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今までもずっと同程度のリスクを背負ってきたしこれからも背負っていくのに、ある事件が起きたからといって急に警戒心を強めるというのは、当たり前で必要なことではあるけれど、同時に「これでいいのかな?」という変な感情が出てくるので雑に言語化しておきたい。


一昨日、福岡県の小1男児がうずらの卵を気管に詰まらせて亡くなるという悲しい事故が起こった。

この事故を報せるニュースでは併せて全国各地の小学校で「よく噛んでから飲み込むように」という指示や監視が強化される様子が放送されていた。

でも、そういった事故が起こる危険性自体は今回の一件以前も以後も変わらないわけで、何かが起きたから注意喚起をするというのは、悪い言い方をすれば最初の犠牲者が出るのを見て2人目を出さないようにしているだけのこと。そこに大きな意義は果たしてあるのだろうかと考えると、1人目を出さない努力こそが本当に意義のあることなのではないかと思ってしまう。

「うずらの卵を詰まらせてしまう事故が起きたので給食で児童が喉を詰まらせないように徹底しましょう」は当たり前で、そのほかに「学校に潜む事故のリスクはほかにもこういった事案が過去にあったとかこういう危険性がある」というのを提示していくことの方が大事だと思う。

ちょっと角度が違う話にはなるけど回転寿司の醤油さしペロペロで炎上した件。たまたまSNSにあげてしまうほどのおバカだったからあのタイミングで明るみになっただけで、これまでもこれからも他の客が何か手を加えた商品を自分が食べてしまう可能性はあるのに、あそこまで回転寿司自体を拒絶する人が出たのはもはや被害者は回転寿司側として誰が加害者なのかわからなくなってくる。

日常に潜むリスクから目を背けないことが必要で、0ではないリスクに対して「0ではない」という意識はどこかに挟んでおくべきだと思う。0だと錯覚しているから1%の不運が起きてしまったときに必要以上にショックを受けて不安になって、必要以上に何かを責めたり拒絶したりすることで安心しようとする。これは本当に滑稽だと思う。

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