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社会とありがとう、と

稀に、「お金払ってるんだから『ありがとう』なんて言わない。」という人がいる。
でも、バスを運転できる人が運転してくれないと、お金があっても、バスには乗れないよ。
勿論、バスを造る会社や運行する会社や道路とガソリンが無くても、お金があってもバスには乗れない。

だから、お金を払ってるからエラいなんて事もなくて、単純に【お金】と同じ価値の【サービス】や【物品】を【交換】しているんです。
そんな社会を形作るみんなに「ありがとう」だし、その時に【交換】してくれた人にも「ありがとう」なんだよね♪

そして【経済】の本質の一つが【交換】なんだよね。必ずしも【貨幣】と【物品・サービス】の【交換】じゃなくても良いんだけど、貨幣は便利だからその手段となっているんだよね。


例えば、このNOTEというブログサービスは無料でサービス提供しているけれど、僕は何も払ってないけど、こんな駄文を書くことで、NOTEに(少ないけど)トラフィックを呼び込んでいて、それが運営者の欲しいものだろうから、ここでは【貨幣】じゃなくて、【トラフィック】と【ブログサービス】が交換されているのかな?
読む方が有料の場合は、今度は読者の払う【お金】と【ブログを読むこと】が交換されるんだけど、NOTE運営者としては、【ブログサービス】をすると、少しの【お金】と【トラフィック】が得られる、という三方で交換してるだよね。

そうなると、ブログサービスの価値、ブログ内容の価値、有料読者の払うお金の価値が【交換】されてるんだよね。

この場合、「ありがとう」のベクトルが曖昧だけど、「小さな社会」と考えると、それぞれへの感謝があって良いんだよ♪

最近の日本のヒップホップやラッパーでやたら感謝してるけど、僕は社会と経済の本質は【交換】と【感謝】だと思っているので、感謝ソングが物凄く流行る場合があるのも、単に「親、兄弟、仲間、友達、恋人に感謝するのが気持ちいい、カッコいい」を超えて、(けして彼らはそうは歌ってないけど)「そうやって社会が廻ってる」と看破している感じをみんなが無意識に受け取っているのかも知れないね。

「オレは誰にも頼らないぜ!みんなニセモノだー!」と青春時代に叫んでも構わないけど、徐々にその叫びの方がリアリティがだんだんと無くなって来て、「マジに感謝!みんなに感謝!こんな俺でも生きてこれたの、マジに感謝!」みたいな方が「まぁ、そうだよね〜」ってなってる気もします。

かなり、脱線しましたけど、あらゆる仕事をしている人、別に稼いでるって意味じゃなく、あなたに何かしてくれた人には「ありがとう」を言おうよ。

更に、本当にまったくの無償で何かしてくれるのは【交換】じゃなくて【愛】とか【慈悲】なんです。例えばお母さんとかお父さんとか?それには心からの【感謝】と【成長】で、その人達と【社会】に【恩返し】してくださいね♪

読んでくれて、ありがとうございます。
あなたに幸せな日々が訪れますように♫

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