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卵巣嚢腫で腹腔鏡手術を受けました

実は先日、腹腔鏡手術で4泊5日入院しておりました。成熟嚢胞性奇形種というよくある嚢腫が卵巣にできており、良性といえどサイズが大きかったので取ることになりました。

生まれて初めての入院&手術だったため、感想や経過を備忘録的に書いておきます。よくある病気らしいので、同じ病気になった人がいたら参考にしてください。

※本記事は医学的専門を背景にした内容ではありません。

入院当日 下拵え

緊張感のない人間なので、術前日ですが割と平気で過ごしていました。というか、授業のレポートをなんとか手術までに終わらせようと躍起になっていました。この日はいわば下拵えの日で、翌日に備えて各種薬を飲んだり、血栓防止のストッキングの調整をしたり、絶飲食と浣腸で胃腸を空っぽにしたり、ヘソの掃除をされたりと手術の前準備をします。

個室に入院しました。上の方のフロアだったので景色に期待しましたが、良い景色の側は4人部屋だったようです。私の部屋からは病院の壁しか見えませんでした。産科が同じフロアにあったため、耳をすませば遠くからnewborn達の声が聞こえてきます。

入院食は昼夜とありました。入院食は味が薄いと聞いていましたが、特にそうは思いませんでした。普段からジャンキーな食事の人には薄く感じるかもしれないけれども。味はだしの味がちゃんとするので美味しく、ただ白ごはんの量がおかずに対してやたらと多い印象です。この日は両方とも完食しました。

夕食後、21時から絶飲食だったので、21時に支給された眠剤を飲んでさっさと寝ました。にもかかわらず中途覚醒すると思ったら、お年寄りがトイレに立つときに転倒することがあるため、あまり強い睡眠薬は用意していないそうです。なるほど。

手術当日 全身麻酔の洗礼

朝から主治医に改めて診察してもらいました。その後渡された手術着に着替えます。朝起きてからとにかく水が飲めないことがつらかったです。うがいは可とのことで、なんとかうがいでやり過ごします。

手術は昼からでしたが、朝のうちから点滴がはじまります。23歳にしてまだ注射が苦手な私ですが、今回ばかりは仕方あるまい……と思っていたらまさかの手の甲に刺すタイプの点滴でした。麻酔科からの指示で肘の内側はNGになっているようです。手の甲の点滴、とにかく痛い。しかも、途中でトイレに言ったら手の甲に力が入ったかして血が点滴の管に逆流してきて大パニックになりました(全然大したことはなかった)。そんなこともあり、結局全身麻酔で気絶するまではほとんど左手が使えない状態になりました。つらい。そこからは横たわったまま、少し前に話題になったNetflixの『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』を見て過ごします。

予定より1時間ほど遅れて手術室に呼ばれたため、『監視資本主義: デジタル社会がもたらす光と影』は全編見ることができました。面白い番組だったのでみなさんもどうぞ。
さて、自覚症状も何もない病気なので、歩いて手術室に入ります。手術室はドラマで見るような厳しい銀色の部屋で、微妙にそぐわないジブリ音楽のオルゴールBGMが鳴っていました。歯医者の待合室のごとき緊張感が漂います。

ベッドに寝転ぶと、看護師さんが総出で点滴やさまざまな器具を取り付けてくれます。なすすべもなく横たわっていることしかできません。このタイミングで、上に布団を被されたまま手術着を脱がされます。
一通り器具のセッティングが終わると、口に酸素マスクのようなものをつけられます。お、噂の麻酔です。全身麻酔は一瞬で眠りに落ちるといいますが、私の場合はそれどころではありませんでした。こんな感じです。

