高校ドロップアウト→プータローからアルバイトをへて会社時代に組織に属さず行った収入がパチンコ、競馬、オークション転売でした

最初に言っておく

今の時代では同じやり方は通用しないはず 見ても損するだけ

数字や名前はうる覚えなので突っ込まないでください

14〜22? パチンコ

15〜35? 競馬

22?〜37 転売

24?〜25?株

16〜17  金貸し

32〜37  MNP

33?〜34?海外輸入

数字は年齢

10代の頃は海外進出とか考えていなく

ただ漠然とギャンブルで稼ぎたかった

体格がでかかったことと若干老け顔のため中学でもパチンコ屋には入れた

童顔の友達はアナウンスで追い出された経緯はあるが、俺は全くないムー

昔ギャンブルで稼ぎたい人は社会的にずれている?ような記事を見たことあるけど絶対にそうだ

年齢ごとにさかのぼっていきたい

パチンコ

最初の軸なったがやり方は簡単

当たる確率と出玉量に換金率をかけて千円当たりデジタルが回る回数を割ればいい

バイトしていない俺が言う高校時代のドラドラ天国

確率280分の1だったと思う?

出玉6000発×換金率2.5円(パチンコ玉1つが2.5で売れるの解釈でOK)1回当たると結果15000円

15000円で280回デジタルを回せるとプラスマイナス0になる

デジタルとは中央にあるチャッカーにパチンコ玉が1個入ると1回デジタルが回る

デジタルは毎回280分の1のくじ引きをしている

デジタル抽選回数を増やすほど当たる確率は上がる

パチンコ玉は1玉4円で買う

そのまま換金すると2.5円

その差額はデジタルの回転数(抽選回数を増やす)をあげれば利益になる

結論は抽選回数の多いパチンコ台を探すことが必勝法

そのために何時までに当たると換金せずに持ち玉で打てる環境を作る

4円で買った玉が2.5円でしか売れないから基本的には赤字になる

4円で買った玉を4円のままデジタル回転数を増やせる時間がある

それが当時の午前中

つまり9時から12時まで当たった玉で継続プレイ出来れば

等価交換を築ける

通常 4円=2.5円

朝  4円=4円

これだけで買った気になれるでしょ?

本当その通りで早起きは三文得はよく言ったもんで

換金率の価値を上げるために当たった玉で打てる時間を探すだけ

当時のパチンコは単純にデジタル回転数を増やすだけで勝てた

パチンコ雑誌で石橋達也やベンツ小林の名前を覚えている

あとはパチンコ屋にもモーニングサービスがあって

当時はコンチネンタル(スロット)やアレパチに朝一来店してもらうと

確率変動が起こる

通常250分の1位の当選確率がスロットは1000円で当たる(当時は当たったら6000円換算)

リーチ目が入った状態にしてあるため1000円で当てれるのである

アレパチは1回当たると5000円換算(連チャン機能があるため一気に40000とかあった)

愛知喫茶店のモーニングサービスみたいにパチンコ屋も朝一でくるとサービスがある

当たる確率を著しく下げたり、当たった状態にして置いておく(特にスロット)

