100歳オリエンティアを目指して

はじめに

 オリエンティアの皆さん、こんにちは。このたびはこちらのページにアクセスして頂きましてありがとうございます。こちらのページは「オリエンティア Advent Calendar 2022」の12日目の記事になります。
 私は19歳でオリエンテーリングを始め、30年間続けてきましたが、究極の目標として将来「100歳オリエンティア」になることを目指しています。そのために「自分を鍛える」「家族と楽しむ」「組織を支える」ことを意識していますので、今回はこの3点について書きたいと思います。

自分を鍛える

 オリエンテーリングはハードなスポーツですので、楽しむためには無理のない範囲で「自分を鍛える」ことが必要になります。
 私は学生時代、ほぼ毎週オリエンテーリングを行い、月100km以上走っていたものの、インカレではショート(現在のミドル)・クラシック(現在のロング)・リレーを通じて一度もエリートになれず、東工大OLT杯(部内杯)でも一度も入賞(3位以内)することはできませんでした。学連セレは繰上通過まであと1人、部内セレは2本とも次点、OLT杯は3位と4秒差の4位、というように「日本一勝負弱いオリエンティア」だったのです。
 卒業後もオリエンテーリングを続けていましたが、仕事が忙しく(残業時間が月80~160時間)、走行距離は月30~50kmに減りました。それでも技術と経験値が向上したためか、20代後半は6人リレー(現在の7人リレー)で1走の速報ボードに名前を載せ(10位ぐらい)、関東学連ロングセレ併設大会で通過相当タイムを出し、つばめ杯(東工大OLT杯のOB対象クラス)では優勝することができました。
【参考リンク】OLT杯・つばめ杯歴代入賞者
 20代の社会人の皆さん、学生時代の半分でもトレーニングを続けていれば、まだまだ速くなる可能性は大いにあります。大学と一緒にオリエンテーリングも卒業してしまうなんて、もったいないです。
 さて、その後も私はオリエンテーリングを続け、つばめ杯では2016年(43歳)まで通算8回の入賞(うち2回の優勝)を果たしましたが、全日本や7人リレーの表彰台は「夢」のままでした。
 そんな中、2017年の東京マラソンで転機が訪れます。当選してから「人生で最高に走りまくる5ヶ月間」を目標に、月150~236km走った結果、初めてのフルマラソンで3時間58分37秒とギリギリながらサブ4を達成することができました。
 その後も月100km以上走る習慣がついたためか、ロードレースでは30代前半で出した自己ベストを更新し(10㎞:41分35秒、ハーフマラソン:1時間41分17秒)、オリエンテーリングでも2018年の全日本ロング(M45A)・全日本ミドル(M40A)・7人リレー(ベテランカップ)で全て準優勝(3大会とも初めて入賞)することができました。オリエンテーリングを続けていれば、45歳で覚醒することもあるのです。
 
「ついに俺の時代がキター!」と浮かれていたのも束の間、幸運が長く続くことはありませんでした。2019年秋に体調を崩してからモチベーションが低下し、走行距離が減少してしまいます。そして2020年春、コロナ禍をきっかけとして在宅勤務が始まりました。
 コロナ禍でも月50km以上は走っていましたが、在宅勤務によって日常生活の運動量が激減した結果、78kgだった体重(これでも十分に重いですが)があっという間に88kgに激増し、健康診断でも大半の項目が基準値オーバーという、「自分自体が緊急事態」に陥ってしまいました。
 何とか事態を打開しようとしましたが、体重の増加と筋肉の衰えのせいですぐに脚が痛くなってしまうため、なかなか走行距離を増やすことができません。オリエンテーリングの大会でも入賞どころか完走さえできない、どん底の状態が1年ほど続きました。
 それでも「このままオリエンテーリングを引退したくない。何が何でもオリエンテーリングを続けたい。」と思い続けているうちにようやく月100㎞走れるようになりました。
 すると、体重が減少するようになり、健康診断の結果も改善するなど、徐々に成果が出てきました。そして、オリエンテーリングでも今年4月のジュニアチャンピオン大会M21ASで3位になり、4年ぶりに大会で入賞することができました。
 現在は月110~170km走っていますが、今年の全日本・つばめ杯はアクシデントもあって結果を出せず、体重も83kgで高止まりしており、2017~2018年の「全盛期」の状態に戻すのは並大抵の努力では難しいと痛感しています。それでも、一時のどん底から這い上がりつつあるのは確かですし、まだまだ伸びしろは十分にあると思っています。
 ちなみに、今年11月に走ったハーフマラソンでは30代前半のときとほぼ同じタイムを出し、12月5日には今年の年間走行距離が過去49年間の自己ベストを更新しました。これからも「自分を鍛える」ことを継続し、また全日本・7人リレー・つばめ杯の表彰台を目指していきたいと思います。