看護師さん「眠くなるお薬入れていきますね〜」
私「はい〜」
看護師さん「たけのこさん、終わりましたよ〜」
私「え」

眠るというよりも、時間が吹き飛んだという表現が正しいように思いました。「え、終わりました?」とリアクションしようとしますが、声がガスガスになっていてまともに出ません。ここで自分が喉に挿管されていたこと=既に麻酔と手術が終わっていることを理解します。人類はなんて恐ろしい技術を開発するのか。理解した瞬間に突然寒気と強烈な下腹部の痛みが襲ってきます。「痛くないですか〜?」と聞かれて「生理痛?生理痛の痛さや……」みたいに答えたことはなんとなく覚えています。そこから、ストレッチャーに移し替えられて動き出したところまでは覚えていますが、次に意識が戻ると病室の中でした。いつの間に。

病室に戻ってからは何もできないので寝転んだ状態で過ごします。寒い発言のおかげで布団3枚と電気毛布の重装備です。ボタンを押すと追加が出る麻酔を片手に握らされていたのでそれを、まるで条件付けされたラットのごとく押し続けますが、激痛ではないにせよ腹の痛みが消えません。何個の穴がどこに空いているのかもわかりませんが、とにかく腹全体がズキズキする感じです。スマホを見る気力もなく、諦めて寝ようとするも、寝入りかけたところで痛みで目が覚めたり、看護師さんが様子を見にきてくださる感じで、切れ切れの睡眠のようなそうでないようなものが続きます。長い夜でした。

人によっては術後に熱がでたり、吐き気があったり痰が出たりするようですが、私は何もなくただイタイヨ-と言っていただけなので、順調な経過だったようです。看護師さんから褒められました。

術後1日目 大地に立つ

寝たり起きたりを繰り返していると、いつの間にか朝でした。水を飲んでいいですよ、とのことで看護師さんがベッドのリクライニングを動かしてくださいます。めちゃくちゃ痛い。
「イタイ……イタイ……」といいながらなんとか斜め45°くらいの角度になり、ストローで水を飲みました。ここで初めて喉の乾きを自覚します。看護師さんがホットタオルをくれたので、それで顔を拭いたのですがあまりの浮腫みぶりに愕然としました。某パンマンのようです。

水飲みと歯磨きが終わった後、斜め45°のまま気絶していたらしく、気が付くと10時になっていました。また検温とか血圧チェックがあり、そのあと体をhot towelで拭いてもらい、手術着から入院着に着替えます。気持ちええ。
そこで看護師さんから「昼ごはん食べたら立ってみよか!」と言われます。術後1日で歩行することは聞いていましたが、いざそのときになってみると「いや!そんなん!無理やわ!」状態です。斜め45°になるだけであんなに痛いのに……。

昼から食事が解禁です。この日は全粥食でした。斜め45°体勢しかとれないこともあり、あまり食べられず残します。米一粒には7人の神様がいると育てられた身には辛いものでしたが、仕方ない。麻酔が残っているのか、はたまた寝不足か分かりませんが、食べながら気がつくと寝ているということが何度か起こりました。怖い。

食後は歩行チャレンジです。泣き言を言っても看護師さんは聞いてくれません。まずは上半身を床に対して垂直にするのに3分くらいかかります。点滴に繋がっている痛み止めボタンを連打するも痛い。ただ、ベッドに腰掛けるところまでできたら、立ち上がるのは割と簡単でした。痛かったけど。そのまま廊下をちょっと歩きます。腹が痛いので前屈みのちょっと奇妙な体勢でワナワナしながら10mほど歩きます。ワナワナとはいえ、歩けるのは歩けたのでこれ以降トイレは自力で行けるようになりました。痛いと思うけど、できるだけ座ったり歩いたりする方が痛みもなくなってきて良いよ、とのことだったので、じっと座って痛みに耐えてみたり、やたら頻回でトイレに行ったりしました。そのたびに点滴と、点滴に繋がっている痛み止めの容器、腹から出ているドレーンを一緒に連れていかねばならないことは大変でした。

夕方頃から痛い痛いと言いつつも体を起こすことに慣れ、本を読む余裕も出てきました。夕食(全粥食)を食べたあと、最後の点滴が始まります。10時くらいには終わって点滴が取れました。これ以降の痛み止めは経口摂取になります。手が自由に動かせるって最高だわ……。

