見出し画像

Eternal Snow -雪の女王- ⑨


   8.  山賊の娘

 まだ日がのぼりきらないうちに目をさましたハルは、急いで出発の準備をととのえました。城内からもさまざまな準備に追われている騒々しい音がきこえてきます。外にはりっぱな二頭立ての馬車が用意され、おおぜいの兵士や使用人たちがハルの出発を見送るためにならんでいました。
 しばらくすると王さまもやってきて、旅立つハルにことばをかけました。
「くれぐれもむりはせぬようにな。ぶじもどってきてくれることを祈っておるぞ。そのときは、国じゅうをあげてそなたを出迎えよう」
 ハルはていねいにお礼をいうと、馬車に乗りこみました。つづいて、ふたりの衛兵が御者台に乗りこみます。その衛兵は、昨日ハルをこの国までつれてきてくれたふたりでした。
 衛兵が手綱をにぎり、出発の合図をだすと、馬車はゆるやかに走り出しました。王さまと、そのうしろにずらっとならんだ従者たちは、ハルたちが乗る馬車が見えなくなるまで見送っていました。雪におおわれた春の国とその城下町はみるみる後方へ遠ざかってゆきます。
「ううっ、さむい。からだにしみわたるほどさむいですな。おじょうさん、さむくはありませんか?」
 馬車の手綱たずなをにぎりしめ、ぶるぶるとふるえながら、衛兵のひとりがうしろに乗っているハルに話しかけました。
 ハルはかるくうなずきながら、「だいじょうぶです」と答えました。
「おい、案外あの子はとんでもない魔法使いなのかもしれないぞ。ひょっとしたら、ほんとうに雪の女王をたおしてしまうかもしれんな」
 話しかけた衛兵は、余裕のあるハルのようすにすっかり感心して、にやにやとわらいながらとなりにすわっているもうひとりの衛兵に話しかけました。となりの衛兵はすこし不安そうな顔つきで、こくんとひとつうなずいただけです。
 馬車の走行はきわめて順調でした。冬の国にちかづくにつれてそれまで恵まれていた天候もにわかにくずれはじめ、どんよりとくもって薄暗くなってきました。降り積もった雪もだんだんと深くなってきましたが、馬のたくましい走りはすこしもおとろえる気配はありません。
 ところが、ある地点まできたところで急に馬車が動きを止め、前方の御者台に乗っている衛兵ふたりがなにやら話し合っている声がきこえてきました。どうやら、これから通るべき順路についてもめているようです。衛兵のひとりはこの先の森林をぬけて近道をするべきだといいました。しかしもうひとりの衛兵は、多少遠回りになろうとも、見通しのよい平地をゆくべきだと反対します。この言い合いはしばらくつづいたようですが、やがて口のうまい片方の衛兵が相手をいいくるめ、結局馬車は森のなかを通ってゆくことにきまりました。
 うっそうとした森のなかはたしかに視界がわるく、わずかにひらけた木立のあいだを馬車は走りぬけてゆきました。しかし、その途中でとつぜん馬がけたたましくいなないたかと思うや、停止して動かなくなってしまいました。
「おい、いったいどうしたんだ?」
 衛兵は手綱をふるい、さきに進むよう指示を与えますが、馬は頑として動こうとはしません。
 と、そのとき、おおぜいの男たちが方々の茂みからとびだして、馬車のまわりをあっというまにとりかこんでしまいました。男たちはみんな手に武器をもっており、それをみた衛兵もあわてて武器をとって応戦しようとしましたが、相手の人数の多さになすすべがありません。ハルはおどろきと恐怖のあまり、動くことすらできませんでした。
「その馬車と金目のものはすべて俺たちがもらう。抵抗すれば命はないぞ」
 おおぜいの男たちのなかから、ひときわからだの大きな男が進み出てきてそういいました。どうやらこの男が彼らの頭領のようです。頭領の命令で衛兵たちの武器はすべてうばわれ、うしろに乗っていたハルも馬車から降ろされると、縄でしばられ拘束されてしまいした。
「カシラ、こいつらどうします?」
 子分のひとりがそうたずねると、頭領はハルと衛兵たちをまじまじとながめながら、にやりとうすら笑いをうかべて答えました。
「アジトへつれてゆけ。こいつらは春の国からきた者たちだろう。うまくすれば交換条件として身代金をふんだくれるかもしれん」
 頭領のいいつけどおり、子分たちは縄でしばった衛兵たちを馬につなぐと、そのままアジトまで引っぱって行きました。つづいてハルもつれて行こうとしたそのとき、「ちょっと待ちな」というりんとした女の声がひびきわたり、子分たちの手が止まりました。
「その娘はあたしがつれてゆく。おまえたちの汚い手で指一本ふれてみな。あたしがその腕を切り落としてやるよ」
 子分たちは不満そうにその声の主をにらみつけ、それから頭領に指示をあおごうとしましたが、頭領はみてみぬふりをしてなにか簡単な合図を出しただけで、子分たちはたじたじと従いハルから離れました。大きな馬にまたがった若い娘がこちらに近づいてきます。その娘は馬から降りると、しばっていた縄をほどき、馬に乗るよう指示しました。
「落ちないよう気をつけな。心配しなくていい、暴れなけりゃこちらから危害をくわえることはない」
