佳曲『愛染橋』の謎

 『愛染橋』という楽曲について最初に抱いたのはちょっとした違和感だった。
 山口百恵は、様々なジャンルのバラエティーに富んだディスコグラフィに恵まれた印象があるが、アイドルというよりアーティストとして活躍した後期には阿木・宇崎の天才コンビによる楽曲がそのメインストリームを飾るようになる。第13弾シングル『横須賀ストーリー』から『パールカラーにゆれて』と『赤い衝撃』をはさんで、第16弾シングル『初恋草紙』以降は、事実上のラストソング第31弾シングル『さよならの向こう側』までにシングル16曲をリリースしたが、このうち実に12曲が阿木・宇崎の天才コンビの手によるものだ。例外が、『赤い絆(レッド・センセーション)』、『秋桜』、『いい日旅立ち』、そして『愛染橋』なのである。『赤い絆(レッド・センセーション)』はドラマタイアップ曲、そして、さだまさしによる『秋桜』は、楽曲の依頼から彼がこの作品を生みだすのに1年かかってしまったことでこの時期のリリースになった偶発的なものだし、谷村新司の『いい日旅立ち』は、国鉄との今でいうコラボレーションによるキャンペーンソングであり、例外といっていい。つまり、阿木・宇崎コンビ以外の作家によるレギュラーシングルリリースは『愛染橋』だけ、といってもいいだろう。
 もちろん『愛染橋』は、さすがの松本隆、堀内孝雄によるしっとりと落ち着いた佳曲で、わたしはもしオリジナルの歌い手が山口百恵でなかったならば、この楽曲はもっと息の長いスタンダードナンバーになっていたのではないかとさえ思う。(例えば、同じホリプロの石川さゆりの持ち歌だったならば、その後、何度も紅白にかかる楽曲になっていたのではないかとさえ想像する。余談だが「青森・津軽海峡」、「伊豆・天城峠」とともに「大阪・愛染橋」と、女のご当地ソング三部作になっていたかもしれない。当人が引退してしまっているがゆえに歌われる機会が失われてしまった隠れた名曲の一つと言ってよいだろう。百恵トリビュートで中森明菜がうたっているが、彼女が紅白でこの歌を披露することはないだろう。)
 さて、この『愛染橋』、違和感の出発点は、上記のとおり阿木・宇崎の天才コンビ以外のレギュラーシングルとしてリリースされたことだった。しっとりと落ち着いた演歌調の楽曲で、『秋桜』に続く久しぶりの和のテイストを醸し出す佳曲としてヒットし、「ザ・ベストテン」にもランキングされて山口百恵がスタジオで何度か披露したことを覚えているが、改めて聞き直してみてその歌詞の内容に愕然としたのだ。
 そう。タイトルに記した「謎」とは『愛染橋』でうたわれた歌詞にあるのだ。

 この楽曲のデモを聞いたとき、山口百恵は、恐らく『青い果実』以来、「こんな詞、歌うんですか?」と思ったのはずだ。どういうことか。この楽曲が作成された当時の山口百恵の状況をご想像いただきたい。
 前年(79年)10月に恋人宣言、翌年(80年)3月にはお相手の三浦友和とそろって婚約・引退記者会見というスピードなので、暮れから翌早春にかけて、山口百恵は、周囲の関係者に対して自身の思いを打ち明け、説明や説得に奔走していたはずだ。つまりお世話になっているホリプロやレコード会社の経営陣を含め、特に親しいスタッフや業界関係者には、自身が三浦友和と恋人として付き合うだけではなく、結婚して引退する強い意思があるということを79年の秋以降、翌年の春までに周知し了解を得るべく行動していたはずなのである。このことを踏まえると、『愛染橋』の歌詞に隠された意味が浮かび上がるのだ。

 当時のレコーディングディレクターである川瀬泰雄氏の回想録『プレイバック』の記述を見ると、「1979年10月30日、百恵は大阪厚生年金会館のリサイタルで三浦友和との恋人宣言をする。この時期、スタッフは、どんなシングル曲で勝負したらいいのかを悩み続けていた。1979年6月1日発売の『愛の嵐』までは明確なコンセプトを立てられていたのだが、恋人宣言以前にすでに二人の交際を知っていたスタッフは、次のシングルA面候補曲を作るために様々な曲を作った。」そして「この曲(『愛染橋』のこと)の時が作品作りで僕が最も悩んでいた時期だった」とある。「この曲のタイトルは酒井氏が思いついたもの。それを松本氏に伝えて作詞を依頼したのだった。(中略)百恵の歌は、結婚という橋を渡る不安と期待を見事に表現している。ただ、その時の百恵自身は結婚に対して、何も戸惑ってはいなかった。この辺が作品を作るときに悩んでいた部分だった」(引用はすべて『プレイバック』)。

