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林家たい平『27年目の芝浜』2023年師走 林家たい平独演会 二選

 『芝浜』という古典落語の演目は、多くの落語家を魅了して手掛けてみたいと思わせる名作人情噺です。丁寧に演じると小一時間の時間がかかる演目なので、高座の時間がたっぷりとれる落語会で、また季節的に大晦日が物語のクライマックスになるため、年末に開催される独演会でしか演じる機会がない演目といえましょう。その演じる機会さえも難しい噺を、27年間も年末に、『芝浜』の会を開き続けている林家たい平師匠もまた『芝浜』に魅了された落語家の一人です。今回のテキストは、2023年の12月に開催された二つの林家たい平師匠の独演会で演じられた『芝浜』について書いてみたいと思います。

2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座

 偶数月に定期的に開催される横浜にぎわい座の「林家たい平独演会 天下たい平」は、今回で118回を迎えました。年に6回とカウントして実に20年近く続けている計算になります。そして、たい平師匠は二つ目時代から、別場所で毎年年末に『林家たい平の芝浜を聴く会』を開催して来たので、会の趣旨の都合などで12月のにぎわい座で『芝浜』をかけることを避けていた時期もありましたが、お客様から、
「日曜日開催の『天下たい平』は通えるけど、平日の『芝浜の会』は行けないので、にぎわい座でも『芝浜』をかけて欲しい」
 という声があがり、それに応えるように近年はにぎわい座でも『芝浜』をかけるようになりました。
 ただし、『独演会 天下たい平』はネタ出し(※事前に演じる演目を発表すること)を原則的にしないので、年末のにぎわい座の独演会で『芝浜』をかけるかどうかは、分からなかったのですが、今年はトリネタでかけてくれました。お客様は大喜びだと思います。

(1)  開口一番 林家さく平 『看板のピン』

2023年12月10日林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 開口一番 林家さく平さん

  多くの落語会の冒頭は、前座の身分の落語家さんが「開口一番」の名目で高座に登場します。「天下たい平」の「開口一番」は、直弟子にして、たい平師匠の御長男でもあるさく平さんが務めます。
 短いまくらと小噺のあとは、ネタおろしと思われる『看板のピン』を口演。入門4年目のさく平さんは、やっぱり声質と口調がお父さんによく似ている。特に『看板のピン』に登場する親分さんの貫禄は、お父さんが演じるご隠居に通じるものがあります。歯切れのいい口調と、人物の描き分けが楽しい高座で、将来が楽しみです。

2023年12月10日林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 開口一番 林家さく平さん

(2) 「三味線漫談」 林家あずみ

2023年12月10日林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 林家あずみさん

 たい平師匠の一番弟子のあずみさんが登場。三味線と唄の合間に語られるネタがとても楽しく、それを楽しみにしてこの会に通うお客様も居るほどです。
 この日のあずみさんの高座は弾け飛んでいました。美人の芸人の方の中では大変珍しく漫談中の「ヘン顔」、「赤ちゃんにゲロを吐かれる」、「あまりに驚いて失禁する」などのエキセントリックなエピソードトークを披露して爆笑をさらっていました。三味線漫談家の中で、唯一無二の芸風になったなぁと思った次第です。

2023年12月10日林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 林家あずみさん

(3)ゲスト 「ギター漫談」 林家ぺー

2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座 林家ぺー師匠

 全身ピンクの衣装に身を包んだ林家ぺー師匠が登場!ご存知「誕生日覚え」の合間に語られる即興の駄洒落芸が楽しくってしょうがない。ペー師匠の登場で、たい平師匠登場前に大変豪華な会になりました。

2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座 林家ぺー師匠

(4)『河豚鍋』 林家たい平

2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座 林家たい平師匠

 いよいよ、たい平師匠が登場!一門の大先輩であるペー師匠のゲスト出演に感謝しつつ、ペー師匠の面白エピソードを披露して大爆笑をさらいました。「えんらく」と読める看板の店に一晩に何回も遭遇するエピソードを披露して、「どうして、こんなに付きまとうんだ? どれだけ天国に友だちがいないのかなぁ?」と、故・六代目三遊亭円楽師匠の話題、自宅の自転車が盗難されたけど、直ぐに自力で発見した話題など、たっぷりと楽しいまくらをふって、『河豚鍋』へ。
 河豚は食べたいけど、毒にあたるのは嫌だ。そうだ、先に味見させて様子を見よう。そんな思惑に右往左往する人間模様が実に楽しい一席。

2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座 林家たい平師匠

(5)『芝浜』 林家たい平

2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座 林家たい平師匠

 仲入りあとは、客席の電灯が消されて、出囃子の「中の舞」が流れる。大きな噺を演るときの出囃子だから、『芝浜』だろうとあたりを付けた。終演時間を守ることの意義を語る短いまくらのあとに、『芝浜』に入った。

