蓬莱山輝夜の名言に関する考察

※以前別アカウントで書いた記事の移植です。

東方永夜抄結界組EDでの蓬莱山輝夜の発言を考察します。
独自解釈・主観が入っている部分が多いですが、それでもいいという方は是非見ていってください。

尚、一部東方永夜抄のEDの内容を含むので、ネタバレにご注意ください。

また、本記事は、Twitterにて発信した内容を、一部表現を修正して書いたものになります。
ご理解とご了承のほどよろしくお願いいたします。

1.名言の概要

今回考察するのは次の発言です。

過去は無限にやってくるわ。だから、今を楽しまなければ意味が無いじゃない。千年でも万年でも、今の一瞬に適う物は無いの。

この発言は東方永夜抄のEDで見られたものです。

この発言は、幻想郷に既に結界が張られていることを知り、隠れて過ごしてきた今までの生活を嘆く鈴仙と、それに対し姫様が更に長い隠居生活を強いられたことに言及した永琳の発言を受けたものです。

この発言(特に前半部分)は、次のように解釈されます。
「無限にやってくる過去に囚われてばかりいないで、今この瞬間を大切にしなさい。」

もう既に変えられない過去を気にしている暇なんて無い、それよりも今を楽しむべきだ、という励ましの言葉として捉えられるのです。

前後の会話を踏まえると、今までの隠れて過ごしてきた生活にやや否定的な感情を抱いていた二人に対し、前向きな言葉を投げかけ励ましている、ととることができます。

この発言からは、姫様の楽観的・刹那的である一方、将来を見据えた、ある意味では超俗的(月人的?)とも言える性格が見て取れるでしょう。
(これについては後述します)

2.蓬莱山輝夜の名言の裏にあるもの

しかし、この発言を姫様の境遇や能力等から考えると、その根底にあるものが見えてきます。

「千年でも万年でも、今の一瞬に適う物は無い」という言い回しは、凡人がいったところで説得力はないし、同じ東方Projectに登場するキャラクターでも、例えば霊夢や魔理沙が言うのとは訳が違います。

「実際に数千年・数万年生きていてもおかしくない」蓬莱山輝夜が言うからこそ、その発言は重みがあるものになるのです。

加えて、彼女の能力「永遠と須臾を操る程度の能力」を思い出してみてください。
「覆水も盆に返る」状況を作り出したり、他人の認識できない微小時間で不自由なく行動できる能力です。

この発言がこの能力と何らかの部分で関係している、と考えるのは極めて自然な発想でしょう。

2-1.蓬莱山輝夜が「永遠」と「須臾」をどう捉えているのか

先程の発言において、「無限にやってくる」に「永遠」、「今の一瞬」に「須臾」が対応していると考えられます。

だが、なぜ「永遠」ではなく「須臾」に重きが置かれるのか?
そして、「須臾」が「永遠」に勝るのはなぜなのか?

蓬莱山輝夜がこのように考えるのは何かしらの理由があるはずですが、それが公式に明示された場所は恐らくありません。
しかし、この発言が彼女の口から飛び出た以上、過去に彼女を運命的に変えるような出来事があったと考えて差し支えないはずです。

それでは、一体どういう出来事が関係しているのでしょうか?

勿論、このような出来事を、過去の恋愛などと結びつけていくのは、それが二次創作であるならば趣があるのですが、今回はもう少し推論的に考察していこうと思います。

そうなったときに、蓬莱山輝夜に大きな影響を与えた出来事として、「蓬莱の薬の摂取」「地球での隠居生活」というものが挙げられます。

まずは「蓬莱の薬の摂取」について。
元々姫様が蓬莱の薬を摂取した動機が「地上生活に憧れていたこと」というのもあり、その事自体を後悔していそうには見えません。

あるとすれば永琳への負い目ですが、「永遠」「須臾」とは少し趣旨が変わってきそうなので、本項では一旦脇においておきます。

続いて「地球での隠居生活」について。
姫様は永琳率いる月からの迎えが来てから、月の使者から隠れて過ごしていました。

その生活は、それ以前の地上での生活や付きでの生活とは異なり、常にそうではないにせよ、いつか来る使者に怯えていた側面はどこかしらあったのではないかと考えられます。

命こそ「永遠」ではあるものの、地上での「永遠」の生活はまだ保証されていない

これが、隠居生活の前後での姫様の生活の決定的な変化であるのは間違いありません。
彼女はそこに、「永遠」の限界性と「須臾」への可能性を見出したのではないでしょうか?

2-2.永遠の限界性

彼女が永遠の限界性を自覚している別の例を考えてみましょう。

東方虹龍洞には、「かぐや姫の隠し箱」というアビリティカードが登場します。
そのカードの説明文において、彼女は「永遠の人生」に必要なものとして「貯蓄」を挙げています

しかし真の意味で永遠ならば、つまり現状が無限に繰り返されるならば、わざわざ貯蓄をする必要性はないはずです。

卑近な例を挙げれば、私たちは「老後」に備えて貯蓄をします。
しかし、もし生涯ずっと働き続けることができるならば、貯蓄を続ける人はどれくらいいるでしょうか?

