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夢のゆくえ -銀河鉄道の夜- ③


 第三章 たったひとりの乗客

 汽車はシュウシュウと白い煙を吹き出しながら加速して、廃駅はみるみるうちに遠ざかっていきます。
 タルカは唖然あぜんとしながら、ただただぼんやりと突っ立ったままその様子を見送ることしかできませんでした。
 もはやこうなってはしかたない、あとで車掌さんにでも事情を説明して、つぎの駅で降ろしてもらおう――そんなふうに思案しながら、タルカは気持ちを切りかえようとしました。
 お客さんがまったく乗車していない汽車に乗り込む機会など、そうそうあることではありません。せっかくだからいろいろと見学させてもらおう、もしかしたら、運転室にも入れてもらえるかもしれない、と前向きに考えていたのです。
 車室の内装は全面木造、左右の窓際には座席がそれぞれ向かい合うかたちでずらっとならんでいます。手すりや背もたれは全体的に色あせており、かなり古びている印象です。そしてざっと見渡したところ、やはりじぶんたち以外に乗客のすがたはありませんでした。
 と、そのとき、またもや妹のエマのすがたが見当たらないことに気がつきました。
 まったく、ちょっと目をはなすとすぐこれだ、と立腹していると、前方車両につながる貫通路のむこう側から、「お兄ちゃん、あっちのほうに、ひとりだけお客さんがいたよ」という妹の声がきこえてきました。
 エマにみちびかれて最前の車両に移動してみると、たしかに妹の言うとおり、向かってちょうど中程なかほどの位置にある座席に、ひとりだけぽつんと座って本を読んでいる女の子のすがたがありました。その女の子はまだこちらに気づいていないようです。タルカたちが近寄ると、ようやく顔を上げて、「こんばんは」とにっこりほほえみながらあいさつをしました。
「こんばんは」
 タルカもあわてて頭をさげながらあいさつをします。
「お客さんなんてずいぶんひさしぶり。さっき汽車が駅にとまったから、もしかして、とおもったんだけど……」
 女の子はどこかうれしそうに言いました。女の子といっても、背丈はタルカと同じぐらい、年齢も同じか、やや年上であるような印象を受けました。だから、というわけでもありませんが、タルカはやや緊張した面持ちでその女の子にたずねてみました。
「あの、この汽車の目的地はどこでしょうか?」
「……目的地?」
「はい、この汽車がつぎに停まる駅はどこなのかな、と……」
 女の子は少しだけ首をかしげながら答えました。
「……ごめんなさい、わたしにもよくわからないの」
「……わからない?」
「そう、だってこの汽車は一度として同じ場所に停まったことなんてないんですもの」
 そんな馬鹿な、わるい冗談でからかわれているのではないか、とタルカはおもいました。目的地が定まっていない汽車など存在しているはずがありません。しかし、彼女の表情や口調には、そのような底意地のわるさは感じられませんでした。そこでタルカは別の質問をしてみることにしました。
「乗客はあなたとぼくたちしかいないのですか?」
「ええ、おそらく。いままで何人か乗り込んできたことはあるけど、みんないつのまにかいなくなってしまったから」
「じゃあ、車掌さんは?」
「もちろんいるわ。もうすぐこっちに来るんじゃないかしら……」
 車掌さんがいると聞いて少し安心したタルカでしたが、そのとき、向かい席の車窓から外の景色をながめていたエマが、とつぜん大きな声で兄をよびました。
「ほら、外を見てお兄ちゃん、なんだかピカピカ光ってる。とってもきれいだよ」
 言われるがまま窓の外に視線をうつすと、汽車はいつのまにやら、きらきらとかがやくもやのなかを走っていました。上空には燐光の群れが、たなびく雲のようにゆったりとながれています。やがて靄が晴れ、銀色にきらめく平原が見えてきたかとおもうと、やはりそれは金剛石や水晶をちりばめたような光の集合体で、ぺかぺかとまばゆい光輝を放ちながら、しずかな湖面に立つさざなみのようにゆれ動いているのでした。ともあれ、いま見ているものがおよそ現実の光景ではないことはたしかです。
「――いったい、ここはどこなんです?」
 タルカは気もそぞろにそうたずねました。
「あなたたち、ほんとうになにも知らないの?」女の子はまたもや不思議そうに首をかしげながら言いました。「ここは銀河鉄道よ。この汽車はいま、無数の星からなる銀河のなかを走っているの」
「銀河鉄道?……」
 タルカはおどろきのあまりそれ以上言葉が出ず、力がぬけたように近くの座席に座り込みました。
 銀河鉄道なんて、物語の中にある空想だとばかりおもっていたタルカは、もしかしたら今も夢を見ているのではないだろうかと、目をこすったり、頭を左右に振ってみたりしてみましたが、やっぱり目の前にひろがっている光景は夢なんかではありませんでした。
 そのとき、前方のとびらが開いて、駅員の制服を着た車掌さんとおぼしき男の人が入ってきました。
 車掌さんはまっすぐ三人が座っている座席のところまでやってきました。そして、兄妹のほうに手を差し出しながらこう言いました。