 有楽町朝日ホールで演った『芝浜』のレポートを後程記述いたしますので、ここでは、わたしと立川談志師匠の『芝浜』、林家たい平師匠の『芝浜』との縁を書いておきます。後半の『芝浜』ではたっぷり林家たい平師匠の『芝浜』について書きますので、事前説明ということでご容赦ください。

 わたしは1994年の夏から竹書房の当時はビデオカセットを企画制作する部署にお世話になり、立川談志師匠の担当になりました。立川談志師匠の商品は、ビデオカセット全集、DVD全集、CD全集、CD付ムック、書籍など、今日までの29年間で、DVD115枚、CD130枚、書籍6冊をプロデュースする縁に恵まれました。2012年劇場公開の『映画立川談志』では、監督の立場で『芝浜』の映像編集をやらせていただきました。談志師匠の人情噺の代表作ともいえる『芝浜』は、映画に限らず最も多く映像の編集をした演目です。

 さて、『芝浜』は三遊亭圓朝の三題噺が原作という説がありますが、真偽が定かではありません。圓朝の三題噺が元になった伝説が残るくらいに、良く出来たストーリーの噺であるのでしょう。現在の『芝浜』のストーリーは、三代目桂三木助師匠が戦後に、安藤鶴夫先生(小説家、落語評論家)ら、作家や学者の意見を取り入れて改作したものが基礎になっていると伝わります。三代目桂三木助師匠が存命中は、他の落語家は遠慮して演らなかったそうで、三木助師匠の逝去後に七代目立川談志師匠をはじめてとして多くの落語家が演じるようになりました。
 『芝浜』の魅力について続きます。
 昭和29年の文部省芸術祭奨励賞を受賞した三代目桂三木助師は、
「落語とは絵である」
 と語っていたそうです。つまり、演者が丁寧に情景描写を行い、その映像を聴衆の想像力に描き出すことでしょう。『芝浜』の場合、魚勝が芝浜にやって来て、財布を拾うまでの夜明けの海の様子、または大晦日に夫婦が差し向かいで一部屋に居る様子を、様々な言語的な小道具で描き出しています。   
三木助師由来の『芝浜』は、芝浜では波、蟹、日の出、芭蕉の句といった言語的な小道具が登場し、大晦日の描写では、年末で混雑する銭湯、蕎麦屋の器、掛け取り、正月のお飾りが風に揺れて雪が降って来たような音がする等、こちらも「粋な言葉」が登場して、情景描写をしています。
 こうした文学的なアプローチに関しては、当時から古典落語の範囲を逸脱しているという意見もあり、落語家内でも賛否がありました。
 三代目の実孫の五代目桂三木助は、時間がとれない高座において、芝浜の描写をせずに、慌てて戻ってきた魚勝が財布を拾ってきたことを女房に語り聞かせる構成にしています。(2023年12月11日 渋谷らくご ふたりらくご 芝浜を聴く会)これは、五代目古今亭志ん生や三代目古今亭志ん朝の型です。このように、『芝浜』は演る人によって工夫や解釈が違う噺で、五街道雲助師匠は、次のように語っているそうです。
「この噺ほど演る人によって持っていき方や工夫の違う噺もありません。それだけに演者の噺に対する姿勢や感覚を試されて、恐い噺なのかも知れません」
 『芝浜』は、情景描写、魚勝と女房の造形など、解釈も工夫も手を入れる余地が多い噺なのでしょう。またこの噺を代表作とすることは、古典落語家としての誉れになる魅力を持っていると思います。

