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見てあげるということ

おはようございます。中嶋です。
今日は12月22日(水)、冬至です。また、明日から少しずつ日が出る時間が長くなっていきますね。

さて、こういう話をしました。

最近は、何かを見てあげるということが少ないんじゃないかと?

自分の損得が先になり、誰かがやってくれてるいることとか? 誰かが親切にしてくれていることとか? そういう所に目が行く余裕が無いような社会感を感じます。何かしてもらっても当たり前だし、何かすることも当たり前だし、自分の損得話ばかりです。そこに、ありがとうって言葉もない….

昔は、誰かが観ててくれるってよく言ってくれましたが、最近は観ることもしないし、常に自分の損得話ばかりだし、ならば、そこまで自分だってやらなくてもいいなぁって思うのが人かもしれないし…

誰か1人でも、その姿を観てくれる人が居るだけで、正しく認めてあげるだけで、良い方向に向かうのに、その行為だけを誰かの損得に合わせてしまって、その行為の中にある本質の部分を見れない人が多いような気がします。


社会が人を育てるのか?  人が社会を創るのか?


もう少し、色んな事に大して見る力を持って、接して生きれる人になりたいけど、この社会にそれが必要なのかどうか? 物質的な豊かな社会も大事ですが、その人の心の中にある豊かさが溢れる社会のにならないと、いつまでも豊かな物質や社会環境の中で生きることに息苦しさを感じるのではないでしょうか?

僕自身は、もっともっと日々あるものをしっかり見つめて生きていたいと思います。

ではでは…

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