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再会なるか。

自分が入団する前のjacは、
親父の勢い、とどまる事を知らず、
もう、映画界、演劇界、特撮業界など、
全てのジャンルで先輩達が活躍されていて、
悦子さん広之さん筆頭に、健二さん、春田さんなど、
カリスマ的な存在が何人もいた。

そこから、更に彗星の如く現れたのが、
淳也さんだった。
当時の日テレ、ドラマ、カンフーチェンは、
必ずビデオに録画して、何度も、ワクワクしながら、
観ていたのを覚えてる。

そこから純也さんのサクセスストーリーが始まり、
カンフーチェン後も、
すぐにまた、日テレさんのドラマで主演、
そして、映画、伊賀のカバ丸で大抜擢され、
広之さん、黒崎さんと並び、
この御三方が、当時のjacの主軸となった。
絶大なる、不動の人気だったのだ。

だが、自分が入団した時には、
もう、在籍されておらず、、、
非常に残念でしかたがなかった。

の、だが、、

とある、学園もの、
そう、あのドラマにレギュラーで出演していた頃、
ゲストに来られたのだった。

YouTubeの回顧録でも語ったが、
今でも鮮明に覚えてる、この下の写真、
学園内の廊下のセットで、すれ違い、
その時、互いに眼を合わせたのにも関わらず、
な、なんと、軽く会釈するだけしか、できなかったのだ。

違うだろう、
普通は、直立不動で、先輩にご挨拶するのが、
筋なのに、
なんだか凍りついたように、何もできず、
素通りしてしまったのだ、、。

別に当時、イキってたわけでもない。
「あっ!淳也さん!」と心の中で思っていながら、
何も行動に移せなかった、、、。

これを読んでる方にも、そうゆう経験はないだろうか。
突然、憧れだった人が、目の前に現れた時、その存在感に圧倒されて、逆に失礼にならぬよう、何事も無かったかのようにその場を去る、、、みたいな、、、。

互いに、眼が、バチっと合ったにもかかわらず、、、

あの出来事は、一生、焼き付いている。

その、最大の失態を御詫びしたく、
次の機会を待っていたが、それ以降は、
お会いできる場が無かった。

退団された理由など、全く分からなかったが、
何年か前に、雑誌か何かで拝見し、
当時の杜撰な内部事情などは自分も良く分かっていたので、納得したのだった。

だが、それでも、
親父に対して、
jacに対しての愛情は、持ち続けていらして、
親父の集いに行かれたり、
「jac愛」を、今でも語られてる。

社会貢献もなされ、
どれだけ、人として素晴らしいか、と、
しみじみ感じながら、
今回の自分が考えている事に、
是非とも、ご賛同を、
というか、、、
大先輩に対し、失礼にあたるかもしれないが、
とにかく、お会いしたかった。

その、、
願いが、、、

もしかしたら、
実現するかもしれない、、。


いや、
まだ、分からない、、

だが、
前向きな、お返事を下さっただけでも、
それだけでも、、
ありがたい事なのだ。

船越の兄貴もそう、
久々に連絡しても、
「武、電話じゃなんだから、飯食いに行こうぜ」
と、言って下さったり、

松村の兄貴もそうだ。
いつでもウェルカムの姿勢で、
いて下さってる。

どれだけ、有難い事だろう。

忙しくて、先延ばし、
もしくは、うまくタイミングが合わず、
自然消滅になったとしても、
「会おう」と言ってもらえる事の有り難さ。

それだけでも、
感謝の想いを胸に、前進できる。





今回は、

親父への追悼。

懺悔の想いも込め、

身近な事から始めようと、思いついたこの「発想」を、

なんとしても、少しずつ固めていく。


あの時もそうだった。

全くのゼロからのスタート、

そこから、一気に賛同者が増え、
自分達のスピリットが、海外、海を越えたのだ。


自信を持って、、

この身近な「発想」を、

固めていこう。。



懺悔と、

祈りを込めて、、。




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再会を胸に、、、。


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