聴く親父
テグスを消して、テグスを消して、テグスを消す作業に追われている二月後半。俺はテグスを消すために生まれてきたのか?きっとそうだ。前世でテグスに恨みを買うようなことをしたのだろう。いったい何を吊るしたんだ前世の俺は。便利に使う時だけ使って、不要になれば消される小道具ナンバーワンだ。テグス、ごめんよ。
一昨日、息子を連れて新しい公園に行ってきた。相変わらずひとりで滑り台で何度も遊ぶ。そんなに滑り台が好きならホームレスになっても大丈夫そうだ。
3歳くらいのお兄ちゃんが持っていたペダルの付いていない自転車に興味津々だった。流行ってるらしいね。あれ。乗りたい触りたいとアピールする姿を見ると、今すぐ用意してあげられないことに胸が苦しくなる。いつかね、いつか買ってあげるからねと自分に言い聞かす。
家から少し離れたあの公園まで行けたことが嬉しいようで寂しくもある。大きくなったら友達と、彼女と、ひとりで、いろんなところに行くんだろうな。その度に何を見てきたのか、どんな時間を過ごしてきたのか、話してもらえる父親でありたいと思う。
大した人生経験をしていない僕はためになる話は聞かせてあげられないけれど、子供の声に耳を傾けることだけは大切にしたい。喋る親父よりは聴く親父でいたい。
息子の話を聴ける日が楽しみだ。
サポートしてもらえるなんて、こんな嬉しいことはない。