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歳をとるということ

歳をとることを嫌う人が多い。
大体20歳を過ぎたぐらいから歳を取りたくないという考え方が芽生えはじめる気がする。

子供の頃はひとつひとつ歳をとることが嬉しかった。周りもお祝いしてくれたし、プレゼントももらえる。誕生日というのは楽しい日だった。
だけど段々と歳をとることに喜びを感じられなくなってきた。
昔と同じように「誕生日おめでとう」と言ってくれる人もいるし、ささやかなプレゼントを送ってくれる人もいる。状況はあまり変わっていないように思う。しかし誕生日の捉え方が年齢と共にどんどん変わっていくのを感じる。

これはなぜなのだろう?

世界のどこかには、毎年の誕生日を楽しく過ごしている人がいるのだろう。しかし悲しくも自分はそこに参加することができないようだ。
一つ一つ歳をとるのは誰もが共通していることだ。けどその一年をどう過ごしたかは個人差が大きい。濃密な時間を過ごす人、自分のような空白の時間を過ごす人。

個人的には高校卒業後から歳をとることが「死へのカウントダウン」に感じるようになり、何がめでたいものか、平均寿命にまた近付いただけだ、なんて見方を持ち始めた。
学校に行っていようが、仕事をしていようが、何をしていても空白に感じる。
旅行に行ったり、結婚式を挙げたり、自宅を購入した年でさえ、自分にとっては空白だった。
昇給しても、役職に就いても、他人に認められても、その空白は埋まることがない強固なままだった。

子供ができれば変わるのか?なんて思いもしたが、あいにく子宝にはまだ恵まれない。結婚し、さっと子供ができている家庭を羨ましく、疎ましく思うこともある。だけどそういった感情は切り離して生活をしている。しかしそんな感情が少なからず空白を大きくしているような気もする。

とにかく、年を追うごとに空白は大きくなっているようだ。
変な話だ。年齢を重ねるごと、出来ることは増え、読んだ書物も増え、訪れた場所も増え、知り合いも増え、責任も増えている。色んなものが自分の中に増えていっているはずなのに、言いようのない空白が目立つようになっている。
まるで空白を引き立てるために何かをしているような、そんな気分になる。
そうして次第に、すべてが無意味で無価値なものに思えてくる。

「人はいずれ死ぬ」

これは小学生の頃に気がつき、その時は「じゃあ何かをしても消えちゃうんだから、全部無駄じゃん」と思った。その考えは10代の自分をずっと縛り、20代にもそれは残っていたように思う。
しかし年を経て、「僕は空白を広げるために生きているのかなぁ」なんて思い始めた。死ぬまでに、どれだけ大きな空白を作れるか。人生なんてそれでいいのかも、なんて。
一つものを知れば、二つ知らないことを知る。一人に出会えば、出会ったことのない二人を知る。オアフ島に行けば、ハワイ島にも行きたくなる。
そうして世界が広がり、自分の中の空白は大きくなる。

僕はすぐにモノを欲しがり、隙間を埋ようとしたがる。
だから空白を感じると後ろめたさを覚えてしまう。
しかし大切なことに気がついた。

「空白は虚無ではない」と。

年齢を重ねるごとに、僕は色んなことを知り、色んな人と出会うだろう。それは決して虚無ではない。自分の中に、また新しいものを置ける空白ができたのだと。ならば空白は悲観するものではなく、歓迎するものであるべきだ。

今日また一つ、僕の空白が大きくなる。誕生日おめでとう、自分。

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