23/9/7

とある駅の構内。3脚並んだ椅子があり、左端に座った。程なくして父親と2人の幼い息子の3人組がやってきて、父が息子2人を座らせた。

すぐに席を立ってやった。どちらかといえば気遣いというより気まずさによる親切。反射的に立ち上がった後どこに向かえばよいかわからず挙動不審気味になったのはいいとして、まあ一応自分の親切が実を結んだのかを確認しておきたく、90°だけ振り返り間接視野で捉えた。

どうやら父親はまだ座っていない。せっかく譲ってやったのに何をしているんだと表情を曇らせながら残りの90°もグイッとひねって様子をよく見ると、どうやらそこへやってきたおばあさんに座ってもらおうとしているようだった。

「なるほどそういうことか!親切のバトンが繋がったね!」と腑に落ちたが、おばあさんもまたなかなか座らない。そして何か視線を感じる。父親もおばあさんもこっちを見ているではないか。

ん?まさか俺が席をキープしようと目線で牽制していると思われてしまったのでは.....?

最悪だ。充足感という見返りを自らに求めた結果、そして挙動の不審さも相まってか、底意地の悪い卑しい男みたいになってしまったのだ。


「見返りを求めない」とよく言うけど、それって結局は相手に直接求めないだけで自分の心を満たすという見返りは求めてしまっているし、なんならあわよくば周囲からの評価を上げようとしてるので求めている見返りの総量は多い気さえする。

本当に相手のためだけに何かができるとすればそれは純粋な愛情なのだと思うけど、そんなのは周囲の人間を愛し周囲の人間に愛されて生きてきた人にしかできない芸当で、自分は一生見返りの世界から解脱することはできないのだろうなぁと思って悲しくなった。

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