを横目に、競艇が見えてくる。
同じ大阪市内に住んでいても、離れてしまえば、とんと来ることはない。
高校生になり、市内の高校に通い出すと、南港から来た奴は南港人と揶揄される。陸の孤島から来たと。ニュートラム?乗ったことない!と。あそこに人が住んでるの?と。
そうだ、僕は南港人だった。南港からやってきた。ユートピアの街づくり。公園のまちで毎日遊んだ。蝉がうるさくてテレビが聞こえないまちで。潮風で自転車がすぐに錆びるまちで。
みんながいたまちで。

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