クリエイターものがウケない理由
ラノベ業界(作家仲間・編集)との話で、「クリエイターもの」が売れない・批判されがちであるという話がされた。
ここでいう「クリエイターもの」とはいわゆる「ラノベ作家ラノベ」のような、主人公、もしくはそれに準ずる人物(ヒロインなど)が創作を行っており、しばしばそれがメインテーマとなる作品のことである。
それが本当であれば、ラノベを書く際にはそれを避けねばならない。
たとえ刊行にこぎ着けても、出版社に損害を与えることになるだろう。
だがなぜそのような事態になっているのだろうか。
ここは一つ、推論を考えてみよう。
1.クリエイターに共感できなく、需要がない
一番に思いつくのはこの理由だろう。
創作活動を行う人間というのは、人間全体のほんの数割でしかない。人類のほとんどが消費者であり、クリエイター主人公には共感できない・題材に興味が湧かないのではないだろうか。
この説は一定量正しさがあるとは思われる。
だがここで一つ、「過去に売れた作品は存在する」という事実があることを忘れてはいけない。ラノベ作家ラノベでも名作は存在する。
ではなぜクリエイターものが受けないという噂が今流れているのか。
そこで考えられるのが次の要素だ。
2.書きやすいので、供給過多
クリエイターものは書きやすいのである。
これは決して、「ラノベ作家がラノベ作家のことしか書けない」と言っているわけではないことには注意して欲しい。それが漫画でも、ゲームでも、構造的にクリエイターものは書きやすい構造になっているのである。
それはどうしてか。
物語には障害がつきものである。
むしろ障害への対応こそが物語であると言っても過言ではない。
障害・問題の発生しない物語は、極少数に限られるだろう。
そんな障害を簡単に作る方法がある。
敵を作ればいい。
異世界ファンタジーであれば、魔族、ドラゴン、ゴブリンとさまざまな敵役に事欠かない。
では現代ではどうするべきか? ヤクザ? チンピラ? 悪の秘密組織?
このように明確な悪役を作るのは簡単だ。だがそれが作品の雰囲気に合うかどうかは、別問題だ。
ほんわかした学園ラブコメに、突然暴力的な不良が現れる展開は世界観を壊してしまうかもしれない。
また世相の変化もある。最近ではヤンキーや暴力教師なんかは絶滅危惧種になっており、むしろリアルさがない状態になっている。
そんな中で、手軽に障害を作れる装置――それが「クリエイターもの」なのである。
クリエイターの世界は戦場だ。
戦術と戦略が存在し、打倒すべきライバルもおり、障害には事欠かない。
この平和な現代社会において、擬似的な闘争を描ける絶好の舞台である。
スポ根や文化競技(将棋など)と並んで、物語を書きやすい題材と言えるだろう。
だが最初に言った通り、需要はない。
「ラノベ作家の話なんです!」とアピールしたところで、それを手に取りたいと思うのはラノベ作家という職業に興味がある人だけで、そしてそれは決して多くは存在しない。
つまり「需要がないのに、供給だけが豊富にある状態」がクリエイターもののラノベなのではないかと思われる。
創作とは、流行に乗るだけが創作ではない。
あなたが「どうしてもラノベ作家ラノベが書きたいんだ!」というなら、それは書くべきだろう。幸いにして現代はWeb投稿サイトもあることだし、出版以外でも発表する場には事欠かない。
だが実際、現代では「クリエイターものラノベは売れない」という流行下にある。それは市場にクリエイターものを求める需要がないということだし、それを編集者もわかっているので簡単には出版してくれないだろう。
だからもしそれを多くの人に読んで欲しいと思うなら、「クリエイターもの」という看板を掲げてはいけない。
クリエイター要素をオマケにして、何か別の目玉となるセールスポイントをアピールする小説にするべきだろう。
もちろん中身でも主題として扱ってはいけない。羊頭狗肉は嫌悪されるパターンだ。
だが腕の良い作家であれば、クリエイター要素をおまけとしつつも、十分にその面白さや魅力を伝えることができるはずだ。
どうしてもクリエイターものが書きたい方は、是非そうしてみてほしい。
新たな流行とは、きっとそういった天才が踏み出す第一歩から作られるのだから。
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