 所属事務所やレコード会社の経営陣、特にレコード会社のプロデューサー(酒井氏)であれば、山口百恵の引退は大きなドル箱の喪失を意味する。まだ翻意する可能性がありはしないか。もちろん結婚・引退を希望している本人に直接考え直してほしいなどと働きかけることはできない。プライバシーへの干渉になるし、これまでうまくやってきた彼女との関係を悪化させてしまう危険さえある。彼女の決意について、プロデューサーをはじめ周囲のスタッフの受け止めはそんな感じだったのではないだろうか。微妙な状況が制作の現場に悩ましい影を落としていたことが想像されるのだ。
 さてそこで『愛染橋』の歌詞である。

(前略)
あなた以上にやさしい人は
いそうにもないけど
結婚なんて旧(ふる)い言葉に
縛られたくなくて

 結婚は古い因習であり、そのようなしきたりには縛られたくないというこの歌の主人公の想いなのだろうが、古都に暮らし、京ことばを話す主人公の価値観としてはいささか進歩的に過ぎる感がある。ちなみに山口百恵自身は、『蒼い時』の随所に醸し出される文章内容や表現から日本のごく伝統的な結婚観・家庭観(夫が外で稼ぎ、妻は家庭を守る)に共感を抱いていることが窺える。この歌の主人公は、どうやら山口百恵自身とは対照的な価値観の持ち主だ。
 そして特に二番にうたわれた歌詞が、これから結婚を考えている娘には禁句の連発のように思われる。

髪の芯まで飽きられる日が
来ないとも限らず

 髪の芯まで飽きられる日が来るなどと、結婚を前にした娘が想像することだろうか。はっきり言ってかなり突飛な印象を禁じ得ない。「髪の芯」で慣用句を探してみたが見当たらない、ということは作詞家が奇を衒った表現なのだろう。「髪は女の命」という慣用句はあるのだから、その芯まで飽きられるとは、もはや夫が妻に女性としての関心さえ示さなくなったという極端な意味合いだと想像できる。

そしたらすぐに別れる勇気
ありそでなさそで

 何に迷っているのかと思えば、結婚生活での不安などではなく、夫に飽きられたときに別れる勇気が出せるだろうか。ということに迷っているのである。ちょっと心配が先回りし過ぎではないだろうか。これほど先回りの心配をする性格の人は、どのような行動においても不安に臆することだろう。

橋の名は愛染橋
ただ一度渡ればもう戻れぬ
振り向けばそこから想い出橋

うちは愚かな女やからね
人生もよう知らん
けれどあなたに手招きされて
渡りたい 渡れない

 全体をざっくりまとめると。
 京都に暮らし京ことばを話す主人公は、やさしい彼にプロポーズされることを予想している。
 しかし、もし受け入れて結婚したら彼に飽きられたときに別れる勇気が出せるかどうか不安なのである。
 だいいち、自分は人生のこと(恐らく結婚して夫と暮らしていく生活の実態)をまだよくわかっていない愚かな女である。
 彼のプロポーズを受けたいという気持ちはあるものの、今の自分には受けられないだろう。

 といった主旨が歌詞に織り込まれていると考えるのが自然だ。
 当時の事務所やレコード会社の経営者たち、プロデューサー、周囲のスタッフ等、山口百恵のプロジェクトに関係する人々の考えを想像すると、表向きは祝福しつつも、本心はその事実を認めたくない。結婚を、いや結婚はするにしてもせめて引退は思いとどまってほしいという想いを、『愛染橋』という歌に託して山口百恵に示したものと想像できるのである。
 せいぜいはたちの恋は一時の迷い。人生はこの先とても長い。あまつさえ彼女は今、歌手・女優の頂点に立っているのだ。ここでステージを降りるなどということがあり得るだろうか。
 京都が都だった平安時代には、想いを歌(和歌)に託して相手に伝えるという習わしがあった。ここでは、まさに山口百恵を取り巻く周囲の関係者、プロデューサー、スタッフたちがその想いを歌(流行歌)に託して相手(山口百恵)に伝えてみようとの試みだったのではないだろうか。だから平安の世にちなみ、京都に暮らし、京ことばを話す主人公をして山口百恵に語らしめているのではないだろうか。
 そうとでも考えるほか『愛染橋』の謎(このような歌詞の歌を結婚目前の娘に歌わせる意味)について納得できる解釈が成り立たないのである。
また、逆に全く何の意図もなく、このような歌詞の作品が、次のシングル候補曲として提出されたのだとしたら、関係者はどのように受け止めるだろう。関係者はすでに山口百恵本人から結婚することを知らされているのである。普通の常識を踏まえた日本人であれば、結婚式での禁句と思われる歌詞をこれほど並べた歌は「縁起でもない」。このような歌をこれからまさに結婚しようとしている当人に歌わせるべきではない、と考えるのが自然ではないだろうか。