「切符を拝見させてもらってもよろしいでしょうか?」
 さて、どうしたもんだろう、とタルカはあせりました。突然のなりゆきだったとはいえ、無断でこの汽車に乗車したことに違いはありません。だから当然、切符などもっているはずがないのです。
 とはいえ、正直に無断乗車しましたとも言えないまま、ひとまずその場をごまかすために上着のあちこちやズボンのポケットをさぐっていると、ふとある記憶がよみがえってきました。
 ――タルカはズボンのポケットから財布を取り出しました。その中に、一枚の切符が入っていたことを思い出したのです。
 それは以前、タルカとエマが現在住む町に移ってくるとき、汽車の中で読んでいた本から出てきた謎の切符でした。
 はたしてこの切符が銀河鉄道のものであるのかどうか、まったく確信がもてませんでしたが、ほかにこれといったものも見当たらなかったため、ええい、もうどうにでもなれ、とその切符を車掌さんに差し出しました。
 車掌さんは切符を受け取ると、しばらくそれをしげしげと確認しながら、切符と兄妹をかわるがわる見比べました。
「あの、ぼくたち兄妹で二人なんですけど、切符は一枚しかなくて……」
 タルカはしどろもどろになりながら言いわけをしました。
 すると車掌さんは、ひとさし指と親指でつまんでいた切符をシュッとずらすような仕草をしました。するとどうでしょう、ずっと一枚だとおもっていた切符が、二枚に重なっていたのです。
 車掌さんはその二枚の切符を改札ばさみでパチン、パチン、とやりました。そして、その切符を兄と妹の手にそれぞれ返しました。
 一仕事を終えた車掌さんはくるりとふりむいてその場から立ち去ろうとしましたが、その前にどうしてもたずねておきたいことがあったタルカは、あわてて呼び止めました。
「あの、ぼくたち、まちがえてこの汽車に乗り込んでしまったのですが、もとの駅にもどるには、どうすればよいのでしょうか?」
 車掌さんは兄妹たちのほうに向き直ると、表情をかえることなく答えました。
「まことにもうしわけございませんが、当汽車は予定された経路からはずれることはできません。――ですが、終点到着後は回送となりますので、ご希望とあらばその駅まで送ってさしあげることはできます」
「そうですか……わかりました、ありがとうございます」
 タルカはがっくりと肩を落としましたが、お礼を言って車掌さんに頭をさげました。車掌さんは今度こそ、とびらのほうにもどっていきました。
「お兄ちゃん、せっかくなんだから、この汽車に乗っていろんなところへ行ってみようよ」
 エマはうきうきとはずんだ声でそう言いました。
 たしかに、終点に着けば、ぼくたちをもとの駅にもどしてくれると言っていたし、ここはあせらず、この汽車の旅をたのしむのもいいかもしれない、とタルカは気持ちを切りかえることにしました。
 ――ですが、ひとつ気がかりなことがあります。
「エマ、もう熱はさがったの? どこもつらいところはない?」
 エマはそんなことなどまるで忘れていたかのように、きょとんとして兄の顔を見返しました。
「ぜんぜん平気。病気はもう治っちゃったみたい」
 そう言われてみると、エマの顔色は病気で寝込んでいたころにくらべてずっとよくなっていました。いまとなっては、とても病人のようには見えません。
 ふしぎなこともあるもんだな、ともあれ、病気が治って元気になったのならなによりだ、とタルカはほっと胸をなでおろしました。
「ねえ、お姉さんはいつからこの汽車に乗っているの?」
 エマは向かい合わせの席にすわっている女の子に話しかけました。
 女の子は少し思案していましたが、どのように説明したらいいのかわからないというふうに、とまどった表情をうかべて答えました。
「――ごめんなさい、よくおぼえていないの。気がついたらこの汽車に乗っていたから……」
 エマは首をかしげて別の質問をしました。
「じゃあ、お姉さんのお名前は? わたしはね、エマっていうの。お兄ちゃんの名前はタルカっていうんだよ」
 女の子はやっぱりとまどいつつ答えました。
「ごめんなさい、わたし、この汽車に乗る前のことをほとんどなにもおぼえてなくて……」
「……なんかへんなの」と、エマもなんだか納得がいかない様子。
「エマ、しつれいじゃないか」それを見かねて、横から兄がたしなめるように言います。
「だって、名前がないなんて、へんだとおもわない?」エマが口をとがらせて言い返しました。「じゃあ、お姉さんのこと、『ジョバンニ』ってよんでもいい?」
「ジョバンニ?」今度は女の子のほうが首をかしげました。
「そう、『銀河鉄道の夜』ってものがたりにでてくる主人公の名前なの。ここは銀河鉄道なんでしょ? だったら、その銀河鉄道の汽車に乗っているお姉さんの名前はジョバンニだよ」
「エマ、ジョバンニは男の人の名前だよ」と、タルカが口をはさみました。
「女の人の場合、『ジョバンナ』っていうんだよ」
「じゃあ、お姉さんの名前はジョバンナね」
「ジョバンナ……」
 女の子はその名前を、自分の口でたしかめるようにつぶやいてみました。そして兄妹のほうを見てやさしくほほえみながらうなずきました。
 どうやら彼女もこの名前が気に入ったようです。




(つづく)