死んでからでは遅いのだ

先に断っておきますが、今回の記事は私個人の見解です。よろしくお願いします。

今回痛ましい事件が起きネット上でも議論を呼んでおります。ご遺族の方には哀悼の意を表します。

ネットの誹謗中傷っていうのは今に始まったことではなくて、ネット炎上という形で古くはブログの時代から繰り返し繰り返し繰り返されています。

もちろん、世界でそれを苦に自殺した方も多くいらっしゃいます。実際心無い言葉をかけられたらネット上とは言え、本当に心臓にズンと来るほどの心の痛みが生じます。

ほとんどの方は心無い言葉をかけられると人は傷つくことを知っていると信じています。

でもなかには、それがわからない人が一定数います。そういう方は飲み屋で愚痴をこぼすかのようにSNSで誹謗中傷コメントを送るわけです。

読んでるからな。そのコメント。分かってる?

とまぁ、言ったところでどれだけの人に伝わるのか。

まぁ、今回はこういうネットリテラシーの議論はそこそこにして、実は今回の件でひとつ思うことがありまして。

この国は、いや、我々はウヤムヤにしてきた問題の事の重大さに

人が死んで始めて気が付くのでは無いか。

ということです。

例えば、働き方改革はそうでしょう。

不謹慎を承知で申し上げますが、とある社員が自殺した際に過労問題が大きくクローズアップされて、世論が動き、結果働き方改革が進み始めました。

体罰だってそうでしょう。

行き過ぎた体罰で自殺者や死人がでて初めて世論が大きく動きました。

実はゆとり教育だってそうですよね。

行き過ぎた学歴社会、詰め込み教育のプレッシャーが一家殺人を起こしてるわけですから。(金属バット事件でしたっけ?)

全てが全てとは言いません。色んな要因が絡んでいるのは確かです。

でも、人が死ぬという最悪のシナリオを迎えて初めて、無関心な大勢が関心を向けるのは確かだと思います。

その最たる例がコロナウイルスです。

まぁ、これは日本人の特性なのか、人としての特性なのか、はたまた俺が勝手にそう思ってるだけなのかは分かりません。

でもな

死んでからでは遅いのよ

マリオみたいに人は生き返らんのよ。残基1なのみんな。

でも、なぜ死んではいけないのかって言う問いには正直僕は正確には答えられません。人が死ぬ時はそれぞれです。交通事故みたく理不尽に死ぬとかもありますし、自ら死を選ぶのにはもしかしたら当人なりの理由があるのかもしれません。

だから、「死」というテーマを扱う時は本当に慎重に扱わないといけないと思います。(自分では励ましてるつもりがその逆を行くこともありますからね。)

でも、ひとつ言えるのは、

大多数の無関心が

1番多く人を殺してる

そう思います。

その無関心が関心に変われば救えた命があったかもしれません。

そう考えると虚しくなります。

ちょっと今回はしんみりとした記事になりましたが、まぁ、たまにはいいでしょう。

ボチボチ生きましょう。

ほなまた。


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