 2006年12月、沢山の録画用カメラが入った豪華なホールで立川談志師匠の『芝浜』を鑑賞させてもらった。毎年恒例の年末の風物詩として、談志師匠の『芝浜』を聴いて涙し、数年後には弊社で映像商品として発売する。――そんなルーティンのような気持だった。
 また、2006年は、林家たい平師匠との仕事のつながりが出来た年だった。2005年の落語ブームを受けて、落語立川流以外の落語家さんとも仕事をするべきだと考えた私は、会社に企画を通して、たい平師匠の故郷の秩父で開催された独演会の様子を収録させてもらって、翌年1月にDVD商品の発売をする計画を立てていた。談志師匠の独演会の頃は、たい平師のDVDの製造原盤も、DVDジャケット印刷も作業は終了して、サンプル版も配布済みだった筈だ。
 たい平師から、東京芸術ホール2での独演会の招待をいただいた。「たい平の「芝浜」を聴く会」というタイトルの会だった。正直に告白すると、林家たい平師の『芝浜』はこの段階で聴いたことがなかった。ほぼ、談志師匠の『芝浜』しか聴いてなかったからだ。当日に、わたしはたい平師の『芝浜』の談志師匠とは違うアプローチに衝撃を受けることになる。
 芸の優劣の話ではない。『芝浜』という噺へのアプローチの違いから、新しい魅力を観させてもらったのだ。談志師匠の『芝浜』には、談志師匠にしか出来ない魅力の塊が詰まっている。たい平師匠の『芝浜』には、たい平師匠でしか出来ない魅力を感じ取った。客席の後方席を用意してもらったのだが、周りを見渡しても収録用のカメラの姿はない。高座の両袖にも、アンビエント録音用のコンデンサーマイクも立っていない。つまり、この『芝浜』は、これほど素敵な出来なのに、一度語られると空気に消えてなくなるのだと気がついた。談志師匠の高座は、会社や事務所から、あるいは放送局から収録予算が出るから、機材とスタッフが贅沢に用意されるけど、当時のたい平師匠はそうではなかった。
 その当時の私は勝手に、談志師匠のブレーンであった故・川戸貞吉先生を落語プロデュースの先生だと思っていた。TBSへアナウンサーで入社した川戸先生は、まだプロの録音スタッフが入ることのない若き日の立川談志師匠の独演会「ひとり会」の第1回(昭和40年12月5日 新宿紀伊國屋ホール)から、自費で購入したマイクと6ミリのオープンリールを持ち込んで録音していた。勿論、放送番組化や商品化の目途などもなく、「この噺を記録しなくては」という使命感で録音していたのだ。この膨大な録音が日の目を見るのは、1996年の9月にCD全集として発売されるようになってからだ。実に31年後、……わたしは、たい平師の『芝浜』を聴いて、発売されたばかりの業務用HDVハイビジョンカメラを自費で購入する決意をかためる。
 
 『芝浜』という噺が縁で、わたしはたい平師匠の記録人としての人生を踏み出すことにした。


2023年12月10日 林家たい平独演会 天下たい平Vol.118 横浜にぎわい座 林家たい平師匠

2023年12月14日 林家たい平独演会 27年目の芝浜 有楽町朝日ホール

2023年12月14日 27年目の『芝浜』 林家あずみさんとさく平さん

 2006年にハイビジョンカメラの自費購入を決意してから17年後、私が落語を録画取材した回数は、1,160回となり、ビデオカメラもHDVからAVCHDとなり、7~9代目のカメラは動画性能に優れたマイクロフォーサーズのミラーレスカメラで録画している。落語会が開かれる会場で首都圏であれば、大抵の会場のカメラ位置、音声ラインの出力端子の場所も把握しているのだが、有楽町朝日ホールは初めて取材に伺う会場で勝手が分からない。聞けば、21時に終演ではなく、完全撤収ということで会場をお借りしているそうなので、片付け優先のセッティングをする。
 その日の進行表も変更して、さく平さんの開口一番は割愛して、あずみさんとさく平さんが開演前に、「火の用心」ならぬ「ケイタイ用心」「トイレ用心」で会場を練り歩き、影アナ代わりに舞台で挨拶して開演する運びとなった。

(1)『長短』 林家たい平

2023年12月14日 27年目の『芝浜』 林家たい平師匠

 この演目は実に楽しそうに演じる。演者の喜びが聴衆にビシビシ伝わる噺で、笑いの少ない『芝浜』を演る前には、ベストな演目選択だと思います。にぎわい座ほど長くない“まくら”をふったあとは、笑顔が素敵なお馴染みの長さんと、気の短いいつも怒っている短さんとの掛け合いがはじまる。二人のやり取り、表情と所作の様子が楽しくて仕方がない。終わって欲しくない至福の時間だった。

2023年12月14日 27年目の『芝浜』 林家たい平師匠

(2)『芝浜』林家たい平

2023年12月14日 27年目の『芝浜』 林家たい平師匠

 仲入り後は、あずみさんとさく平さんの「影アナコント?」から、皆様お目当ての『芝浜』へ。では、ゆっくり林家たい平師匠の『芝浜』について書いてみます。
 その前に、『芝浜』という演目について、渋谷らくごのキュレーターのサンキュータツオさんの10年ほど前に談志師匠の『芝浜』の映像を観る会で語った言葉を紹介させていただきます。
「『芝浜』という噺を語るのは、名峰への登山に似ている。どのルートで登るのかを、演者によって、あるいは同じ演者でも毎回違うルートを模索する演目だ」 
 たい平師匠の『芝浜』は、「毎年進化している」と言われます。談志師匠の『芝浜』も進化していると評論家の先生方は評していた。たい平師匠自身もブログ等で、「今年はどんな『芝浜』にあえるか楽しみ。お客様と創っていくその年々の魚勝夫婦が私に乗り移る」等の書き込みがあります。
 談志師匠とたい平師匠、二人の『芝浜』の進化していく様子を、長い時間をかけて定点観測の様に聴いてきました。結論から申し上げると、二人の『芝浜』は目指しているものがまるで違うので、同じ演目でも進化の方向性が違います。その違いは、『芝浜』を演じる落語家の本質にかかわっていると思います。

