見出し画像

71・飯豊連峰の思い出

BSで「飯豊連峰」をやっていた。BSだけなぜかビデオ録画ができないので(夫が修理したらそうなった)万難を排してテレビの前に座ったが、肝心のところで、母の薬・着替えなどで中断する。(以前は母が一人でやってたこういうことも、最近忘れたりするようになった)
youtubeなどでなつかしい飯豊連峰の映像を見れるようになったが、私の登った道とは違うルートだったりしてイマイチ。
けど このテレビはバッチリ私たちの登った登山道だったので、夢中になって見た。


55年前 私の入った女子高校(公立なのに女子高)に山岳部があると知って、さっそく入部。
毎日放課後 体力をつけるべく練習したのに、初めて登った「安達太良(あだたら)山」でバテてバテて散々だった。
でも、山をやめようとも思わず その2か月後には、18キロの荷物を背負って夏山合宿の「飯豊連峰」に行ったのだから、若さとは恐れを知らないのだった。
だいたい、18キロの荷物はひとりでは立ち上がれないほど重く(当時は今と違ってテントやコンロなどの装備が重かった)椅子の背にのせてやっと立ち上がったが、とても歩けるとは思えない。
なのに、数日後にはその荷物をしょって山道を登っていたのだから、やっぱり恐れをしらぬ若さなのだった。

朝、家を出て、汽車やSLをのりついでから平らな道を歩き始め、夕方にやっと山の麓につく。そこにテントを張り一泊。川のそばで、温泉のようなものもわき出してた気がする。

翌日は、急な登りが続く。(梶川尾根)
10~15分ごとに休憩を取らなければならないような急坂が続き、
汗が塩をふき かじるレモンも甘く感じる。
テレビでその急坂を映してて、「そういえばあんなに急だったよなぁ、よくあの荷物しょって登ったなぁ」と今さらながら感嘆する。
テレビでは 三国とか切合とか  梅花皮(カイラギ)の滝など、すっかり忘れてた地名が出てくる。

急な登りの途中で梅花皮(カイラギ)の滝と石転び雪渓がみえるところがある。ここに来るまでも大変で 一般観光客は無理で 登山装備した人しか見れない。



東北随一の長さを誇るこの石転び沢大雪渓は、名前にあるように石も転がるような急斜面である。
私たちは 遠くから石転び雪渓を見て「あっ、人が見える」などと言っていたが、あそこを登るなどとは考えたこともなかった。
ところが、高3のとき 居合わせた登山者に(その人は帰り道だったかも)「だいじょうぶ、登れる。あそこ行ったほうが近い」などとそそのかされ「じゃ行ってみようか」となった。
登り始めたらとにかく急で(写真じゃよくわからないが) なのにアイゼン(氷雪用に金属のツメがついたもので登山靴につける)も用意してない。
荷物も重い。
しかしいったんこの雪渓にとりついたら、上まで登るしかない。
滑って下まで行ったらアウト!
とても女子高の山岳部レベルで(装備もなしに)登れるところではなかった。
でも何とか全員無事に雪渓をのぼり終えた。
夕飯のとき、先生が「ここを登ったことはないしょだぞ」と言った。
(50年以上たってもう時効なので書いた)
先生たちも別段山のプロではなく、ただ若いというだけで山岳部の顧問になったので、つい他人の情報をうのみにして計画を変えたことを反省して、
全員無事登り切ったことにほっとしてるようだった。

高校にはないしょで 数人で山のプロと行った登山でも道に迷ったことがあって「山って侮れないな、もう部活動以外で勝手に山に行くことは控えよう」と思った。
この辺では部活動の冬山登山で命を落とした例もある。わりと最近でも雪崩で亡くなった高校生がいて、心が痛む。
私たちは女子高なので冬山登山はしなかったが、5月の連休でも山はそうとう冷える。(5月の雪の上に張ったテントでは エアマットを敷いても寒さで眠れなかった)
山は魅力的だが、本当に気を付けて準備して登ってほしい。


2日目は 一気に登って稜線に出る(山道からでも石転び雪渓からでも)。
そこで2泊め。
そこからは、天国のよう。一気にひらけた稜線が続く。
飯豊連峰は新潟、山形、福島の3県にまたがり 山が深いのでここまで来るのが大変なのだ。
当時は、山小屋も 設備のない無人の小屋だけ。もっとも私たちは50年以上も前で テント泊と自炊だったので、ちゃんとした山小屋に気が付かなかっただけかもしれない。
山が深くて観光地化できないので、今でも ハイウエイなどもちろんないし、山小屋も質素な感じらしい。だから今でも魅力的とも言える。

苦労して上まで登ってくると、なだらかな草原が続く天上の楽園。
花もいっぱい咲いていて「チングルマ」「ハクサンコザクラ」「イワカガミ」「ミヤマリンドウ」などの高山植物が見れる。日本のエーデルワイスと言われる「ミヤマウスユキソウ」もここでは見れる。地味な花だけど、飯豊のこの高さまで登ってこなけりゃ見られないので感激する。
そして、黄色いニッコウキスゲの群生するお花畑は圧巻だ。

一日 天上の楽園を歩き 飯豊連峰を堪能して、御西小屋の付近で3日目のテント泊。食事当番じゃない数人で、ここの雄大な景色のなか夕日をながめて過ごしたしあわせな時は、今でも忘れられない。
近くの雪渓からきれいな雪を取って来て、コンデンスミルクをかけてかき氷にして食べる。これがたまらなくおいしかった。

夏山合宿は3泊4日だったと思うが ここから帰りのルートはよく覚えていない。
とにかく この夏山合宿の飯豊連峰縦走があまりにすばらしかったので、すっかり山好きになり、部活動にも熱が入った。山岳部に入った人数は少なかったが 誰も辞めなかった。来年また飯豊に行けると思うだけでうれしかった。
飯豊連峰というこのすばらしい山々に3年間も行けたことは 何てすばらしい経験だったのだろう。
卒業後、山岳部の仲間と1回飯豊に行ったが、その後は行けていない。
日々の生活に追われ、山登りを続けることもできなかった。
やっと暇ができても今の私には飯豊に行くだけの体力はない。

テレビで見て、忘れないうちに思い出をたどろうと書いてみた。
若くて体力のあるときに、4回も飯豊に行けたことは本当にしあわせだったと改めて思うのだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?