術後2日目 管からの開放

また寝たのか寝ていないのかよくわからない夜でしたが、とにかく朝になりました。朝食が運ばれてきたので食べようとしたその時、なんとパジャマの左腹のあたりが血まみれです!慌てて看護師さんを呼びましたが、ドレーンから内容が漏れていただけだったようです。道理で痛くないわけだ。ただ、視覚的インパクトはすごかった。これで若干食欲がなくなりました。

朝食後、診察に呼ばれます。エコーと内診で卵巣氏の様子を観察されてから、ドレーンを抜きましょうということになりました。自分の腹の奥深くから出ている管を抜くなんて今考えても鳥肌ものですが、不思議と痛くはありませんでした。ただ、体の中で何かが移動する漠然とした気持ち悪さが……(鳥肌)。痛くはないので安心してください。ここで初めて傷を見ました。へそとへそ下と左腹の3箇所でした。へそはどうなっているのかよくわかりませんが、へそ下の傷は1cmもないくらい小さいです。医療技術の進歩ってすごい。

しかし、ドレーンが無くなってみると開放感がすごい!術後は3本の管に繋がれていたのがだんだんと減ってゆき、ついにあらゆる管からの開放です。もう起き上がる時もトイレに行く時も自分に繋がっている(あるいは、自分の腹から生えている)付属物を気にしないでいいというのは、素晴らしいことです。私にとって入院中一番のストレスは、痛みよりも管のせいで自由に動けないことだったと思います。

ドレーンが取れたので、シャワーが解禁されます。先ほどドレーンを抜いたばかりの穴は防水加工をしましたが、それ以外の穴ふたつはもう塞がってきているのでお湯がかかっても大丈夫ということでした。腹腔鏡手術ってすごい。管が無くなり、シャワーでスッキリしたので無敵の気分です。無敵が顔に出ていたのか、昼食を持ってきた看護師さんに「今日はすごい元気そうですね!」とのコメントをもらいました。無敵なのでできるかぎり椅子に座って過ごしました。ここで久々に見たTwitterでまた首相が問題発言をしたことを知ります。いい加減にしてね。

今日はできるだけ歩きましょう、とのことでしたが病室だけだと狭いので、1Fのコンビニに行ってみることにしました。ナースステーションに声をかけ、前のめりの奇妙な歩き方で階下へ向かいます。当たり前ですがゆっくりしか歩けず、そんなに離れていないはずのコンビニの距離が2倍くらいに感じられました、ともあれ、愛好しているドリンクヨーグルトを得たのでめでたしめでたし。

この日からだいぶ余裕が出てきたのか、食事中に寝ることはなくなりました。昼食も夕食も完食し、日常が帰ってきたのを感じます。夜はロキソニンと眠剤をもらってさっさと寝ました。

術後3日目 シャバの空気

2019年に同じ病気で同じ病院に入院した知人は1週間入院したそうですが、今回私は3日目で放り出されました。コロナのせいかな?3日目で退院と聞いていたので、そのころにはさぞ良くなっているに違いない、電車でも帰れるだろう。くらいに思っていたけれど、実際は「歩けるけど家に帰るのはちょっと早くないですか」という仕上がりでした。せめてもう1泊……。とはいえ、このご時世なので仕方がない。

朝食を食べて、荷物をまとめ(この作業が結構痛い)ナースステーションでご挨拶をして帰ります。お世話になりました〜。

まとめ

医療従事者の偉大さを感じました。当たり前のことなのですが、今まで医者にお世話になったといえば風邪で薬をもらいに行く時くらいだったので、身近で仕事を見ることは初めてでした。あの仕事が私にできるかといえば、まずできないだろうと思う。点滴変えてもらうとか、傷を見てもらうとか技術的面は数知れず、看護師さんから情緒的に救われた回数は数知れず……。ケアワークはめちゃくちゃに偉大だということが骨身にしみます。

あのお仕事で、かつ今は某感染症のリスクまで抱えている。国は今すぐ医療従事者に多額の援助をしてください、お願いします。



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