 若い娘はそれだけをいうと、馬はゆっくりと歩き出しました。どうして山賊の集団にこのような若い娘がまじっているのか、ハルは気になりました。身なりこそ薄汚いぼろをまとって、いかにも山賊の一員といった感じですが、目鼻立ちはりりしく、全体的にととのったうつくしい顔立ちをしており、なんともそぐわない印象を受けたのです。若い娘はじぶんのうしろに乗ったハルのほうをちらっとみて、うっすらとほほえんだまま馬の手綱をあやつっていました。
 山賊の集団はずんずん森のなかを進んでゆき、やがて山の中腹までたどりつくと、そこの切り立つ崖にぽっかりと大きくあいている洞穴のなかに入って行きました。中は広い空洞になっており、どうやらここが彼らの隠れ家のようです。
 うすぐらい通路を通り過ぎてゆくと、ふたりの衛兵はその先にあるろうやのなかに押し込められ、ハルはべつの小部屋にとじこめられてしまいました。
 せまく薄暗い部屋でひとりぼっちになってしまったハルは、心細くなりながらも、じっとうずくまっているしかありませんでした。しばらくすると子分のひとりが食事を運んできましたが、とても食べる気にはならなかったので手をつけませんでした。部屋には窓はおろか通気の孔すらみあたらず、現在の時刻も判別できません。
 それからどれだけの時間が経ったのかわかりませんが、やがてとびらが開き、だれかが部屋のなかに入ってくる気配がありました。ハルが顔をあげると、そこにいたのはさきほどの若い娘でした。
「あんた、冬の国に行って雪の女王に会うつもりだってのは、ほんとうかい?」
 娘がそうたずねてきたので、ハルはちいさくうなずきました。
「あたしがあんたを冬の国までつれていってやる。すぐに準備しな」
 このとつぜんの申し出に、ハルはすっかりとまどってしまいました。
「でも、兵士さんたちは?」
「あいつらは先に解放してやったよ。あんたを冬の国に送り届けなければ面目が立たないとかなんとかわめいてたけど、それはあたしがなんとかするといって説き伏せたのさ。あいつらからあんたのこと、いろいろきかせてもらったよ。なんでも、ふしぎな魔法がつかえるらしいじゃないか。あんたも雪の女王をやっつけに行くんだろ?」
 ハルは首を横にふりながら答えます。
「わたしはただ、雪の女王につれさられた幼なじみを取りもどしたいだけよ。やっつけるなんてそんな……」
「まあ、どっちでもいいさ。とにかく、いそいでここを出よう。男どもはみんな酒をしこたま飲んで眠っちまってるから、脱け出すならいましかない」
 ハルはうながされるまま部屋を出ると、洞穴の出口をめざしました。娘がいっていたとおり、山賊の男たちはみんな酔いつぶれて、いびきをかきながら地面に寝そべっていました。二人は男たちを起こさないようにそのかたわらを通り抜けて洞穴の外に出ると、すぐに出発できるよう、あらかじめ近くの木につないでいた馬にまず娘がとび乗り、つづいてハルがそのうしろに乗ると、馬はさっそうと駆けだしました。
 外はすっかり陽が沈み、森のなかは宵闇につつまれています。
「あの……どうしてわたしを助けてくれたの?」
 馬から落ちないよう、娘のからだにしがみついていたハルは、ずっと疑問におもっていたことをたずねました。
「さっきも話しただろ、雪の女王をやっつけるためさ。このままだと、世界じゅうは雪と氷におおわれて、なにもかも凍りついた不毛の世界になっちまう。だからその元凶である雪の女王をたおして、もとの世界にもどさなくちゃならない。父上はなんとか話し合いで解決しようと躍起になってるけど、そんなあまっちょろいことをやってたらダメだ。だからあたしが雪の女王をやっつけて、すべてを解決してやるのさ」
「じゃあ、あなたはやっぱり……」ハルはようやくこの娘の正体がはっきりとわかりました。
「どうして山賊なんかに?」
「あたしもあんたと同じで、城をこっそりぬけだしたあと、冬の国にむかっている途中であいつらにおそわれたのさ。もちろん、あんなやつら叩きのめしてやったけど、そしたら、あいつらの親分に気に入られてね。なかまにならないかとさそわれたんだ。あいつらのなかまになんかなりたくはなかったけど、ここは冬の国から近いし、いざとなればあいつらをけしかけて冬の国に攻め込むことができるかもしれないとおもってね。でも、あいつらも雪の女王を恐れてるだけの腰抜けどもだとわかって、どうしようかと手をこまねいてたところに、あんたが現れたってわけさ。たすけた兵士たちから、あんたといっしょなら冬の国にたどり着けるときいたよ。だからあたしがあいつらのかわりにあんたを冬の国に送り届けて、ついでに雪の女王から守ってやるとやくそくしたってわけさ」
 娘がしゃべり終わるのとほぼ同時に、馬は駆けている脚の速度をゆるめ、やがてその場に止まりました。ハルたちはいつのまにか森をぬけて見通しのよい崖の上に立っており、やがて娘が指さす方角に、小高い丘の上に建つ壮麗なお城と、そのお城をとりかこむようにたくさんならんでいる建物の屋根が、雪煙のなかにぼんやりとみえてきました。
「ほら、あそこにみえるのが冬の国だよ」
 その光景をながめながら、ハルはようやくここまで来ることができたという感慨と、もうすぐスノウに会えるという期待と不安で、胸がいっぱいになっていました。





(つづく)