勿論、何か欲しい物がある、という場合は別ですが、貯蓄は将来への不安を和らげるために行われる事が多いです。

そう考えると、蓬莱山輝夜は(恐らく地上での隠居生活期間を経て)、真の意味で永遠であることの限界を自覚したのです。

世の理に反するとも言える「永遠」がいつ崩壊してもおかしくないと、彼女自身が一番身に沁みて実感しているのでしょう。

その代わりに浮かび上がってきたのが「須臾」です。
「須臾」は「永遠」と対をなす概念であり、彼女は自分の生涯の希望を「須臾」に託したのでしょう。

3.「永遠」「須臾」と「過去」との関係

それでは、「永遠」「須臾」と「過去」との関係性を見ていきましょう。

これらの関係性を考えるために、少々特異ではありますが、「私達の人生が須臾の連続である」という主張を考え、それを元に考察していきます。

3-1.私達の人生と須臾の連続性

私達の人生の一瞬一瞬に着目すると、その各々は須臾であると言えます。
勿論須臾は微小量ですから、通常は積み重ねるだけでは微小量のままですが、それでも莫大な量を集めれば、無視できないほどの大きさにはなります。

そのようにして私達の人生が構成される、という見方があるのです。

微小量の扱いは厳密ではありませんが、この議論に則れば、私達の生きている瞬間のどこを切り取っても、それは須臾である、と言うことができます。

3-2.「過去」を構成する「須臾」と「永遠」

私達の生きている瞬間の一部分を切り取って得られる須臾に着目すると、その前後には、大量の須臾により構成される時間の流れがある、と考えることができます。

このとき、「今」から見た「過去」は、やはり無限の須臾の連続であるということになります。

結局、「過去が無限にやってくる」とは、どの瞬間の「今」を切り取っても、その前には無限の須臾の連続がある、ということに他なりません。

そう考えると、「過去」、例えば「千年」「万年」ではなく、「今」を大事にすべき理由が自ずと見えてきます。

少々乱暴ではありますが、先程指摘した永遠性の限界を、無限に積み重なる過去に適用してみます。
無限に積み重なるということは、永遠性を持つことを意味しますから、次のように適用できるでしょう。

「千年」「万年」という長い期間も、結局は無限の須臾の連続に過ぎず、それらが永遠の姿をいつまで保っているかも分からない。 そんな不安定なものに頼るくらないなら、いっそ須臾という短い時間を楽しんだほうがましだ。

実はあの発言には、このような心情がこめられているのではないでしょうか。

あるいは、次のように考えることもできます。
(もしかすると、こちらのほうがしっくりくるかもしれません。)

どの時点の「今」を切り取っても、その前には無限の須臾の連続がある。
しかし、永遠の安定性が保証されない以上、どこかの瞬間で過去が形を変えうる。
それゆえ、いっそ安定性の低い過去より今の一瞬を頼るべきだ。

いずれにせよ、「須臾」という極僅かな時間の持つ価値が、「過去」という膨大な時間の不安定さを上回る、ということです。
これが、姫様が今の一瞬を大切にしている真の理由であるのでしょう。

EDで輝夜は自分を「永遠に住む者」としていますが、これは「永遠の持つ不安定さを一番身近に知る者」ということを示唆していると推測できます。

そして、直後に「一秒でも過去のことはどうでもいい」という少し極端な場合に言及していますが、この言葉には「過去」より「今の一瞬」を大切にすべきだ、という考えへの強い自信が現れていると言えるでしょう。

4.補足:名言の考察中に思ったこと

以上で彼女の名言についての考察は終了ですが、上記のことを書いている際に思ったことを書き記していきます。

ここからは考察よりも個人的感想に近くなります。
(今までの部分も考察としては不十分な気はしますが…)

4-1.蓬莱山輝夜の性格

まず、ここでは蓬莱山輝夜の楽観的・刹那的である一方、現実的出先を見据えている性格について。

勿論好奇心で行動することも多くあるし、刹那的ではあるのですが、同時に何らかのことを意図した行動も起こしています。

蓬莱の薬の摂取はその典型例で、勿論一時的な欲求には違いないのですが、摂取してその後何が起こるかを想定していなかったとは考え難いです。

「刹那的で先を見据える」という一見矛盾した性格が同時に成立するのがなぜかといえば、やはり「永遠に住む者」だからです。

恐らく本人はその自覚なしに好奇心で動いているだけかもしれませんが、永遠性の限界を身をもって理解しているため、同時に先のことを想定して行動することにもなっているのでしょう。

過去のことは当然気にしていないし、意図的に未来のことを気にしているわけでもない。
しかし、ある意味無意識的に、将来のことを考えて行動している。 言い換えれば、身体レベルで先を見据えているわけです。

未来予知とは言いませんが、それに近い類のものを有している可能性も否定できないでしょう。

4-2.姫様が「過去」の出来事をどう捉えているか

続いて、姫様が過去のことを覚えているのか、について。

「過去は無限にやってくる」「今を大切に」というセリフを見て、「それでは姫様は過去の楽しいイベントを全て忘れ去っているのではないか」と思った人はいないでしょうか。

過去に囚われないということは、言い換えれば過去を捨てるということでもあります。
しかし、楽しい出来事の記憶の忘却はこれに含まれるのでしょうか。

これに対する自分の答えはノーです。
というのも、姫様が「過去」より「今」を大切にしているのは確かですが、「今を楽しむ」過程で過去のことが関係する可能性は決して低くないからです。

時折、姫様は過去の楽しい出来事を思い出し、今を楽しむのに役立てるのではないか、と私は考えています。
「今を楽しむ」という目標達成のために、過去を無限にやってくるものと割り切ることはあっても、完全に忘却はしない。

ということで、輝夜推しの皆様は、姫様と何かをする妄想をすることが一度や二度はあるかと思いますが、そのことを彼女が忘れてしまうことを恐れる必要はありません。


以上で考察(及び感想)は終了です。
納得行く部分、賛同できない部分等あるかと思いますが、是非何かあればコメントやTwitter等で言っていただければ幸いです。

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