音源制作記 結果として出来たもの

最近、ここに文章を書きまくっている、
なんか独りで喋り過ぎているような気持ちになる、
まぁ実際そうなんだけど。

自分の思い込みだったりとかコダワリを延々と書いていると
ふと「本当にそうか?」という疑問も持ち上がってくる。
どうしてそう意固地なんだ?みたいな事も感じたりしてね。

昨夜から今朝にかけて、今制作中の音源に入れる曲の中では異色な2曲を色々手を加えながら、何度も歌っている。

なぜこの2曲が異色なのかというと、
他の曲たちはコードらしいコードが無かったり、ワンコード、ツーコードだったり、
コードが動いていても機能としてのコード進行は殆どしていなかったり、
ちょっと難しい話だけれど、要はとてもミニマルな民族音楽的な造りになっているのに対して、
この2曲だけは普通にみんなが耳にするようなコードがどんどん進行していくタイプの曲、つまりは西洋音楽的な造りになっている。

どちらかと言うと出てくるコードの数も多い方だろうと思う。

つい先日まで、これらの曲をアルバムに入れるかどうか迷っていた、
やはり自分の作品には統一感をもたせたかったから。

でも、今は入れたいという気持ちの方が強い、それは現在作業中なので思い入れているせいなのかもしれないけれど。

確かに一昨日ぐらいにここで歌詞の事を書いた、
その時、僕は「僕の歌の中の『僕』を歌う自分と混同されたくない」と書いた、僕の歌はフィクションであって私小説ではないからと、

でも、どうだろう?
この2曲の内、1曲は間違いなく私小説的な歌だ、
どうしてだか、作っている時にフィクションにしようという気持ちにならなかった、
それは曲の造りのせいも幾らかあるんだろうなとは思ったりもするが、

結局、自分がどう思っていても
出てくる物は、思いもよらない形で出てきたりするんだと思う。

それを聴いた人がなにを感じるのか
とても不安な様な気もする。

なんだろうな?つまり自分についても僕は全部分かっているなんて云う事はないんだな、
そんなことを改めて思う。


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