 談志師匠の落語哲学は、「非常識こそ落語の本質だ」と言い、有名な名言は「落語は人間の業を肯定する」です。業は、欲望とかに置き換えられるようです。その理由からか、生前の談志師匠は、『芝浜』という噺を、「あまり好きな噺ではない」と語っていました。談志師匠の『芝浜』を語ることは大変危険なことですが、2007年12月18日よみうりホールの談志師匠の『芝浜』を生で聴き、何度も映像編集させたもらった私が分析する談志師匠の『芝浜』の進化は、夫婦の愛が再生する様子を圧倒的な芸の凄味で具現化することだと思います。2007年12月18日の『芝浜』は、三年後の大晦日に嘘をつかれていた魚勝は、激昂して女房の髪の毛を摑んで手を上げようとする。告白が終わると、感極まった女房は獣の咆哮の様に号泣する。告白後に魚勝は、女房に頭を下げて許しを乞う。この短い時間に凄まじい感情の嵐がおこります。告白の最後に女房は絞り出すような声で、「一つ頼みがあるんだけど、……お前さん大好きなんだ。捨てないでくれ!」と絶叫します。ここに、「愛し愛されたい」という人間の業を肯定している談志師匠の芸の本質が見え隠れしている様な気がします。談志師匠としては、理想とする落語とはかけ離れた「良妻の美談」という第一印象が照れ臭いのでしょう。なので、「あまり好きな噺ではない」と語っていたのだと思います。
 談志師匠のこの夜の『芝浜』は、出来る限り落語のト書き部分を排し、夫婦の台詞と表情だけで演じてみせた。体調もよくなく、声の調子が悪かったこともあり、「果たして今の自分に観客を満足させる『芝浜』が出来るのか?」と、躊躇するような長いまくらをふっていたが、それを逆手にとって、素晴らしく印象的な『芝浜』が遺されたのだと思います。

2023年12月14日 27年目の『芝浜』 林家たい平師匠

 一方、たい平師匠の落語の本質は、悪人が一人も登場しない『井戸の茶碗』に見られるような「人間賛歌」だと感じています。2006年の『芝浜』では、魚勝が酒に溺れる原因となるエピソードを丁寧に語り、魚勝が商売に戻ったエピソードも、長屋の住人、得意先の旦那など、魚勝を思い遣る人間同士の心温かい心情が語られる。
 個人的に、わたしはこの型が大好きなのだが、近年はこのエピソードは省略されている。それは、近年のたい平師匠が夫婦の「互いに相手を思いやる心」に焦点を置いて『芝浜』を描きはじめたように思えます。
 たい平師匠もまた、三木助師由来の文学的な言葉を省略するように、『芝浜』を仕上げて来ました。そして近年のたい平師匠の『芝浜』の最大の特徴は、財布を拾ってきたことが夢だと認め再び商売に出ることになった魚勝に、
「俺は、もう、酒はやめる」
 と、宣言させないことです。三年後の大晦日の夫婦の会話から、魚勝が断酒したことがあかされて、魚勝の三年分の苦心が凝縮されて披露されるのです。
 おそらくですが、三年前の魚勝に、これからの約束をさせないことで、人間としての誠実さを描きたかったのだと思います。三年間の生活の中で、お互いに口にはしないけれど、魚勝は酒を口にすることも無かったし、女房も阿吽の呼吸で酒を出すことも無かった。そんな夫婦の日常生活が、この工夫で思い描かれます。
 たい平師の落語の哲学のひとつは、お互いを思いやれる人間の素晴らしさだと思います。女房の告白の後も、魚勝は手をあげることも無く、静かに受け止め「三年も女房に嘘をつかせてしまった」ことを謝罪する。女房もまた、一所懸命に働く夫が自分のことよりも女房に気遣う心根に感謝しながら、噓をついてきたことを謝罪する。お互いに謝罪して感謝する夫婦関係が描かれる。夫が酒に溺れたこと、女房が夫の処罰に恐怖すること、そんな「人間の業」は過剰に説明しないで、夫婦が互いに感謝しあう様子を爽やかに描いたたい平師の『芝浜』の進化を観たと思いました。
 
文・加藤威史

2023年12月14日 27年目の『芝浜』 林家たい平師匠

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