特にアレパチは電源がオフなると6分の1で当たる設定のパチンコ台であった

机上の理論で言うと6台打てば当たる5000円が

1台500円もいらない

そこは早朝の安売りスーパーじゃないけどヤクザみたいなヤクザにしか見えない人たちが大勢多数

当時は隠語でヤクザを仲間内で伝えていた

パンチ

シーマ

割り込み

だってどこにいってもいるんだもん

ないしょばなし

当時パチンコで数万買った時、便所でうん十万入った財布があって

現金だけパクって財布を大便器に流してそのままパチンコして

近くのラーメン屋で腹ふくらかせて母親に迎えに来いって言った

当時は無免許2回していて保護観察中で乗り物に乗らないようにしていた

親不孝でごめんなさい

パチンコ屋に向かいに来てくれる母親に感謝

退職しても13万の¥上納金は払いますよ

その前に俺が貸した4桁の金を返せ

本音では全く言っていない

パチンコの結論は日給3万を超えれなかった

10台後半で1日仕事したふりすると2万くらいあって

当時はバイトも就職もせず月20万くらい

生活できるから

パチンコするの嫌なのよ

今の自分なら勝てる台を探してアウトソージング外注する

つまりやりたくない

俺の経験から言っていく

攻略とか新台並びとか裏モノとか散々やった

時給換算は2500円くらい

当時は月に100万プレイヤーは存在していなかった

Internetがない事態が一番の理由

当時の情報源はパチンコ雑誌と口コミ

その情報源を元に行うのが攻略法

簡単に言うとファミコンの裏技

チート行為のこと

人間が行う以上プログラムのミスがあり

意図的にやっているものもあるが

雑誌に載る頃にはだいたい店が対策していて

なかなか美味しい目に有り付けない

ゆういつ攻略法ができのがスーパードームという台

12ラウンドで調整すると永久連チャンできるのである

その台が高校時代の友達の家の付近にあった

その店全く対策されず、お客も少ない

目立たないように、毎日友達の家遊びに行って数万ずつぬいてました

止まった覚えもある

この台で1週間もたたずにうん十万の収入でした

こんな理由により、バイトをするという概念が全く存在しなかった

攻略法ではなくモーニングサービスだが

スロットやアレパチだけでなく羽根ものにもあった

羽根ものとは出玉が少なく低資金で遊べる台

だが釘を見る目はデジタルパチンコよりシビアになる

羽根ものにも時代の流れでデジタル化が進んだのがモーニングのきっかけ

台の使用で電源をお店が終われば通常落とす

朝一で電源入れるとデジタル部分が確率変動起こす機能をそなえた台が

たまに発売される

それがザ名古屋

生まれ育った地元でこの台を置いている店があり

なぜか朝から客がいない

当然俺ら友達3人4人組は手当たり次第打てる

1シマ12台だったかな?

1回当たると1500円だったかな?

学校前や休日に行って喫茶店と昼飯くらいは十分まかなえた

当時の高校生にしたらぜいたくであったし、楽しかった

そんなこんなで高校行きながら片手間にパチンコしていたが

2年後半から3年は学校辞める気だったので

パチンコがメインで高校へほとんどいっていなかった

特に火曜日はとなり町の店が午前中タイムサービスをやっている

会員になると持ち玉で打てるのだ

もちろん未成年だから年齢を偽って会員登録していた

9時から12時までに当たると持ち玉で打てて当日無制限

その売り上げを支えた台がドラドラ天国

大当たり確率280分の1で出玉が6000発

換金率2.5円で約15000円1発当たると

逆算すると持ち玉で打てることを考慮すると

17回回ればいい千円で

この店は探せば20回以上回る台があり

ドラドラ天国のシマは客が少ない

ほぼおれだけ状態

釘を見る目には自信はあったが優れたものではない

取り合う客がいなければ数台打てば

日当25000円以上の台には当たりつける自信があった

こんな生活を高校でしていればやめてしまいますよ

この台がほぼおれの高校時代生活の基盤を支えていた

パチンコに対する姿勢というよりギャンブルに対する姿勢として

やらないと負けない

これめちゃくちゃ重要でパチンコで言えば店に入っても打たない勇気

競馬で言えば、狙ったレースが来るまで買わない勇気

が求められる

一般の人はこれが難しく、なかなか越えれないが

おれは簡単にクリアできている

台とかレースとか馬を期待値でしか見ていないから

だから日本でいうパチンコや競馬ってギャンブルだと全く思っていない

ギャンブルって自分の身長以上のお金を胃をキリキリさせながら

賭ける身投げの行為が持論

こうやって書くとパチンコって簡単に勝てるのね?って思えるでしょ?

毎日パチンコ行くとき財布に5万以上入っているのよ

これは全部軍資金でスッカラになるときもある

その時は銀行で補充

大当たり確率が低いから、確率が収束するのに

5万じゃ足りないのよ?

例えば日当4万の台をゲットしました

昼まで1回も当たらず4万負けてます

なんの迷いもなく銀行行って5万おろせますか?

おれはそれが簡単にできた

簡単に言うと確率信者だから

当時の情報源であったパチンコ雑誌の先駆者がそれを

身をもって経験しアウトプットしてくれていたから

成功者のやり方をなぞっただけ

手元の軍資金は20万はきらないようにしていた

若かったから増えた金はすぐ浪費していた

バイクとか服とかその他浪費に近い存在のものに

自己投資はしていなかったし 金に余裕であった

話戻して高校辞める前のスロットの話

当時は設定1でも勝てる台が存在した

ペガサス412

通常スロットは設定1〜6まであり

大体5か6じゃないと勝てない

換金率が関与するから

1000円でメダル50枚が換金すると

750円になる

当時のスロットは設定6でも出玉率106%くらい

110%を超える台は少なかったはず?

スロットの最大の弱点は外から設定が見えない

今でこそデーターとか見れるようになり設定は予想できるが

あくまで予想である

予想は反対から読むと嘘よ

不確定な要素に金突っ込むほど無駄すぎる

こう書くとギャンブルしてないって思うでしょ?

ギャンブルはしていないのよ自分の感覚の中では

確率ゲームをしていてその報酬に世界の通貨が手に入るだけ

だから面白くない

はい脱線話戻します

ペガサス412だけは設定1でも出玉率が100%以上超える

2.5円換算の店でも日当2万円以上ある設定1でも

こいつをものにしていた友達早川がいた

なぜものにするのかというと

小役と言われるチェリーとかを目押しで拾うことで

出玉率100%が越えれるんだ

つまり常に状態を把握して目押ししないといけない

当時の攻略雑誌にやり方は書いてあったから実践できる技術があればいいだけ

僕は目押し下手なのよ

ペガサス412は中川の中古スロットやで買って両親に

自宅まで運んでもらった

当時3万くらいかな

友達みんなで研究したよ

部屋でコインがジャラジャラうるさいけど

どこでどう押すのか?

