誰もが頑張ってる

凄く当たり前の事を言います。

世の中、誰もが頑張ってる。
俺も頑張ってるし、あなたも頑張ってる。

学校の先輩も同僚も、上司も師匠も、
家族も兄弟もなんだかんだで頑張ってる。

それぞれの土俵があって、
それぞれが出来る事を
それぞれの形で頑張ってる。

「頑張ってる」という言葉が相対的で曖昧だから、
俺、ちゃんと頑張れているのだろうか、ってよく思うけど。

「頑張る」ってのはいかに自分勝手になれるかって事であって、
「自分の幸せを追求する事」なんじゃないかと思った。

どうすればいいか悩む事もあるけれども、
毎日の中で自分は何をすべきかは実は誰もがわかっている。

どれを選べば、自分の幸せに繋がるのか。
本当は誰もがわかっている。


例えば目の前にギターとスマートフォンがあって、
今から1時間、自由な時間があったとして。

ギターを手にとって1時間ひたすら練習する事も、
スマフォを手にとって1時間ひたすら動画見る事も、
それが自分の幸せを追求しているのなら頑張ってる一部だ。

プロになれなくても、ギターがうまくなって楽しみを一つ増やして、
音楽友達や音楽仲間を増やして豊かな人生を作る事も、
きっと自分の幸せを追求していることの一部になるはずであって。

動画を見る事もそこで得た知識や、そこで得た感情みたいなのを
誰かと共有したり自分の中で昇華をさせる事で、
それも自分の幸せを追求していることの一部になると思う。


勉強とギターだったら、普通は勉強を選択したほうが
いわゆる「頑張ってる」に感じるかも知れないけれど。

「理不尽な事や我慢を自分に強いる事」は間違いで
それは「頑張ってる」にはならないと思う。

自分が選んだ選択肢によって、それを選んだことによって
その対象が何であれ、時には間違いであったとしても、
それが「自分の幸せを追求した結果」ならば頑張ってる。


職業柄、いろんな事を日常的にやる。

勉強する事、ギターを練習する事、曲を書く事、本を読む事、
こうやってポチポチブログを書く事、ツイッタでつぶやく事、
動画を配信する事、お店の営業をする事、料理をする事、
音源を作る事、ライブをする事、本を書く事、グッズを作る事、
DVDやCDなどの通販受付、ギターレッスン。

いろいろやりすぎて、疎かになっている事が沢山。
だから「あんまり頑張れてる感がないな」と思う事が沢山。

でも、どれを選択する事が一番自分の幸せの追求に繋がるのか。
そう考えればいいのかなとふと思いました。

「これをやる事は俺の幸せに繋がるだろうか」

それにYESと答えられるなら、それは頑張ってる。
YESと言えない事は、ほどほどにしておく。


ちょいとわたし、ちゃんと頑張ります。
ちゃんと幸せを追求しようと思います。

わたしも頑張るので、みなさんも一緒に頑張りませんか。


おわり



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