 だから謎なのである。

 もう一度川瀬氏の言葉を引用すると、その謎が、
「ただ、その時の百恵自身は結婚に対して、何も戸惑ってはいなかった。この辺が作品を作るときに悩んでいた部分だった」
という心情に結び付くと思われるのだ。


 実は、『愛染橋』の謎についてずっと思いを巡らしてきて改めて気づいたことがある。
 上記の観点から改めて見直してみると、『しなやかに歌ってー80年代に向かって-』についても同様の周囲の関係者やスタッフの想いを窺い知ることができるのである。
 同曲の発売は「恋人宣言」より前だが、上記の通り「恋人宣言以前にすでに二人の交際を知っていたスタッフは、次のシングルA面候補曲を作るために様々な曲を作った。」とある。また、「この時期、スタッフの中でも酒井氏が一番シングルに対してのこだわりが強かった。酒井氏が悩みぬいた結果、「しなやか」という言葉が今の百恵には大事なのだと、酒井氏独特の勘とこだわりで考え付いた。」という。(同『プレイバック』)

 『しなやかに歌ってー80年代に向かって-』というシングル曲は、従来、その歌詞が伝えようとする意図が読み取りにくく、弾むような陽気な曲調に対してどこか不安で寂しげなの歌詞が添えられた印象であり、その不協和音によるものか販売枚数は27万枚と、山口百恵のシングル曲としては売れ行きも今一つだった。
 しかしこの曲も上記の観点の路線と軌を一にするものと想像すると、別の解釈ができ、ああそういうことか、という思いを新たにすることができる。
歌詞の主要な部分は以下のようになっている。

(前略)
夜は33の回転扉(とびら)
開ければそこには愛が溢れているのに
レコードが廻るだけ あなたはもういない

(中略)
夜は33のページを開き
昨日の続きの本を読んでいるのに
お話は終りなの あなたはもういない

(中略)
静かに時は流れてゆくの
夜はいつでも朝に続くはず
(後略)

 この歌の歌詞では33という回転扉の数字に注目した解釈が多く、LPレコード盤の1分当たり回転数33と1/3にちなんだものというものであり、もちろんその通りだが、「レコードが廻るだけ あなたはもういない」とは何を意味するのか。そして、「昨日の続きの本を読んでいるのにお話は終りなの あなたはもういない」とは何を意味するのか、あなたとは誰なのか。この辺りが主な謎になっている。
 これも『愛染橋』と同様に、恋人宣言前後から結婚・引退記者会見に向けて周囲の了解を得るべく、説明行脚を始めた山口百恵に対する周囲のスタッフの気持ちが歌に織り込まれていると考えると謎はスッと解けるのだ。
 つまり「レコード」は歌手としての山口百恵の活動の象徴であり、「昨日の続きの本のお話」とは、ドラマや映画における女優としての山口百恵の活動の象徴であり、ともに「あなたはもういない」(引退してしまう)という解釈ができるのだ。(レコードを聴くことはできても、歌う姿を見ることはもうできない。ドラマの続きや映画の次回作での彼女の演技も、もう見ることはできない)

静かに時は流れてゆくの
夜はいつでも朝に続くはず

とは、もしかしたらその先にあるかもしれない未来についての淡い期待を込めているのかもしれない。

 そうするとサブタイトルとして添えてある「ー80年代に向かってー」についても、プロデューサーやスタッフたちが、山口百恵とともに歩いてきた日々が、80年代においてもこれまで同様に続いていくことを願う心情が読み取れるのではないだろうか。

 こうして山口百恵の恋人宣言前後に発売されたシングル曲がどのような意図に基づいて制作されたのか、(もちろんそれぞれが秀作・傑作揃いである)そして引退までの駆け抜けるような彼女の日々とスタッフたちの葛藤に思いを巡らせると、改めてすさまじいまでの新鮮な驚きと感動を禁じ得ないのだ。

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