学校の勉強以上に研究している

少なくともおれにはスロットの目押しの才能はない

今でも自負している

それがスロットでは食えない最大の理由

だからモーニング専門なのさ

それで目押しすれば食べれる台は出てきた

クランキーコンドル

佐川時代の二股さんが東京でクランキーコンドルで食ってた

目押し専門で年収360万くらい

たいしたことない収入だが、20代前半

東京へ出て行っている

のは当時尊敬に値した

東京行って戻ってきて関西弁バリバリなのも違和感あったが

着火点が早く、速攻で自分意見を言う人だった

食べる台の探し方

当時高校やめてから競馬は中学から併用

収入源はほぼパチンコで多分17〜22くらいだったはず?

そのやり方

- 次に日に打てる台を探す

- これは目星をつけた店を数件、ピックアップしている

- そのために前日の夜お店の巡回作業をしている

- 当時の移動手段はバイクのちに車

- バイク時代は無免許2回やって家庭裁判所

- 親を悲しませたくないから家庭裁判所以降は交通機関利用

- 18になっても免許発行されなかった覚え

- 当日の広告によるチラシは見る

- 前日の拾った店と台と当日のチラシを考慮する

- 当時は新装開店時間が遅いほど美味しい

- 18時開店が一番うまい

- 12時開店はハズレが多い

- 15時開店はあり

- チラシによる新装開店を優先し

- 昨日拾った店と台の日当を考える

- モーニングは基本逃げ作業

- 打つ台がなくてしぶしぶ日当を求めた結果である

- モーニングでスロット連チャンなしで5000円

- アレジンで4000円

- 連チャンすればうん万だが

- 確率の神様は収束してくれる

- だから1日打てる台を探す

- 日当25000円以上

- それ以下なら就職して雇用保険払ったほうがいい

- 当時は保険払わず生きていく姿勢だった

- 自分の手持ちで明日打つ台を3つは確保する

- そこに新装開店を考慮する

店の探し方

スロットは設定がわからないから、モーニング以外は対象外 基本的にモーニングは日当を稼げる台がない時の保険の位置付けで、1日打って30000円以上叩き出せる台を探さないといけない どうやって店を探すのかというと釘にメリハリのない店はダメ 経営者側からすれば満遍なくデジタルパチンコが回らないようにしてコンスタントに回収できるのが理想なのは、自分がパチンコ経営者になったら考えて写す行動の一つだろう?

お店は基本的に自分の足で検索する 当時はスマホで検索とかできなかったら、自分の目で見て回った方が早い これは釘が読めるレベルまでいったからできた っていうとかっこいいけど釘が読めない質の低い服部剛が自分の足で見て回って、釘がみれる質が上がった結果なんだ

これもできる人間は速攻で行動するの理論に基づくけど、とりあえず気になった店は自分で足を運ぶ

自分の具体例は、打つ台がない夜はバイク走られせてピックアップした店を片っ端から回った 釘をみて数百円試し打ちしたりして、自分の予想回転目線と、実際の結果を毎日毎日試行錯誤しながら感じていった 当時は口コミは友達やパチンコ仲間の情報に雑誌だけだったから、フットワークの早い自分の目線が情報になった

これはどの世界でも一緒だが、慣れてくるとわかる 客がいるとかいないとかの問題ではない

この店は何台稼げる台があるのか? おれだけにわかる1台でも稼げる台があればいいんだ そのために1日打っていない=稼いでいない夜は市場観察の時間にあてていた バイクで走りたかったは理由じゃない パチンコは確率を上回ると自動的に稼げるシステムだから、そこを裏返しにして回る台を探すために、回る台を探す試行回数を増やすだけ つまり見て回る

必勝法がなくて残念だと思うが毎日毎日、何件も何件も見て回ると出る店はわかる

パチンコに対しての当時の雑感

単純に高校生に対してや、学校やめて働かなくても20万以上簡単に稼げた確率ゲーム 試行回数を増やすために多く回すだけのつまらない作業 ギャンブルとは自分の中では全く捉えていなかった 月に13日くらいパチンコしても月20万以下の収入はくだらなかった 実査にバイクもパチンコで買ったし、この当時が気持ちとして一番荒んだ時期だったと思う

生きる意味がないって高校3年の春先にやめて、何気にパチンコでお金入ってくるから実家にもよりつかず、友達にも高校やめることはやめる前に言わなかった 俗にいう又聞きだ

当時の自分に伝えたいのが、勝てる台を探せるなら自分で打たずにパチンコ打つ作業をアウトソージングして、1日3台くらい打たせれば日当9万くらいになる そこからアウトソージング料金を払っても5万以上残る それが打ちこっていうんだけど、そういうことを生業にしてプラットフォームを確立したらマネタイジング的にはよかったんだろう

ここでわかったことは、金を増やす過程が面白くて、いざそのやり方がわかって簡単になってしまうと飽きてしまう パチンコが好きで始めたんじゃんくて、働かずに金を稼ぐのに憧れたんだ 今となってはこれも仕事で作業だろう 金のためにやっているとほんと続かないのは体感 性格が飽き性なのもあるが二度とパチンコはやりたくない 便所にすら入っていない

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