家族と楽しむ

 オリエンテーリングを楽しむためには「時間」(自宅からテレインまでの往復・トレーニングなど)と「お金」(参加費・交通費・宿泊費など)がかかりますので、家族がいる場合は理解を得ることが必要になりますが、どうせなら「家族と楽しむ」ことができれば良いと思います。
 私には妻(非オリエンティア)と3人の娘(中1と小3の双子)がいますが、以下のように子供に適した大会があれば、娘たちと一緒にオリエンテーリングをするようにしています。
  ①会場までのアクセスが良い
  ②会場⇒スタート(フィニッシュ⇒会場)が近い
  ③テレインが初心者に向いている
 子供は飽きっぽく、体力が大人より劣るため、①・②に該当しなければ、そもそもスタートに辿り着くことさえできません。また、公園や大学などで開催されるパークOは③に該当しますので、参加しやすいと思います。ちなみに、我が家が最も多く参加している大会は、私の母校で開催されている「東工大スプリント」です(東工大OLTの皆さん、10月23日の東工大スプリントでは家族ともどもお世話になり、ありがとうございました)。
 フォレストの大会も家族で参加したいと思っていますが、要項の時点では②が不明なことが多いため、まだ参加したことはありません。大会運営者の皆様、スケジュールやテレインの制約があることは承知していますが、要項の時点で会場⇔テレイン間の移動に関する情報(所要時間や送迎など)があれば、家族連れのオリエンティアが参加しやすくなると考えています。
 このように私は娘たちと一緒にオリエンテーリングを楽しんでいますが、彼女らが将来「オリエンティア」になるとは限りません。自分が好きなことをやるのが一番ですので、オリエンテーリングが気に入ったなら熱中するのも良し、他にやりたいことができたならそちらに没頭するのも良しです。
 たとえ娘たちが将来オリエンティアにならなかったとしても、子供時代に私と一緒にオリエンテーリングを楽しみ、「オリエンテーリングとはどんなものか」を理解してくれることは大切と思っています。
 また、もしかしたら、仕事でオリエンテーリングに関わる、オリエンティアと結婚する、ということもあるかもしれません。そのときは子供時代にオリエンテーリングを経験していたことがきっと役に立つでしょう。

組織を支える

 最近「SDGs」という言葉をよく耳にしますが、「持続可能なオリエンテーリング界」を実現するためには、個人でできることには限界がありますので、「組織を支える」ことによって、活性化することが必要になります。
 私が最初に所属したオリエンテーリングの組織は東工大OLT(東京工業大学)でした。この頃、東工大OLTでは大会の情報を部員に周知し、申込を取り纏める「大会係」が新設され、私が初代の係長に就任しました。
 当時(1990年代半ば)はインターネットや携帯電話がまだ普及しておらず、大会情報は紙ベース、連絡網は固定電話、参加費支払は定額小為替、といった時代でしたので大変でしたが、今振り返ってみれば、この大会係を経験したことによって、オリエンテーリングについて自主的に調べ、考え、自律的に行動する習慣がついたと考えています。(余談ですが、私が卒業した千葉県立東葛飾高校の校是が「自主自律」でした。高校時代は留年の危機に陥る程の落ちこぼれでしたが、卒業後にオリエンテーリングを通じて校是が身についたと思います。)
 
大学卒業後はOB・OG会である「つばめ会」に所属することになりましたが、当時の東工大は卒業後もオリエンテーリングを続ける先輩がほとんどいませんでした。一方、杏友会(東大OLK)や寿会(早大OC)などではOB・OGがよく顔を出し、現役を支援していました。
 私は2001年につばめ会の幹事長に就任しましたが、「いつかはつばめ会も杏友会や寿会のようになってほしい」と考えていましたので、自分が大学卒業後もオリエンテーリングを楽しんでいる姿を後輩たちに見せることを意識しました。
 
最近は大会のエントリーリストでも「つばめ会」の文字をよく見かけるようになり(飲み会でもよくやらかしているようですが(笑))、卒業直後の頃を思えば隔世の感があります。東工大と言えば、東京医科歯科大との統合や入試での女子枠導入が話題になっており、「理工系の男だらけ」のつばめ会(11月19日の東工大OLT杯でエントリーした現役・OBあわせて45名が全て男性でした)もいよいよ多様性の時代を迎えるのかもしれませんが、今後も居心地のいいOB・OG会であってほしいですね。
 ここからは地域クラブの話になりますが、就職後の東京勤務が確定した大学院2年のときに、地元(当時は千葉県柏市)の地域クラブである京葉OLクラブに入会しました。当時から京葉は「大手」でしたが、若手は今ほど多くなかったこともあり、入会2・3年目の頃からコースプランナーなどで大会運営に携わる機会に恵まれました。
 その後、2006年に副会長と千葉県協会理事、2010年には会長に就任しました。その頃から多くの若手が入会するようになりましたが、定着率の向上が課題でした。
 そこで、私は「お互いのことを知ることがクラブへの愛着につながる」と考え、例えばインカレが開催されるときには、京葉の参加者・運営者・過去のメダリストなどを自分で調べ、メーリングリストで紹介するなど、若手とベテランがお互いのことを知る「きっかけづくり」に努めました。
 こうして京葉や千葉県協会で活動を続けているうちに、メンバーからJOAに対する意見や要望を聞く機会が度々あり、JOAに伝えてきましたが、外部の立場では実現することが難しいと感じていました。
 そんな中で2017年のJOA理事改選の際に、首都圏ブロックの理事選考が難航しているとの話を聞き、仲間や私自身が考えてきたことを実現するチャンスと思い、理事を引き受けることにしました。
 私はエリート選手でもなければ大会運営の達人でもありませんが、だからこそ「普通のオリエンティア」の立場で物事を考えることができると思います。また、私は京葉OLクラブとつばめ会で活動していますので、様々なオリエンティアの立場を理解できる点で恵まれていると考えています。
 理事就任後は、上記のような強みを活かすべく、理事会では私が感じていることを率直に伝えるように努めてきました。そして、2018年に千葉県協会会長、2021年にはJOA業務執行理事に就任しました。「まさか自分がこんなことになるなんて」というのが正直なところですが、微力ながら尽力いたす所存ですので、皆様には今後もご指導ご鞭撻を頂ければ幸いです。

おわりに

 オリエンテーリングは頭脳と肉体の両方をフルに使うため、認知症や寝たきりを予防し、健康寿命を最大限まで延ばすのに最適なスポーツですので、これから「100歳オリエンティア」が続々と誕生すると思います。そして2073年には私もその一員になりたいです。
 長くなりましたが、最後までお読み頂きましてありがとうございました。


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